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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第八章 疾風勁草(8)



 俊敏に沖田に向き直る伊織の目にも、それは鮮烈な光景として映った。

 二段突き、いや、三段突きだ。

 最後に沖田は深々と太刀を突き立て、胸部を貫通させる。

 それを最後に、浪士の身体は嗄れた嗚咽を上げて瓦解した。

 余りの速さと驚愕に、伊織は暫時目を見開いたまま、どうすることも出来なかった。

「高宮さ……大丈夫、です、か……」

 太刀を引き抜き、伊織に笑いかけようとしたのだろうが、沖田の体力も既に限界だったらしい。

 辛うじて最後の一句まで繋いだものの、沖田の身体はそのまま血海に吸い込まれるようにしてどうと倒れた。

 伊織は目の前の光景の変転に付いてゆけず、正気を戻せないまま沖田に這いずり寄った。

「沖田さん、沖田さんッ!? しっかりしてくださいよ!!」

 横たわった沖田の体を渾身の力で仰向ける。

 自身の腕の痛みもないではなかったが、気が動転しているせいか、血の滴るのも厭わしく思わない。

 縁起でもないことだが、初めて会って土蔵で尋問された日のことや、清水寺にまで迎えに来てくれた時の光景が眼裏を過った。

 本当に、縁起でもない。

 今触れている沖田の身体はこんなにも熱を帯びているではないか。

 呼吸も脈も不規則だが、ちゃんとある。

 一つ一つを確かめながら、伊織は沖田の容態を推し測ろうと試みたが、医師でもなければ診断が出来るわけでもない。

 けれども、沖田の装束に着いた血痕は皆、敵を斬った際の返り血のみであるようだった。

 少なくとも、喀血はしていないらしい。

 その事だけでも、伊織はやっと僅かな安堵を得ることが出来た。

 ほっと息を吐いた拍子に、くらり、と眩暈が起こった。

 右腕の刀傷は思ったよりも深いのかもしれない。血が流れ出すのをそのままにしておいたのが良くなかった。

「伊織!!」

 と、土方の声が遠くから呼ぶのが聴こえた。

 眩暈のおまけに幻聴だろうかと内心首を傾げたが、荒々しく室外の階段を上がってくる足音で、それが幻聴でないことを知る。

 土方隊のお出ましだ。

 土方が到着したなら、もう緊張を解いても良いだろうか。

 いや、その前に、沖田がここに倒れていることを報せなければ。

 そうしたいと思うのだが、目の前がぐらついて声らしい声が出せなかった。

「おいッ!! 伊織、無事かっ!!?」

 土方の声が背後に聴こえ、伊織はゆっくりと振り返った。

 霞んだ視界に土方の影が虚ろに浮かび上がる。

「遅刻ですよ、土方さん。沖田さんが……」

 沖田と同様に、自分の身体も高熱を帯びているようだった。

 もう、それだけを言うので精一杯で、傍らに寄り添った土方の顔をまともに見ることも出来なかった。

「総司が……」

 大仰に眉を顰めて伊織の膝元に転がる沖田を見、土方の表情にも些少でない焦燥が広がる。

「総司がどうしたッ!!? 誰に、誰にやられたっ!!?」

 ゆらゆらと揺れ出した視界の中の土方は、伊織の肩を鷲掴みにして乱暴に揺さ振っている。

 ただでさえ何だか身体がぐら付くというのに、土方のお陰でその症状は一層酷くなるような気がした。

「多分、熱病か何か……。大丈夫、生きてます。怪我もないみたいです、から……」

 がたがたと揺らされ、舌を噛みそうになりながらも、伊織は言う。

「……生きてる……?」

 生きていると言った途端に土方の腕は止まり、再び沖田の様子を窺ったようだった。

 はっきりと状況を目に出来たのはそこまでで、後は引き摺られるように意識が闇に遠退くのを感じ、伊織の思考もまたふつりと途切れた。

「……おい? ……おいっ、伊織ッ!?」

 ぐらりと傾いだ伊織に気付き、土方は咄嗟にその肢体を抱き留める。

 と、伊織の腕に深々と切開かれた刀傷を認めた。

 流れ出た夥しい血に、支える手がじっとりと濡らされてゆく。

「馬鹿かてめぇ! 勝手に隊を離れた上にッ……勝手に死んでんじゃねえッ……!!!」

 蒼白になって怒号を飛ばした。

 何故、こんなことになるのか。

 こいつを、ここで死なすつもりなど無かった。

「起きろ……、起きろよ、おいッ!! 伊織!!」

 前にも増して、土方は荒々しく伊織の身体を揺さ振る。

 不覚にも、涙声になっているのが自分でも分かった。

「目ぇ覚ませっ……! 死ぬのはまだ早ぇだろうがッ!! 目ぇ覚ませって言ってんだよッ!!」


 

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