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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十七章 出処進退(6)



「これしきの事がこなせずに、他に一体何が出来ると申すのか。のう、伊織殿?」

「うう……面目もございません」

「……」

「……」

「クビじゃあッ!!!」

「ヒイ! そんな!!」

 再び般若の形相で、くわっと目を剥く広沢に、伊織は竦み上がった。

「この財政難の中、梶原殿も何故にこのような能無しを雇い入れるのか……! 冗談ではないわ!! 公用方など百年早いッ! まずお主が行くべきは寺子屋であろう! 話にならん、帰るが良い!!」

 広沢の捲し立てるその口調は、さながら矢の雨の如し。

「で、でも私もここで引き下がるわけには……」

「やかましい! 役にも立たん奴を給金払って使ってやれるほど、我が藩は裕福ではない!!」

 尤もだ。と、伊織も思わず納得してしまう広沢の言い分である。だからと言って、新選組の屯所に帰るわけにもいかないのだが。

 学で役に立てないなら、武門ではどうだろうかと考え、それもやはり会津の役に立てるほどの力はない。

 いずれにしても文武両面で中途半端な実力であった。

 言い返す言葉に詰まり、伊織はぎりぎりと奥歯を噛む。

 悔しいと同時に、自らが会津にとって何の利になるのかを熟考もせずに黒谷へ赴いてきた、己の浅はかさを痛感する。

「――っでしたら! 薪割りでも賄い方でも、出来ることなら何だってやりますよ!!」

「ほうほう左様か、ならばすぐにも賄い場に持ち場を変えてもらうのだな!」

 口論にまで発展しかけた、その刹那。

「邪魔するぞ。こちらに高宮という者は……」

 のそりと鴨居を潜って現れた、伊織もよく見知った男。

 厳めしい面立ちはいつもながらに、黒の紋付を羽織った出で立ちは平素以上の威圧感を醸し出す。

 口論に割って入ったのは、佐々木只三郎であった。

「!? さ、佐々木さん!? んな、どうして黒谷に……!」

「これは佐々木殿。何の前触れもなく斯様なところへ、一体何用か。申し訳ござらんが、見ての通り取り込み中ゆえ……」

 一介の武士らしく、広沢は咄嗟に居住まいを正すと、そう言って佐々木の前に立ち塞がった。

「ぬ。私は高宮伊織に用があるのだ。今日よりこちらに出仕すると聞いていたのでな、様子を見に参った。そこをどいてもらえぬか」

 伊織は勿論、広沢にとっても見上げねばならないほどの長身で迫られると、たとえ穏やかな口調であっても高圧的に聞こえる。

 それが証拠に、広沢も一瞬言葉を詰まらせた様子だ。

 佐々木が何故この場所を知り得たのかは首を傾げるところだが、流石に会津藩本陣ともあっては、その挙措も折り目正しくなるらしい。

 普段ならば挨拶などそっちのけで突進してくるものを、今の佐々木にそんな様子は微塵もない。

「広沢殿。おぬしの言い分も尤もだが、公用方に配属早々、これほどの量を与えるのは、些か無理があるのではないか?」

 佐々木の視線が文机の上を滑り、ついでに伊織の目をも流し見る。

 そして再び広沢を直視すると、佐々木はやおら渋面を作った。

「伊織は元々新選組でも小姓を務めていた者。それが唐突に公用方とは、適材適所とは到底思えぬ采配……」

「ならば佐々木殿。それこそ梶原殿へ申されては如何かな? 我々には我々の為すべき職務があるのだ。得手不得手に関わらず、任されたからにはやり遂げねばならぬ。ご両人がどういった間柄かは存ぜぬが……佐々木殿がそのような甘言を与えておるから、開口一番、努力もせずに出来ぬと弱音を上げるのだ」

 矢継ぎ早に飛び出す広沢の言葉に、伊織はぎょっと目を瞠った。

 初日から大量の仕事を与えた事は、単に馬の合わない部下への嫌がらせのようなものだと思っていた。

 だが、そうではなかったのかもしれない。

「ちょっと待って下さい、広沢さん」

 広沢は恐らく、本当に全ての清書を今日中に終えさせようとしていたわけではなかったのかもしれない。

 伊織が自らの力でどこまでこなせるのか、その実力と根性を量ろうとしていたのではないのか。

 その実力を把握出来ぬままでは、それこそ佐々木のいう適材適所も叶う道理がない。

 そうだとすれば、今ここで配属変更を願い出てはいけない気がした。

 元々出来ることをやるなら容易い。

 出来ないからこそ、挑む価値は大いにあるのだ。

「賄い場に配置換えなんて、真っ平御免です。公用方で使ってください。お願いします……!」

 じっと見据えた先の広沢が、薄く笑みを浮かべた。

「……ならば、やってみるが良い。お主がどれほど役に立たぬのか、お手並み拝見と参ろうぞ」

「望むところです」


 

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