第二十五章 天真流露(9)
「まったく何なのよ、本陣にこんな凄まじいのがいたなんて」
「ええ、本当に。でも正確に言うと、見廻組の佐々木只三郎殿です。ついでにこれでも公用方の手代木殿の御実弟だそうですよ」
「ああ、手代木殿の……。あとで手代木殿に苦情入れておく事にするわ」
「そうですね、それをお勧めします」
引っ張り上げるように時尾を立たせると、時尾はぶつぶつ文句を並べながら、散々に乱れた髪と衣装を手早く直し始める。
「す、すまぬ、伊織……! おまえの返事を待ち焦がれるあまり、些か目が曇っていたようだ、許してもらえぬか。浮気ではないぞ、断じて……!」
「何言ってるんです。佐々木さんの目は往々にして曇ってるじゃないですか」
「ぬぅ……っ、そんな釣れないことを申すとは、さては悋気か?! 悋気を起こしておるのだな……っ!?」
「あんたの鬱陶しさは本当に揺るぎないな」
「あなたも変なのに好かれるわねぇ……」
げんなりと吐いた溜め息が、見事に時尾と被る。
佐々木の話は扨置き、伊織は時尾に向き直った。
「そう言えば、国許に帰るって本当なんですか?」
「え? そうね、照姫様にもご心配お掛けしてるはずだから、一度は戻るわ。けど……」
その後のことはまだ分からない。と言う。
なるほど、言われてみれば時尾は照姫付の祐筆という役目にある。
この気性からは些か信じ難い気もするが、これまでも役目は役目として果たしてきたのだろう。
「……じゃあ、少なくとも暫くはお別れ、なんですね。時尾さんには色々と、そりゃあもう色々と伺いたいお話がてんこ盛りなんですけど」
「あはは。まあ、いつ京を経つかは決まってないし、それはまた追々ね!」
それに、と時尾は続けた。
「あなたこそ、新選組に戻るんでしょう?」
不意に、時尾の眼差しが真摯なものに変わった。
だが、伊織はきっぱりと返す。
「ええ、戻ります」
「!? 何故、おまえは新選組にこだわるのだ? おまえがそこまでしがみ付かねばならぬ理由などなかろう?!」
時尾との間に割り込むようにして、佐々木が声を荒げた。
「新選組に戻る理由なら、ちゃんとありますよ」
きっぱりと言い切ると、佐々木も、そして時尾までもが訝るように伊織を凝視した。
それまで捲し立てていた佐々木は急に言葉に詰まったかのように声を止め、そうして溜め込んだ息を吐く。
「……その理由、訊いても構わぬか」
「構いません。簡単なことなんです。私が新選組に居たいと思うから、戻るんですよ」
ただ、そこに居たいと思う。
「佐々木さんが決して、邪な気持ちだけで私を庇護しようとしてくれているわけじゃないことも、承知してるつもりです。確かに私は、あなたには助けられ過ぎている。でも、それでも――」
「おまえはあまりに無知だ。世の中のことを知らぬ」
「うわ、随分はっきり言いますね……。まあ、当たってますけど」
「そのおまえがこの先、土方のやり方に食らいついていけるとは到底思えぬ。幾度辛い目に遭うかも分からぬぞ」
「……でしょうね」
「誰もおまえを助けぬ時もあるだろう」
「はい」
黒谷に来て何を学んだか、黒谷で自分に出来ることとは何か。そこで自分にどんな道が開けるのかを知りたかった。
新選組に留まって、納得のいかない事も呑み込み、土方のやり方に従うばかりでいて良いのか。
「そういうものの答えを探し当てたのかと問われれば、恥ずかしながらそれは為し得ていません。このまま戻ればきっと私はまた悩むし、迷うでしょう」
けれど、と伊織は笑った。
「私は、土方さんが嫌いなわけじゃないんです」
元々、土方は憧れの存在だった。その生き方に感銘を受けたからこそ、土方を信じ、常に死と隣り合わせの新選組隊士にもなった。
既にそこまで信頼しておいて、今更自分が知らなかった一面を垣間見たからと彼を避けるのは、如何にも虫が良すぎる。
「土方さんを避けるのは、自分の信じたことを自分で否定することと同じなんです」
静かに、けれどはっきりと語る。
その一語一句を、時尾も、そして佐々木もただじっと聞いていた。
「会津が私にとっての故郷であることに変わりはありません。けど、このままここにいたら、土方さんとも、私自身とも向き合えないままになってしまうことに気が付いたんです」
だから、新選組に戻ろうと思う。
そこにいるのが、たとえ憧憬に描いた通りの人ではなくても。
――新選組に居る自分しか、想像が出来ないから。
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