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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十七章 出処進退(1)




 行李一つ。

 ろくに荷物もないと思っていたが、纏めてみれば想像していた以上に、伊織の物は増えていた。

 新選組の屯所に来た日には、着の身着のままだったのが嘘のようだ。

 田畑の広がる壬生村の道に出たところで、伊織は立ち止まり、背後を振り返る。

 知らぬ間に馴染んでいたような気もする。

 けれど、やはり馴染みきれていない思いも未だ胸を離れる事はなかった。

「暫くの間、お別れか……」

 唯一の拠り所としてきた新選組を離れる事に、寂しさを感じないといえばそれは嘘だ。

 土方に漸く許可された会津藩本陣への出仕だが、申し出た自ら、胸の底に渦巻く不安を抱えたまま。

 高く澄みわたる空の、心地よい、だがどこか少し寂寥感のある風が吹く日であった。

 ぼんやりと屯所の軒を見上げれば、注ぐ陽光を屋根瓦が照り返す。

 伊織は暫く顔を仰向けてから、そろそろと屯所の敷地を遠ざかって行った。


     ***


 黒谷までの道中、様々なことを考えた。

 伊織の守護職屋敷への出仕を許可してくれた土方の顔は、あくまでも不本意そうだった。

 なのに、そんな仏頂面から出たのは只、

「行ってこい」

 の一言。

 妙である。

 あれだけ正面切って反対していた沖田も、今朝になるとどういう風の吹き回しなのか、実に快く送り出してくれた。

 勿論、ありがたいことではある。

 その態度の急変に戸惑いはしたものの、出仕を願い出たのは伊織のほうなので、とりあえずは礼を言って屯所を出てきたのだが。

(絶対、何かあるな……)

 そう直感したことは言うまでも無い。

 空高く薄青の広がる、快晴の日のことだった。


     ***


 幾分か過ごしやすくなった日中の陽光を受け、池の水面はひらひらと翻るように輝く。

 木々の緑も、徐々に勢いを鎮めつつあった。

 白い湯帷子一枚を纏った容保は、静かにその眺めに見入っていた。

「そのような薄着でお出になられては、お体に障りますぞ、殿」

 不意に声が掛かると、容保ははっと我に帰ったように顔を上げる。

 その目に、困り笑いで佇む、大目付役の梶原の姿が映った。

「何だ、梶原か。何用だ」

 容保がすっかり気落ちした声で訊ねれば、梶原は一層苦笑顔になって前に進み出る。

「ご機嫌伺いに……、と申し上げたいところですが、本日この黒谷に新たに出仕してくる者がおりまして」

「? そんなことを逐一余に報告しに参ったのか?」

「新選組の高宮伊織という者です。以前、殿の御目にも触れましたので、もしやご興味がおありでは……と」

 梶原の口から出た名に、容保はふと眉を上げた。

 高宮、伊織。

 そういえば会津の出だと言っていた、新選組の隊士がいた。

 容保の記憶が確かならば、士分は持っていないとも言っていた気がする。

「……」

「あの高宮という者、まず私のところへ出向いてくるはずなのですがなぁ、はてさて、一体どんな仕事を任せるべきか……」

 のんびりと鷹揚に構えながらも、梶原の口調はどこか楽しげでもある。

 だが。

 容保は俄かに顔色を曇らせた。

「士分のない者に特別な仕事を任せるわけにはいくまいぞ? 加えてこの時期にここへ入り込んでこようとは。新選組の者とは言え、何か裏があるかもしれぬ」

 眉間に深い皺を刻み、声を低める容保には、病み疲れた色が濃かった。

 しかし、容保が難色を示しているとあって、梶原も些か面持ちを険しくする。

「確かに、仰る通りですな。氏素性の明らかでない者も入隊出来る組織なれば、どこぞかの間者が入り込む隙はある……。そして会津藩は大いに恨みを買ってもおりますからなー。あははは…は……っはあぁー」


 

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