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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第二十三章 千荊万棘【前篇】(5)



 広沢はまるで人でなしでも見るかのような目付きで伊織を眺めるが、そんなことを気にしていては佐々木の魔手をやり過ごすことなど出来ないだろう。

「で? 御用は?」

 伊織はにっこりと笑い、広沢の開口を促した。


     ***


 金戒光明寺の敷地内、周辺の往来、付近の寺院。

 広沢の指示によって、容保公の側室である名賀の捜索に出掛けたものの、名賀の姿はどこにも見当たらなかった。

 この一帯に居ないとなると、捜索は難航するだろうと思われる。

 広沢の言によると、名賀は変装らしい変装はしていないらしいが、それは捜し易いのと同時に、危険に遭い易いということだ。

 急いだ方が良いには違いないが、肝心の名賀が見つからないのでは話にならない。

 平たく言って、名賀のお忍び――と言っても、当人は全く忍んでいないようだが――を諫めよ、という指令だ。

「……本来、部外者なんですけど、私」

 こういう役目は、名賀の身近な人間が担って然るべきものなのではないか。

 然程面識もない伊織が諫言したところで、名賀の耳に届くかどうかも怪しい。

 梶原や広沢などが直接諫めたほうが功を奏するのではないか。

 内心そんな不満も擡げるが、今は名賀の身の安全を確保することの方が重要だということも解っている。

 池田屋での大捕物以来、一見すると市中も俄かに平穏を取り戻し、不逞浪士も鳴りを潜めているように見える。

 だが、その凪いだ水面を覗き込めば、水面下には未だに黒い渦が巻く。

 仕方なく京の市中へと足を向けた伊織の耳を、鋭く風を切る音が掠めた。

 時実だ。

 伊織の腕に停まり損ねた時実は、一度滑るように行き過ぎ、再び空を切って旋回する。

 広げた翼は広く、向かってくる姿には、見慣れた伊織も思わず圧倒されてしまう迫力があった。

 急いで左拳に餌掛(エガケ)を被せる。

 伊織を目掛けて再び時実が滑空してくるよりも寸毫早く餌掛を着け終える。

 そのまま左の拳を身体と平行に上げると、時実は少々ばたつきながらもしっかりとその手に停まった。

 猛禽類のことなど何一つ知らない素人の伊織に、寧ろ時実のほうが合わせてくれているように感じる。

「どうだった時実? 名賀様っぽい人いなかった?」

 聞いてみても答えがないのは分かり切っていたが、それでも聞かずにいられない。

 そのくらい、捜索の宛てはなかった。

(まいったなぁ。名賀様の行きそうな場所って、どういうところだろう)

 少し前に、境内で一度だけ顔を合わせたことはある。

 ついでに二、三の言葉も交わしたが、たった一度のほんの僅かな会話だけでは、名賀という女性の何が分かるわけでもない。

 こんなことなら、あの時もう少し話をしておくべきだった。

 普段はどこで何をしているとか、何が好きかとか、捜す上での有力な情報を得ることも出来たかもしれないのに。

 拳に乗った時実をちらっと見ると、滑稽な仕草で首を傾げ、円らな目でこちらを見返してくる。

 運が良ければ時実が空から異変を見付けてくれるかもしれない。

 そんな微かな期待を持って連れ出したのだが、その僥倖に与れる確率は低そうだ。

「考えてみればおまえ、容保様の愛鳥なんだよね。もしおまえに何かあったら……」

 もしかしなくても伊織の責任になるのだろうか。

 そして最悪の場合、詰め腹を切らされたりして。

「……時実。おまえ怪我とかしないでよ?」

 あり得ない話ではない。

 大名のお気に入りに傷でも付けようならば、処罰は免れない。

(確か時代劇でも、そういう責任取って切腹するのって、普通にネタになってた気がするし……)

 軽々しく時実の遊び相手なんて引き受けるのではなかったかもしれない。

 降って湧いた嫌な想像に、伊織は今更ながら後悔を覚えた。

 いくら時実との間に浅からぬ縁があろうとも、鷹は鷹匠に任せるのが一番良い。

 今からでも時実を返しに戻ろうか。

 そう思った瞬間。

 時実が突如、翼を広げて跳躍した。

「えっ!? ちょっ、時実っ!」

 反射的に捕まえようと両の手を伸ばしたが、時実は難なくかわして舞い上がる。


 

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