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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第二十二章 理非曲直(5)



 確かに、新選組に戻りたくないわけではないし、帰りづらさを感じているのも本当だ。

 だが、まだその時ではない。

「さ、行きましょう。あの人ならまだ起きてるはずですから」

 楽しげに言って伊織の手を取り、沖田は門の中へと引いていこうとする。

 咄嗟に、伊織は両の足で踏ん張り、身を退いた。

「……高宮さん?」

「す、すみません。まだ、帰れません」

 手首を掴む沖田の手から、僅かに力が抜ける。

 伊織の手首を一周してもまだ余るほどの大きな手は、それでもまだ離れなかった。

「山南さんにも話したんですが、近藤局長が帰るまでは……。それまでは――」

 新選組の外にあるものを、この目で見、この耳で聞き、この心で知りたいとも思う。

 そしてその間に、土方に感じる蟠りを解すことが出来たら良いと思う。

「きっと私は、この時代を知り過ぎているんです。世の中のことも、新選組のことも、土方さんのことも。そして同時に――、何一つ理解出来ていない」

 その後両者は、暫時沈黙した。

 その、決して短くはない一時も、沖田の手が伊織のそれを離すことはなかった。

 ややあって、漸く伊織の手が放されると、闇に紛れて薄らと映る沖田の面持ちが苦いものを含んだように歪められた。

「どうしても土方さんなんですか?」

「え?」

「土方さんに必要とされていなければ、隊には戻る気になれませんか?」

 沖田の問いは額面通りで、他意はないようだったが、一瞬、ぎくりと心の蔵が縮んだ。

「え、えぇと。確かに、そうかもしれません。隊に居るには、少なくとも土方さんの役に立つだけの実力が不可欠だろうと思いますし…。隊で役立てないのなら、いっそ会津に……」

 柴の葬儀の日以来、土方のあの一言が胸の片隅に蟠ったまま。

 会津に帰れ、と。

 その一言にどんな真意があったのかは知らない。

 けれどそう言い放たれた時の自分は、それでも新選組を離れたいという思いとは無縁だったはずだった。

「やれやれ。私があなたを必要としてるだけじゃ、隊に戻る気にはなれないんですか」

「……はい?」

「いつも思うんですけど、高宮さんは土方さんのことしか見ていないんですか?」

「そ、そんなことは」

「あなたの仲間は、土方さんだけなんですか?」

 ほんの僅かに拗ねたような口振りをする沖田に、伊織はぱっと顔を上げた。

「そんなことはありません!」

 寧ろ、逆だ。

「皆を同志だと、仲間だと思うからこそ! だからこそ……!」

 伊織が咄嗟に撥ねつけるような大きな声を出しても、沖田はもうそれを人差し指で制することはしなかった。

 沖田の反応を見るより早く、伊織は踵を返していたのだった。


     ***


 恐らくは黒谷へ向かったであろう伊織の背が、闇夜に紛れて掻き消されるまでには、そう時間はかからなかった。

 言葉途中で逃げるように去って行った者を追いかけようとは思わない。

 だが、伊織が言いかけていたことが何だったのか、それだけは少々気になった。

(本当にもう……、つくづく頑固な人だなぁ)

 墨を流したような闇を眺め、沖田は嘆息する。

 と、ちょうど沖田の正面に黒い輪郭を落とす木の枝から、何かが大きく羽音を立てて飛び立った。

「あれっ? さっきの――」

 羽ばたいたそれは、伊織のあとを追うかのようにして、暗闇の空に吸い込まれていった。


     ***


 強く、冷たい風の吹く日だった。

 座敷と縁側を繋ぐ障子戸の外には高い蒼穹が広がり、そこを横切る風は既に冬を誘い始めている。

 じきに寒い季節が訪れるだろう。

 冬の寒さは、この江戸よりも京のほうが凌ぎやすいだろうか。

 目の前では近藤と伊東大蔵との会談が行われている真っ最中だったが、尾形はのんびりとそんなことを思っていた。


 

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