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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第八章 疾風勁草(5)



「……やぁッ!!」

 宮部が太刀を構えたと同時に伊織は第一撃を繰り出した。

 胴を払うように刀身を横薙ぎし、宮部の太刀がそれを食い止める。

 他の者に比べても伊織の攻撃速度は遅いに違いないのだが、疲労のためなのか宮部は避けるに叶わず受けている。

 好機とばかりに二の太刀を繰り出した瞬間、脇差は宮部の腹部を貫いた。

 ぐっと声を呑み込むような呻きが耳元を掠めた。

 人肉に食い込むその生々しい感覚が、脇差から腕へ、腕から全身へと伝わる。

「この……ガキがッ!」

 怨恨に満ち満ちた声音が、一転して伊織を震え上がらせた。

 出火騒動の時とは比較にもならない、殺傷の実感が背筋をぞっと駆け抜ける。

 咄嗟に脇差を引き抜き後方へ飛び退るや、間一髪のところで宮部の太刀がひゅんと風を切った。

 こめかみの髪を幾筋か切り払い、剣先は足元へ流れる。

 もう少し退くのが遅ければ、頭から叩き斬られていた。

「もう逃げないと決めた」

 血の気は引くが、抑揚もなく声に出して言い、さらに後に退こうとする足を踏み留めた。

 反撃をかわされた宮部の呼吸は、急速に乱れる。

「宮部さん、あなたに私は斬れませんよ」

「貴様、などに……斬られはせぬわ」

 伊織を一睨して、宮部は徐に大刀を放った。

「!?」

 何をするつもりかと疑問も浮かびはしたが、これを逃すべからずと心得て、伊織は第三の太刀を振り上げる。

「我らの志を継ぐ者は大勢いる。貴様如きの手にかかることほどの不覚はない!」

 暗がりにも、その形相の異様さが見て取れた。

 太刀を放った手が腰の小刀を抜き、その刃先を己の腹部に突き立てるまでに、長い時間はかからなかった。

「な、何を……!?」

 伊織が驚愕の目で正面の宮部を凝視する中、脇差を突き立てる宮部の腕が真横に引かれる。

 自身の手で、腹を裂く。

 見る間に宮部の膝は床に崩れ落ちる。

 だが、それでも自らを切り裂く手の力は抜けていない。

「――……!」

 まるで、肉を切り裂く音が聴こえてくるような場面だった。

 凝った苦悶の声が切れ切れに上がり、けれどそれでも双眸は伊織を捉えて睥睨し続けている。

 見るに耐えない光景だった。

 伊織は自らもまた脇差を納め、すらりと大刀を抜き、大きく息を吸い込んだ。

「……介錯、御免!」

 伊織はその首根を目掛けて太刀を一閃させた。

 重い衝撃があると同時に、返り血が顔や身に着けた防具に飛び散る。

 だが、気に留める余裕などなかったし、終始、手が小刻みに震えるのも止められなかった。

 一太刀で首根を斬り付け、二太刀目に反動で仰け反り痙攣するその頚動脈を狙った。

 一面に血飛沫が迸り、伊織は息を詰らせた。

 生まれて初めて、人を殺めた。

 介錯は頼まれてしたものではない。

 武士の情けだとか、そういう類のものでもない。

 今ここで、命を絶つことを知らねば、これより先に進むことは出来ない気がした。

 自ら手を下さねば、次に斬り合いになった時に、決めたはずの覚悟が振り出しに戻ってしまうだろうと懸念したのだ。

 徐々に痙攣の止みつつある宮部の傍らに片膝を付き、合掌した。

 これがこの時代の常だ。

 それで納得しなければならない。


     ***


 二階への階段を見上げ、伊織は目を細めた。

 剣戟はより少なくなってきてはいるが、まだ止むことなく鳴り響いている。

 二階で戦っているのは、近藤と沖田であるはずだった。

 もしかすると、永倉や藤堂も既に二階へ上がっているのかもしれない。

 沖田は無事でいるだろうか。

 沖田がこの池田屋で昏倒することは余りに有名な話で、伊織のように新選組に特別関心を寄せていなくとも、その事は認知している者も多いことだろう。

 それも現代で、の話だが。

 一説に依れば喀血したとも聞くが、それは定かでない。

 けれど、血を吐こうと吐くまいと、乱闘の最中に倒れることに変わりはない。


 

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