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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第八章 疾風勁草(1)




 会津藩との約束の刻限は、夜五ツであった。

 しかし、会所で今や遅しと待つ新選組の元へは、一向に音沙汰の無いままである。

 五ツは、とうに過ぎていた。

 どっしりと中央に腰を据える近藤も、いよいよまんじりともせぬ面持ちになってきているのが分かる。

 総大将の近藤でさえ、そんな様子なのだ。

 以下に従う隊士達などは言うまでもなく神経をぴりぴりと尖らせている。

 外から響いてくる祭りの喧騒も次第に収まりつつあるようで、それがさらに時の経過をまざまざと皆に感じさせるのだ。

 ちらりと窺い見る土方の目も、伊織にははっきりと苛立ちが感じ取れた。

(そろそろ限界だろうか……)

 誰が先頭を切って出陣を催促するのかと、伊織は居並ぶ面々を見渡した。

 如何にも気短そうな原田や永倉あたりだろうかとも思ったが、痺れを切らせたのはおよそ意外な人物であった。

「ねえ、もう私たちだけで行きませんか?」

 ほんの少し声の調子を落として開口したのは、沖田。

 賺さず、伊織もそれに倣った。

「そうですよ! もうこれ以上は待てません。私たちだけで行動を開始しましょう!」

 待ってましたとばかりに口早に言い、勢い余って伊織は思わず立ち上がりそうにさえなる。

 が、漸くのところで落ち着き、近藤と土方の目を交互に見た。

 険しく引き結ばれていた二人の口角が、微かに上向いたようであった。

「会津が来るまで待て。……と、言いてえところだが、俺も同感だ。このまま待ち呆けてたんじゃ、奴らを見す見す逃しかねないからな」

 静かだが、高揚した風が抑揚に表れている。

 それを境に、他の隊士たちも口々に賛同の声を上げ始めた。

 その声に圧されるように、近藤は一たび瞑目し、一つ大きく呼吸をすると勢い付けて立ち上がった。

「皆、この機を逃して後はない! 新選組はこれより出陣致す!!」

 一層声高に号令した近藤の声が、祇園会所に響き渡った。

 会津藩との約束の刻限から、裕に小半刻が過ぎていた。


     ***


 伊織は土方隊の一員として鴨川東岸を北上し、徐々に四国屋へと近付いていた。

 不審と思われる宿は一軒一軒覗いてみるために、進行速度は非常に遅い。

 その上、伊織にしか分からないことではあるが、この土方隊が向かっている四国屋にも、勤皇志士たちはいないのである。

 それを知るが故に、伊織はひたすらもどかしさと格闘せねばならなかった。

 口にすれば土方は真っ直ぐに池田屋へ進路を変えるだろう。

 それでは困るのだ。

 ほんの僅かでも討ち入りの時間が早まったならば、志士たちが会合後の酒盛りを始める前に戦わなくてはならなくなってしまう。

 土方隊は、遅刻する。そうでなければならなかった。

 屋内で剣を振るうのは、近藤隊の数名だけだ。

 狭い日本家屋の中に大勢が討ち入ったとしても、願わざる事故を招くだけのような気もする。

「ああ、もう。こんなんじゃ夜が明けるよ……」

 頭では分かっているのだが、どうも先を急ぎたくて仕方がなくなっているらしい。

 一軒訪ねては当てが外れ、その度に伊織の口からぶつぶつと文句が出てくる。

「高宮も意外とせっかちなんじゃねえの?」

「違いますよ! そんな聞こえの悪い言い方しないでくださいよッ!」

「おーおー、よく言うよ……」

 初めこそ、隣を歩く原田が時折茶化していたが、段々と軒数を数えるにつれてそれもなくなった。

 原田もやはり苛々しているようだ。

 この熱帯夜を行軍することだけでも疲労感は着実に蓄積していくのに、重ねてこの蟠りである。

 それでも何とか堪えに堪え、土方を先頭にした一行はようやっと四国屋の表口まで辿り着いたのであった。

 もう既に辺りは静まり返り、通りに面した数々の戸口も閉ざされている。

 ここに来て、ある一つの不安が過った。

(……そういえば、沖田さん)


 

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