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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第二十二章 理非曲直(6)



 火の入った長火鉢を挟んで件の両者が論じ合うのを、ただ見守る。

 性根の真っ直ぐな近藤のこと故に、侃々諤々と議論するのかと思っていたが、現状を見るに然程白熱した様子もなく済んでいる。

 というよりも、恐らくは相手の伊東が一枚も二枚も上手なのだろう。

 伊東大蔵という男は色白でやや細面な優男に見えるが、その整った顔は終始笑顔を絶やさなかった。

 前にのめりそうなほど意気込んだ近藤を、伊東はまるで木の葉が舞うように、実に優雅に受け流している。それでいていつの間にか近藤を丸め込み、自分の掌中で泳がせているような――。

「そこで本日は、伊東殿に折り入ってお頼み申したい事がございましてな」

「おや、何でしょう。新選組の局長殿直々の頼み事とは、これは私も誠心誠意お応えせねばなりませんね」

「ははは、それは有り難い。なれば、良き御返答を頂戴出来ることを願って、単刀直入に御願い申し上げる」

 いよいよ近藤が本題を切り出した。

「是非、伊東殿のお力を我々新選組にお貸し頂きたい。これが叶えられれば、無論相応の厚遇を以てお迎えする所存。何卒、御願い申し上げる」

 この通り、と、近藤は躊躇いもせず頭を下げた。

 それに倣ってか、近藤の供として同席していた藤堂と武田も慌てて首を垂れる。

 年少の藤堂はともかくとして、武田が人に頭を下げるのを目の当たりにするのは妙な面白味があった。

 少なくとも尾形にとっては、だが。

 常日頃、その部下に対しては無駄が出るほど威張る帰来のある奴だからだろう。

 こういう男だけは、どうにもいけ好かない。

 この場は近藤を立て、尾形も仕方なしに伊東の前に頭を傾けた。

 だが、尾形はその刹那に垣間見た、内兜を見透かしたような伊東のしたり顔を見逃しはしなかった。

「これはこれは。私などで近藤殿のお役に立てるかどうか……」

 遜った言い方をしているものの、時折その目の色が変わる瞬間がある。

 それはほんの一瞬、泡沫の命よりも短い間でしかなかったが、尾形が伊東に疑念を抱くには充分なものだった。

 恐らく、近藤は気付いてはいまい。

(こいつ、何を考えている――?)

 近藤が人知れず懸念していたであろう論破の危機は全くの徒労に終わりそうだったが、尾形の目にはそれとは比較にもならない危機が迫っているように思えた。

「今の我々には、伊東殿のような才知に富んだ御仁のお力添えが必要と考えており申す。伊東殿の広く深い見識を以て、隊士の皆に学問をご教授願えないものかと」

 隊士は皆、武勇に優れたつわもの揃い。なれど、学については今一つ及ばぬところが――。などと、学問云々を中心にして、近藤は近藤なりに口を極める。

 懸命に伊東を称賛しようとしているらしい近藤だが、恐らく仲間に引き入れるための口先三寸、というわけではないだろう。

 物言いは多少堅苦しいが、心底褒めているのだ。

 伊東も何を考えているのか腹の読めない男だが、率直に褒められれば悪い気はしないらしく、幾分か頬を緩めた。

「これは嬉しいことを。ああ、しかし申し訳ないのですが……」

 躊躇とも取れる流れに、近藤の顔が僅かに曇る。

 こう思うのも今更だが、近藤は感情の変化が少々顔に出やすい。

 当人は頑として平静を装っているつもりでも、目の端、口の端に本心がちらりと覗いている。

 尾形の目にも見て取れるくらいだから、伊東などにはこちらの本音など容易く見透かされているはずだ。

「近藤殿のお誘いは有り難いのですが、私も多くの弟子を持つ身。すぐにもお返事申し上げたいところですが、この件は後日改めさせては頂けませんか」

「お……、おお、それは勿論。我々も今暫し滞在する予定にござれば、充分にご検討下されたい」

「そうですか。では御言葉に甘えさせて頂きましょう」

 ふふ、と伊東は口の端を上げて微笑んだ。

 その温和で人好きのする微笑に、尾形はやはり一抹の不安を拭いきれなかった。


     ***


 帰途、近藤は上機嫌だった。

 仲間内には感情を伏せる必要もないと思っているのだろう。俄かに鼻歌まで飛び出す始末だ。

 伊東の返事は後日に延びたものの、あの様子ならきっと彼は申し出を受け入れるだろう。

 それのどこを喜べるのかと、尾形は内心不満を募らせていた。

「ご機嫌ですね、局長」

「おお、尾形君! やはり分かるかね?」

 分からんわけがあるか。


 

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