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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第九章 旗幟鮮明(5)



「う、いや、まあ、そうかも……」

「でも、戻らないでくださいよ? 私も暇で死にそうだったんで、相手してください」

「じゃあ、連帯責任でお願いします」

 言うと、昨日の顛末が思い出されてしまった。

 沖田もぷっと噴き出す。

 そして笑いを噛み殺したままの奇妙に歪んだ顔で、沖田が尋ねた。

「土方さんに医者に行くように言われませんでした?」

「言われました、散々! 沖田さんも?」

「言われましたけど断りました~」

 昨日一日、土方と話せば二言目には医者医者で、正直うんざりしていたのだが。

 なるほど、沖田もその被害者だったのは頷ける。

 だが、それは伊織に言わせれば笑い事ではない。

「沖田さんは、本当にちゃんと診てもらったほうがいいんじゃないですか?」

 今後、沖田が患うであろう病を思えば、医者通いを勧めるのは当然のことだ。

 沖田の身を案じるがゆえの言葉なのだが、哀しいかな、それは当人には伝わらない。

「イヤです。私はお医者が嫌いなんですから! 高宮さんこそちゃんと診てもらいなさいよ」

「えッ!? イヤですよ! 怖いですもん!」

 ぎくりと肩を縮めてしまう。

 医者が怖いとは子供染みた事を言うと思われるかもしれないが、江戸時代の未知なる医学には、ちょっとした不審を抱いてしまう。

 誤魔化すように、伊織は傍に放られていた団扇を手に取ると、やや乱暴に煽いだ。

 そうして同じように縁側へと足を投げ出す。

 ふと空を仰げば、快晴だった。

 雲も千切れた綿屑のように点在するのみで、陽光はぎらぎらと照り付ける。

 夏の日は高い。

 太陽は庇の上を軌道に、天の真上へと昇っている。

 こんな厚い夏の日は、屋内にいるのが一番涼しくて済むのだ。

 時折その辺を通る隊士や会津の藩士たちに挨拶をされるが、その度に二人で快く労いをかけた。

 見る人見る人、皆汗だくになっているのがわかる。

 こうしてじっとしていても身体が汗に濡れるのだから、立ち働く者の汗は文字通り滝のようだった。

 そんな光景も、暑さのためか多少揺らめく。

 ふと、伊織は煽ぎ疲れた手を休めた。

「夢、見てたみたいなんですよね。気を失ってた時」

「……ふうん。私は覚えてないなぁ。気がついたら会所でしたから」

 沖田がちらりとこちらを窺う視線があった。

 だが沖田はまたすぐに庭先に視線を戻し、伊織もそれに目を合わせることはしなかった。

「一瞬、元の時代に戻れるのかと思ったんです。ここに来た時と同じような感覚だったから」

 訥々と話すと、沖田は一度外した視線を再び伊織の横顔に移した。

「でも、気がついたら、屯所にいたんですよ」

 結局、ただの夢だったんです、と区切り、そこで漸く沖田を振り向いた。

 沖田は投げ出していた足の片膝を胸に引き寄せ、じっと伊織の顔を覗き込む。

 平素とは違う、少々几帳面な面差しだ。

「それで? がっかりしました?」

「……」

 がっかりしたかと訊かれて「いいえ」とは言わないが、何故か素直に、はい、がっかりしました、とも言う気にはなれない。

 少しずつ、ここに慣れてきているからであるかもしれない。

 けれど理由はそれだけではないことに、今の自分は気がついている。

「戻れたとしても……。今の私では、未来の世の中で何事も無かったように生きていくことは出来ないと思うんです」

 人を殺めることを犯罪と見做す世の中に、どう存在して良いのか分からない。

 新選組の一隊士として、敵とは言え人命を屠った事実は未来に帰っても消えることはない。

 要するに、残るのも戻るのも不安、ということなのだ。

「池田屋でも、沖田さんの様子がおかしかったのに気付いたから、先に駆け付けたんですけど……。初っ端から奥沢さんたちが倒れてるの見たら、何だか、……敵は斬り捨てて当然、なんて思って」

「あれ、なんだ、私のこと心配して来てくれたんですか?」

 途切れ途切れ話す合い間に、沖田は突如けろりとして問うた。

 そうして、軽やかに笑い声を上げる。

「あっはっはっ! 私もいやに懐かれちゃったなぁー。でも駄目ですよ、一応、飼い主は土方さんなんですからねー?」

「……飼い主って。私は犬ですか?」

 くくく、と笑いを抑えている沖田に、雰囲気はくるりと変えられてしまった気がする。


 

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