第九章 旗幟鮮明(2)
「お前はもう出るな。ここからはもう表の隊士たちに任せろ」
顔を覗けば、ただ感情の色のない無機質な表情だけだ。
伊織の取った行動に、何を思っているかなど、さっぱり窺えない。
そこを行けば山崎などは非常に分かり易いのだが。
尾形の無表情は、いつもながら冷たく感じる。
「敵を斬ったらしいが、お前の顔を見た者を取り逃がしはしなかっただろうな」
「してません。すべて斬った……と、思います」
正直に言ってしまえば、緊張は頂点に達していたし、言わば極限状態だったのだ。
あまり覚えていない。
だが、伊織の返答を聞くとすぐに、尾形の表情も僅かながら和らいだようだった。
「ならいい。……良くやった、褒めてやる」
だからもうここで寝ていろ、とやや命令口調で諭された。
そうして軽い安堵の目を向ける尾形を、伊織はまじまじと見つめる。
尾形が褒めてくれるとは、思っても見ないことだ。
「どうしたんですか、尾形さん。熱でもあるんですか」
「熱があんのんはオマエや! 安心しィ、俺は褒めたらん!」
反して山崎はいちいち刺々しく突っかかるが、それでも伊織の運びこまれた部屋から出て行く気配はない。
山崎は山崎なりに気に掛けてくれているのだろう。
と、伊織はそう思うことにした。
「勝手に自分ばっかり出てって、済みませんでした」
「庭に出たっきりだったからな、これでも心配したんだ。それは反省してもらおう」
「まあ、分かればエエ」
尾形の言うことは分かる。
だが人が素直に詫びれば、山崎の返しは実に高慢、且つ素っ気ない。
なんて可愛げのない。
内心山崎に反抗していると、思いがけず島田が入ってきた。
「梅粥、作って来たんだが、食うか?」
ほかほかと暖かそうな湯気の立ち上る器を盆に乗せたまま、ゆっくりと伊織の床の傍らに胡坐を掻いた。
池田屋に戻ったのではなかったらしい。
「俺が作ったんだぞー。ちゃんと食わなきゃ、また倒れるからなぁ」
床に上体だけを起こした伊織に、島田はにんまりと微笑んだ。
ほれ、と器を差し出されると、断ることも憚られて素直に受け取る。
「ありがとうございます」
「熱いから気をつけるんだぞー?」
こくりと頷いて、匙で一つ掬う。
白い粥飯に、梅肉の紅が綺麗だった。
一口含めば、とろりと喉を滑り落ちる。
美味しい。
あの地獄が、今は幻のように思えてならなかった。
こうしていつもの屯所に戻り、暖かな食事があり、見慣れた顔に囲まれる。
それはどうも対極過ぎて、こうしていることが不思議にさえ思えた。
「うまいか?」
「……料理上手なんですね、島田さんて」
これほど美味しいものを食べたのは、幕末に来て、いや、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。
決して大袈裟なことではなかった。
「熱で舌がおかしくなっとるん違うか」
「おい山崎、それ、俺に失礼じゃないか?」
むむ、と拗ねたような島田を見て、思わず顔が弛んだ。
しかし、それは間もなく自然と消え去った。
「島田さん、向こうに戻らなかったんですか……? 沖田さんは? 池田屋は今、どうなってます? 新田さんとか、無事だったんですよね? 会津の救援は……」
気にかかることは山とあった。
放っておけば止め処も無く質問を繰り出してしまいそうになる。
だが幸いにも、島田はそうと感じ取って言葉を挟んでくれた。
「俺たちが到着した後に、会津からも援兵が来た。後は心配ないだろう」
心配ない、と言う割には、どうも島田の顔色が優れないようだった。
視線で先を促すように顰蹙すると、島田はようよう続きを語る。
「……奥沢はもう駄目だった。新田と安藤は辛うじて助かったが、……あれはどうにも危ないな」
「沖田さんは」
「祇園会所にいる。……なに、こっちは心配いらんさ。医者もそう言ってたからなあ」
安堵が込み上げた半面、苦い思いが胸中を掠めた。
「……そうですか」




