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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第二十章 愛別離苦(4)



「来客は一人だけですが、お通しして構いませんでしょうか?」

「あ? ……ああ、そうだな。お通ししろ」

 土方はやっと隊士に向き直り、一拍置いて返答した。

 隊士は土方の返答にきびきびと了解し、再び正面門のほうへと駆け戻っていった。

「誰でしょうね? 勿論私もお話聞いてて構いませんよね? ダメって言っても聞かせてもらいますからね~」

「来客だからって、別に何も出ねぇぞ」

「やだな~。お客人用のお菓子狙ってるように見えますか? 高宮さんのことを心配すればこそ、私もそのお武家さんにお会いしたいんですってば」

 結局、伊織が戻って来そうな気配を感じ取りたいだけらしい。

 確かに、あれがいないだけで随分と屯所内は静かだ。

 尤も、近藤を筆頭に内部の者がごっそりと江戸へ下っていることを考えれば、この静謐さも至極当然なのだろうが。

「ああ、でも」

 と、沖田は不意に眉宇を顰めた。

 何か重要なことでも思い出したかのような面持ちになった沖田は、土方に振り向くなり凄味のある眼差しを向けてきた。

「高宮さんが帰ってくると、当然、もれなく佐々……」

「待て! それ以上言うんじゃねえ。噂をすれば何とやらって言うだろうが!」

 土方が叫んだと同時に、二人の背後で砂利を踏む音が聞こえた。

「御免。御主が副長の土方殿か」

「ほら見ろ! てめぇが佐々木の噂なんかしやがるから……!」

「えー、違いますよ土方さん。ほら、肥後守様の御家中ですよ」

 慇懃ながらもどこか尊大な物言いで声をかけられ、土方はまたてっきり佐々木が現れたのかと早合点していた。

 が、沖田に促されるまま振り返れば、そこに佇んでいたのは、佐々木などではなかった。

 ついさっき取次ぎを許可した、会津藩士のようである。

 土方の反応に怪訝な表情をした、けれど穏健な雰囲気を持つ壮年の武士であった。

「……あー……。これは、失礼致した。会津の御家中と伺ったが……」

 御名を何と申されるか。

 土方がそう問うよりも早く、男はきっちりと頭を下げて名乗った。

「某は会津藩大目付役、高木小十郎と申す者。以後お見知り置き頂きたい」

「あ、ああ……新選組副長、土方歳三だ。こっちは副長助勤、沖田総司」

 土方も同様に名乗り返し、ついでに紹介に与った沖田も、軽い会釈で挨拶とした。


     ***


「それで、確かめたいことがおありだとか?」

 副長室でゆるりとくつろぎ、土方は漸く本題に触れた。

 いよいよ伊織の出自について根掘り葉掘り問い質されるかと、多少身構えていたのだが、直後に土方の懸念は徒労だったことが判明する。

 高木の開口一番は、伊織の「い」の字もなかった。

「うちの貞をご存知だろうか!?」

 真剣そのもの、寧ろ逼迫した空気さえ纏う高木は、身を乗り出してそう問うた。

「さ、貞……?」

「左様! うちの貞を知らんか!」

「知らんか、と申されましても」

 ずいずいと身を乗り出して迫ってくる高木に、土方は座したまま徐々に後退する。

 唐突にそんな事を訊かれても、出せる答えは唯一つ。

「知らん」

「なっ何だとぉぉおおおう!!」

 高木は、鼻頭同士が擦れんばかりに迫ったままで怒鳴った。

 唾も飛ぶ飛ぶ。真正面に詰め寄られた土方の顔面は、被害甚大である。

「きったねぇな! 何なんだよ、知らねえもんは知らねぇ!」

「知らんわけがあるか! 私はこの耳でしっかり聞いたんだ! 貞と瓜二つな新選組隊士がいると……!」

 貞、という名を耳にしたのは、土方も沖田も初めてである。

 まして、そういう隊士がいるという話自体、過去一度も聞き及んだことはない。

 未だ興奮冷めやらぬ様子の高木は、決してふざけているようには見えない。だが、土方はどうにも溜飲の下がらない思いを拭えなかった。

 傍らで無作法にも胡坐を掻く沖田とも視線を合わせたが、しかし三者共に沈黙したきり。

 やがて沈黙に重圧のようなものが重なり始めた頃、沖田が不意に立ち上がった。

「やれやれ、何かと思えば人探しでしたか。残念ですけど高木さん、貞なんて子はうちにはいませんよ」


 

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