第二十章 愛別離苦(7)
「顔を見るだけだったら、多分黒谷に行けば見られるんじゃないのかな。彼は今、公用方にご厄介になってるはずですから」
「黒谷? 公用方?」
飄々と言ってのける沖田を不可解な眼差しで眺め、高木は眉を顰めた。
だが、そんな不審の眼差しを向けられても、沖田にはそれ以外に答えようもなく、少々困り顔で苦笑する。
「それはまことか。その者は今、会津に仕えていると?」
「ええ。ま、黒谷に居ようと屯所に居ようと、私たち新選組隊士はみんな、会津に仕えているようなものだと思いますけどね」
「本当に、黒谷にいるのだな?」
「そのはずですよ。会いに行くんなら、私もお供しますけど」
***
黒谷、会津藩本陣。
「ぶふぉっくしょぉーい!」
容保の居室から下がり、伊織は外廊下を行く。
豪快なくしゃみをしたのは、その途中のことであった。
ひとつ鼻を啜り、伊織はふるりと肩を震わせる。
「うう、風邪かな」
ちらりと庭の景色を眺めれば、秋も盛り。
季節は移ろって暫く経つというのに、自らが少々滑稽なように思えた。
季節の変化よりも、急激な環境の変化のほうに、身体が付いていかないのかもしれない。
平成から幕末に来た直後には何ともなかったのだが。
あの時の変化に比べれば、新選組から会津藩本陣に身を移すぐらい、何でもないはず。
だが、きっと今回のような環境の変化のほうが身体に変調を来たし易いのかもしれない。
(早めに休もう、今日は)
伊織はそう考え、部屋に向かう足を早めた。
が。
「!」
伊織は弾かれるように周囲を見渡し、咄嗟に身構えた。
人の気配がする。
いや、それだけではない。
視線だ。
迷い無くこちらに注がれる視線を感じる。
だが、見回した伊織の目には、何者の姿も映らなかった。
(曲者……!?)
此処は黒谷金戒光明寺。会津藩本陣である。
そこに易々と忍び込む者があろうとは。伊織の背に緊張が走った。
視線の出所を探して、ごくりと固唾を飲む。
と、次の瞬間、伊織は外廊下から庭の玉砂利の上へと飛び降りた。
「そこだ!」
くるりと身を翻して見据えた先は―――
先まで伊織が立っていた、外廊下の縁の下。
曲者が潜むと思しき、縁の下の暗がりへ、伊織は人差し指をびしりと突きつけた。
「此処が京都守護職会津中将松平肥後守様御本陣と知っての所業かっ!?」
間者ならば、見逃すわけにはいかない。
腕に自信はないながら、伊織は出せる限りの大音声で威嚇した。までは、良かった。
縁下に潜む影を目の当たりにした瞬間、伊織は喫驚した。
「お、っ……!?」
「あはははは。見つけましたよ高宮さーん」
朗らかな調子で笑声を上げつつ、縁下から這い出てきたのは、伊織もよく知る人物。
「おっ、おき……沖田さん!?」
何故此処に沖田がいるのか。あまりに唐突な出現に、伊織は狼狽した。
縁の下から完全に姿を現すと、沖田は袴の埃をぱたぱたと両手で払う。
「高宮さんに是非会いたいという人が、屯所に訪ねてきましてね。どうしてもと言うので此処まで案内してきたんです」
沖田は簡潔に説明すると、縁の下の暗がりを振り返り、未だ姿の見えぬ誰かを呼んだ。
伊織はつられて沖田の後方を覗き込む。
すると壮年の武士らしき男が、暗い縁下の影からぬっと這い出て来るのが見えた。
「?」
伊織は首を傾げた。
ようやく這い出てきた人物は、壮年の武士。
しかし、初めて見る顔だった。
全く見覚えもないその侍は、伊織の顔を見るなり双眸をかっ開いた。
「? な、何か私に御用ですか」




