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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第二章 昨非今是(5)


「もー、土方さん。やっぱりそっちが目的なんだ?」

 場の空気も読まずに沖田が茶々を入れると、原田も妙に溜飲が下がったように破顔する。

「はっはぁー、そういう狙いがあったのかい! 土方さんも水くせぇなー、そんならそうと言ってくれりゃあいいのによー」

「ですよねぇ? 土方さんて意外とむっつりなんだもんなぁー」

「待て待て待て待てッ!! 何の話だ!!」

 沖田によってすっかり緊張感がなくなった雰囲気に割り込んで、土方は戒める。

「くだらねぇ冗談はいらねぇ! んなことより、伊織が何処に行ったか知らねぇのかよ!?」

「あ。ほら。伊織、だなんて呼び捨てにして、すっかり亭主気分だ」

「だから冗談はいいっつってんだろ! おめぇら探しもしねぇで帰ってきたのか!?」

 沖田と原田は互いに顔を見合わせた。

「だって、私が現場に行った時にはもういなかったし……。原田さん、どうなんですか」

「えー、俺だって立て込んでたしよォ。あいつの行きそうな所なんて知らねぇし……」

「もー、ダメだなぁ」

「何だよー、そぉんな気になるんだったら、土方さんが自分で探しに行ったらいいんじゃないのォー!?」

 二人のやり取りが転じて土方に矛先を変える。

 言われる通りに自ら探しに行こうとも、まだ土方には早々に片付けねばならない仕事が山積みで、迷子を探し歩く暇はなかった。

 土方は、やれやれとため息を吐く。

「総司、悪いが頼まれてくれるか……」

 迷子捜索を依頼すると、沖田は躊躇もなく笑って快諾した。


     ***


 伊織は清水寺の一角に座り込んでいた。

 一日中、京の町を歩き回り、やっとのことでこの場に辿り着いた時には、日の入りが近くなっていた。

 ひたすら帰りたいと願いながら歩き続けてきた。けれど、いざ舞台に立ってみれば、足が竦んでしまってどうしても飛び降りる気にはなれなかったのだ。

 こんな時代にはもう少しもいたくないのに、それでも死の恐怖には勝てない。

 何度も身を乗り出して、けれど下を見ることも出来ないまま身体を引っ込めてしまう。

 仕方なく舞台を離れ、境内の一角にこうして小さくうずくまっているのだ。

(──どうすればいいんだろう)

 茜色に染まった空を鴉が群を成して山へ向かう。

 その光景を、伊織は力なく見上げた。

 人に斬りつけたのは、生まれて初めてのことだった。

 この時代に、それは必ずしも罪にはならない。頭では理解できることを、今、心身が頑なに拒む。

 平成という時代に生まれ育った者に、それは到底受け入れることの出来ないものだった。

 あの時、刀を抜かずとも他に方法があったのではないか。

 相手は刀を取り落として、素手で向かってきたのだ。どうして自分が刀を抜く必要があっただろう。

 相手が罪人であれ何であれ、人に傷を負わせればそれは行き過ぎた対処だとしか思えなかった。

 こんな時代にさえ来なければ、と伊織は嘆く。

 現代へ帰ることも叶わず、といって新選組に戻ればまた、今日のようなことが起こるに違いない。いや、いつかは本当に人を斬り殺してしまうかもしれない。

 そう考えると、恐ろしさに身が竦み上がる。

 間もなく日も暮れてしまうだろう。

 何処へ行くことも出来ず、ここに座り込んで夜を明かすのか。

 春とはいえ、夜はまだ冷える。

 今夜を明かしても、次の夜はどうするのか。そのまた次の夜は。

(……いやだなぁ……)

 じわりと涙が溢れる。

 ひどく心細かった。

 新選組では、自分の失踪をどう思っただろうか。

 幕末の世に、伊織が唯一関わった新選組。

 土方は、今頃どうしているのだろうか。

 思い巡らせて、ふと気がついた。

(新選組が恐いわけじゃないんだよね。私が恐いのは──、……)

 人に太刀を向けて笑む原田を、恐ろしいと思った。

 それは紛れもない事実。

 原田に何度も自分に刀を抜けと言われながら、ぎりぎりまで抜刀出来なかった。

 刀を抜いて人を斬る。

 その行為そのものが恐いのだ。

 そしてもっと恐ろしいのは、土壇場になって無意識のうちに抜刀し、斬りかかった自分自身だ。


 

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