第三章 合縁奇縁(6)
いかに佐々木只三郎が同郷の者でも、伊織には縁もゆかりもない男ではないか。
それも、形だけとはいえ、妾だなどと、受け入れ難い申し出である。
「少し、……考えさせてください」
俯いたまま、伊織は言った。
土方にこうまで言われてしまっては、伊織が四の五の言っても詮無いように思えたが。
今この場で土方に、佐々木のところへ行け、と言われることだけは嫌だった。
***
「高宮!」
夜も更け、隊士たちも皆寝静まった頃、縁側で一人ぼんやりとしていた伊織に、原田の声がかかった。
ちょうど夜の巡察から帰ったところらしく、隊服を着たままの姿だ。
「……原田さん」
原田は伊織の傍らにまで駆け寄ると、断るでもなくどっかりと腰を下ろした。
木屋町での一件以来、どことなく原田によそよそしい伊織だったが、二人きりでは避けようがない。
仕方なく、伊織は無難な言葉を選んで挨拶する。
「巡察、お疲れ様です」
「おう! こんなとこで何してんだよ?」
「いえ、別に何も……」
俯いて返す伊織の顔を、原田は妙に生真面目な面もちで覗き込む。
「土方さんと何かあったか?」
図星を突かれ、伊織は一瞬うっと息を詰まらせた。
「い、いいえ。何もないですよ」
伊織が男だと思っている原田に、相談など持ちかけられるはずもない。
これが沖田だったら、包み隠さず胸の内を明かせるのだが。
「何だよ、何もねえって顔には見えねぇぞー? ……あッ! わかった。土方さんに浮気でもされたんだろ? 当たりか!?」
悪戯っぽい笑みを作り、原田は気安く伊織の背を叩く。
どうにも大雑把な質らしく、細かいことは気にしない男だ。
木屋町での捕り物で伊織がその場から逃げ出してしまったことも、特に気にした素振りは見せない。
あからさまな原田の冗談には取り合わず、伊織は長い溜め息を吐いた。
「おいおい、元気がねえぞ~!? そんな暗い顔すんなってェー!!」
「原田さん、一応夜中ですから、あんまり大声を出さないほうが……」
「っだよォ、こんでも心配してんだぞー?」
少しばかり拗ねたような原田の顔は、抜き身の刀を手にした時の表情とは全く違う。
短絡的で言葉は荒いが、どこにでもいる好青年だ。
何気なく見つめると、原田は気恥ずかしそうに顔をそむける。
「私、原田さんて怖い人かと思ってました」
伊織が素直な印象を語ると、原田はぱっとこちらを振り向き、盛大に渋面を作った。
「ああ!? 怖い!? 俺!?」
「だって……、抜刀して楽しそうに笑ってたから……」
伊織の言い足した内容に、原田は、あぁ、と回想を巡らす。
「楽しかったってワケじゃあねえのよ、あれは。ちょっと張り切ってたから、俺」
「張り切ってた……んですか?」
「そりゃあよォ、おめぇ! 新入りにゃイイとこ見せてぇじゃねえか!!」
「何だ、そうだったんだ。私はまた、てっきり……」
「てっきり、何だよ?」
「人斬りが楽しいのかな、と」
思ったままを口にしながら、伊織は心底からほっとしていた。
原田にはそんな誤解が余程心外だったらしく、やけに熱の籠もった弁明を繰り返したのだった。
そんな原田を横から眺め、伊織はくすりと笑った。
「おぉ!? 何だよ、んな笑うことねぇだろ!?」
「あはは、だって原田さん、必死なんだもん」
原田の身振り手振りが妙に滑稽で、伊織はついつい口元が綻ぶのを止められなくなる。
原田はそれを見て、わずかに安堵の笑みを見せた。
「へっ、そんだけイイ笑顔が出せりゃあ心配ねえな!」
「……え?」
「慣れねぇ場所で不安もあんだろうけどよ、一人でいじけてねぇで何でも相談しろ! なっ!?」
原田はにっかりと並びの良い歯を見せ、伊織の背中を勢い良く叩いた。
思わず噎せ返りそうになってしまったが、そこはぐっと堪える。
「んじゃ、まぁ、風邪ひかねぇうちに早く寝ろよな!」
「あ、ありがとう……」
すっかり兄貴分気取りで、原田はがっしりと伊織の首に腕を巻き付ける。
伊織は一瞬だけ、女子と判りはしないだろうかと焦ったが、さすがは原田。伊織の肩や首が細いことなど、ちっとも気にしない。
「おめぇももう立派に仲間だ! 頑張れよ、新米監察!」
原田は豪快に笑うと、また伊織の背中をばっしばっしと叩き、忙しく屋敷の中へと駆け込んで行ってしまった。
それを見送り、伊織はごく小さく呟く。
「仲間───」
湿気を含んだ風が通り、その声をかき消す。
絆はまだ、糸口を見つけたばかり。
息を吹きかけられただけで果てまで飛ばされてしまいそうなほど、脆弱な繋がりでしかないように思えてならなかった。
【第三章 合縁奇縁】終
第四章へ続く




