第九章 旗幟鮮明(3)
それ以外に言葉など出なかった。
沖田が無事だとはいえ、奥沢が斃れ、安藤新田の両名も危ないとなれば素直に喜べるはずがない。
「それと……」
もう一つ、島田は重く口を開く。
「藤堂も重傷だ」
「藤堂さんが……?」
「ああ。意識はあるし、命にも別状はないと聞いたが……」
島田の蒼褪めた顔を眺めて、伊織はふうっと息を吐いた。
池田屋の中で会うことはなかったが、藤堂が重傷を負うのも前から知っていることだ。
「……額を、割られたんですよね?」
「なんだ、知ってたのか」
抑揚も無く呟けば、島田はきょとんと呆けたように返した。
手にした器に視線を落とし、伊織はもう一度深く呼吸をする。
何となく、落ち着かないような、寂しいような、それでいて何処か心がすっきりしたような、不思議な感覚だった。
「とにかく、今日はそいつを食ってゆっくり休んだほうがいいぞ」
頭の上に、島田の大きく暖かな掌が乗り、わしわしと撫でた。
「まったく。もォ余計なことせんといて貰おか」
「そうだな。それに、今から池田屋に行くと多分佐々木さんもいるぞ」
「……尾形さん、それは脅しですか」
尾形の口にした人名にぞわりと鳥肌が浮き立った。
事件も山場を越えたことだし、多少身体が不調でも土方の隊に戻ろうと思ったが、尾形のそれは断念の決定打となったのであった。
「屯所に戻るのは、夜が明けてからだそうだ。一応俺が師匠なんだ。たまには言うことを聞いてもらわねば困る」
「……分かりましたよ、寝てますよ、もう行きませんよ」
「分かればよろしい」
口を引き結んで頷いた尾形だったが、しかし、この夜が明けるまで、伊織の傍から彼が離れることはなかった。
***
翌日、日が蒼空の高みに昇った頃に、新選組隊士たちは揃って凱旋した。
よく晴れた、実に清々しい日だ。
昨日よりは幾らか風も出ているのが嬉しい。
一晩眠れば熱も引き、伊織は留守部隊の山南らと共に門前で出迎えた。
無論、尾形などの監察方一同もずらり揃っている。
屯所に帰りついたその軍勢は、目を覆いたくなるほどの物々しさであった。
近藤隊の面々は、皆が血飛沫で赤黒く染まっていたし、殆どの隊士の浅葱羽織が、深紅に染め替えられている。
そんな団体が、口々に快哉を叫ぶ様は圧巻である。
この蒼穹には、およそ似つかわしくない。
これで京の街中を闊歩してきたというのだから、街人は余程に度肝を抜かれたであろうことが偲ばれた。
「お帰りなさい」
一団の中に土方の姿を見つけると、伊織は出迎えの列から外れて飛び出した。
すると、それまで晴れがましくも感じられた土方の表情が、ぐっと強張る。
「こンの、大馬鹿がッ!! なんっで寝てねェんだよ!! ああ!?」
「すッ、すいません! でももう治りましたって!」
「ふざけんな! 俺がどんだけ迷惑蒙ったか分かってんのかよ!?」
顔を合わせた途端に怒声が鳴り響いた。
それは覚悟はしていたけれども、何も全隊士の前で公然と怒鳴ることもないではないか。
と、伊織は心密かに憤慨した。
「まあまあ、そう怒るな、トシ。高宮君も大健闘だったんだから……」
先頭の馬上から、近藤の穏やかに窘める声が入るが、当の土方は耳も傾けずにくどくどと説教する始末。
「とにかくおめェはどんだけ心配掛けたら気が済むんだよ!? あれほど勝手な真似すんじゃねえって言っただろうが!」
「ほらほら土方さん、血圧上がりますよ?」
耳にたこが出来るかと思うくらい、聞き慣れた土方の説教の途中で、もう一人口を挟んだ者があった。
ふと声を辿って振り向けば、しっかりと地に足をつけて歩く沖田の姿。
思わず、伊織も顔を綻ばせた。
「沖田さん! 良かった、元気になったみたいですね!」
「そういう高宮さんこそ!」
お互いに僅かな時差で昏倒した者同士、回復を確かめ合ってしっかと手を握り合う。
沖田の熱も大分引いたようだ。
あとは。




