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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十六章 水天彷彿(3)



「馬鹿ねー、当たり前じゃない。本で読む出来事なんて、たった一文、あるいは多くて数行。へえ、そんなことがあったんだ、って軽く流せるし、読み飛ばすことだって出来るもの。今のあなたみたいに実際にその場に居合わせたら、軽く流したり、まして読み飛ばすことなんて出来っこないのよ」

 至極当然のことを言われているわけなのだが、やけに引っ掛かるのは、やはり時尾が元の時代での伊織を知っているような口振りだからだ。

 全てを見透かされている気がして不気味にも思う。

 だが、日頃隊内で迂闊に口に出来ない事も、時尾にならばすんなりと吐き出せてしまう自分がいる。

「……時尾さんて、変な人ですね。人をあなたの生まれ変わりだとか言ってみたり、妙に腕が立ったり。少なくとも、あなたに限っては、私の印象とはかけ離れてますよ」

「ふっふー。まあ、生まれ変わり云々ていうのは、あれは私の直感なんだけどね?」

 直感。なるほど、確信があって言っていたわけではないのか、と伊織は僅かに肩透かしを食らわされた気分になった。

「でも、あなたが私の来世の姿であっても、そうでないとしても、どちらにしてもあなたは会津の人間よ。そうでしょ?」

 否めるはずもないことを念押しでもするかのように疑問符で問われ、伊織も肯いた。

 会津人の伊織が会津へ戻るのは当然で、寧ろ今新選組に身を置くことのほうが可笑しなこと。

 そう言いたげな様子が手に取るように分かった。

「会津で私の代役を務めて貰えないかしらねぇ」

 ほんの僅かに肩を落として呟いた時尾が、その後、ごくか細い声で何事かぼやいたようだったが、声は神木から飛び立った烏の声に掻き消されてしまった。


     ***


 最早藍色一色となった空を仰いで、伊織は壬生寺の濡れ縁に寝転んでいた。

 相談に乗ると言って現れたはずの時尾は、結局会津藩への出仕を頻りに勧誘しただけで、またふらりとどこかへ去ってしまった。

 境内には、カアカアと喧しい烏が幾羽か、そして伊織だけである。

「…………」

 このところ、もやもやと考え込むことが多すぎて、いい加減自分でも辟易しているのだが。

「……あー、誰か頭を指圧してくれ……」

 げっそりとしゃがれた声で搾り出す独り言は、虚しく秋口の風に吹き攫われた。

「……プー」

 特に意味はない。

 閑散とした境内に一人きり、さらに鬱憤や懊悩も極限まで達しつつある今、何もかも放棄したくなって呟いただけである。

 意味のない発言、というより、寧ろ単なる発声だ。

 が。

「……俺で良ければ指圧してやるが」

 伊織は文字通り飛び起きた。

 まさか背後の御堂から、思いがけない人物が出てこようとは考えもしなかったのである。

「ささささ斎藤さん……!!? いつからそこに!?」

「おまえが来る少し前から。随分長い独り言だったんで、出るに出られなかっただけだ。盗み聞きをしようと思っていたわけではないからな」

 ガタガタと若干建てつけの悪そうな引き戸を開け、斎藤がぬっと顔を覗かせた。

 そういえば謹慎部屋を脱出した斎藤を探していたような事も、この時に漸く思い出した。

「謹慎中のくせに、こんなところで何してるんですか」

「そういうおまえこそ、何を一人で延々と溢しているんだ」

 先に尋ねたのはこちらだというのに、斎藤は構わず怪訝な眼差しと共に尋ね返す。

「挙句、パーとかプーとかわけの分からん声まで出して。気が滅入ってるなら酒くらい付き合うぞ」

「パーは言ってませんよ、プーだけですよ! やめてください恥ずかしい!」

「随分お悩みのようだが、指圧くらいなら請け負ってやるぞ」

 と、斎藤は感情の影すら見えない面持ちで、伊織の眼前に親指を立てた両手を突きつける。

「い、いえ! 結構です」

 斎藤にしては珍しく御親切なことだが、いざ伊織の頭部を目掛けて親指を突き立てようとする人を目の前にすると、丁重にお断りしたい衝動に駆られた。

 何となく、斎藤の無表情さが怖いのだ。

 ともすると、頭ばかりか無言で眼球に親指を突っ込まれそうな危険がありそうな気がする。

 ぶんぶんと乱暴に首を振ると、斎藤はぴたりと動きを止めて数拍後、微かに舌打ちをした。


 

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