第二十二章 理非曲直(1)
「君は、このまま会津様にお仕えするつもりなのかい?」
山南は手ずから銚子を差し出し、伊織に杯を勧める。
明里が座敷に上がる前にも勧められ、一度は断ったのだが、それでも再び杯を勧めるところを見て、伊織は自らの杯を持ち上げた。
山南にとって今宵は、誰かに付き合ってもらいたい夜なのだろう。遊里へ誘われて来ておきながら、二度三度と酒を断るのも無粋というものだ。
舐める程度なら、と控え目に酌を受けると、伊織はゆっくりと杯を傾ける。
「沖田君なんかは、もう今か今かと君の帰りを待っているみたいだからねぇ」
山南はくすくすと笑いを溢して言うが、伊織はその優しげな眼差しを向けられることに躊躇を覚え、思わず視線を移ろわせた。
「それは……、私ではないでしょう。沖田さんが待ち遠しいのは、きっと近藤局長のお帰りです」
「いや。近藤さんの帰りも待ち遠しく思っているだろうけれど、彼は君のことをとても心配しているよ。顔を合わせれば、決まって君の話題ばかりだ」
先日黒谷を訪ねてきた時の、沖田とのやり取りを思い出す。
高木小十郎という会津藩士を伴って現れた彼に、つい自分の弱さを見せてしまった。
家に帰れない、肉親と再び会うことの出来ない寂しさ。それを、沖田は「弱さ」だとは言わなかった。寧ろ、当然のことだと慰めてさえくれた。
注がれた酒を一口飲み下してから、伊織は漸く山南の問いに答えた。
「新選組には、局長のお戻りと同時に戻りますよ」
「そうか。なら、良いのだけどね」
山南は柔らかな笑みを浮かべて頷くが、元よりそういう約束の上での黒谷出向であった。
その約定を気まぐれに反故にして良いはずもない。
だが、続いて山南の口から出た言葉は、伊織を少なからず動揺させた。
「沖田君だけじゃない。恐らくは土方君も、じりじりしながら君の帰りを待っているのだろう」
土方――。
その名を耳にした途端、伊織は頬が凍り付くのを感じた。
土方が、自分の帰りを待っている。
伊織の面持ちが険しくなったのを見て取り、山南は困ったように苦笑をこぼす。
「そんな顔をするものじゃないよ。新選組で一番君を心配してくれているのは、恐らく土方君だろうからね」
「……本当に、そうでしょうか」
自然、憮然とした態度を取ってしまった。
これではまるで拗ねた子どものようだと、我ながら呆れる思いだったが、山南はそんな伊織を窘めるような大らかさを含んで笑う。
「君にひとつ、訊いてもいいかい?」
「ええ、いいですよ。……土方さんに関することでなければ」
「ははは、まあ彼に関係するかどうかは君次第だろうけれど。どうして急に黒谷へ出仕する気になったのか、少し気になってね」
相変わらずおっとりとした口調で問われたものだったが、伊織は思わず、ぎくりと肩を縮めた。
「それは、その――」
まさか、土方のやり方に不信を覚えて、などと言えるはずがない。
いくら目の前にいるのが山南であっても、それでは先日の永倉や原田が起こした建白書騒動と同じになってしまう。
「……」
「――君は」
「え?」
「君は、何を為したい? 或いは、どこへ行きたがっているのだろう」
口籠った伊織の返答を待たず、山南は重ねて問うた。
その問いは、酷く曖昧なものだった。
だがそれだけに、伊織の迷いを突き刺すような、的確な問いでもある。
自分は新選組で、何をしたいのか。
新選組隊士としての自分が目指す未来とは。
それは少なくとも、元の時代のような平々凡々とした一市民としての営みでは有り得ない。
だが、近藤のように武士として、幕府と大樹公の為に働く……、といった志を持つわけでもない。
土方のように近藤を傍らで支え、尽力したいというわけでもなかった。
また逆に、仮に会津藩への仕官が叶ったとして、そこで何をしようというのか。




