第十五章 萎靡沈滞(8)
あの土方に異を述べられる存在など、実質、局長である近藤を除いてこの隊内にいるわけがないのだ。隊の幹部として名を連ねる山南も、ここ最近では近藤と土方という双頭の影に隠れている感が否めない。
近藤が不在ならば、少なくとも山南との間で相談くらいあって然るべきと思うのだが、元々温厚な山南に意見を求めれば、切腹など反対するのは目に見えている。
土方は、そうと知りながら相談を持ち掛けるような男ではない。
山南にしてみても、土方を論破こそ出来るだろうが、それだけで土方の行動を阻止するには及ばないだろう。
「……土方さんの、思うがままじゃないですか」
「せやな」
いとも容易く頷いた山崎は、酷く冷静であった。
その冷静さが何故か気に食わない。同じく土方の下に身を置く者として、山崎の胸中が解せなかった。
「そんなの……納得がいきません」
隊内の生殺与奪の全権を、土方が握っている。局長の近藤が江戸から戻った時に、葛山を切腹させたと知ればどう思うだろうか。
局長を差し置いて、副長が自らの独断で処分を下すという行いは、隊規違反にはならないのだろうか。
ますます曇る伊織の表情を涼しげに眺め、山崎は突如、ぴしゃりと語気強く言い放った。
「オマエは自分が既にしくじっとる言うのんが、まるで分かってへん」
俯いてぶつぶつと呟いていた伊織が弾かれるように顔を上げれば、山崎はいつの間にか真っ直ぐこちらへと向き直っていた。
「は……? しくじる、って、どういう……」
明保野亭での刃傷沙汰は失態にも数えられるが、会津藩への取り成しに協力したことは間違ってはいない。
そう信じていた伊織にとって、山崎の叱責は腑に落ちないものだった。
きょとんと顔を見上げれば、山崎は呆れ果てたように吐息する。
「監察っちゅうのはな、あんなん起こらんように内部も見張っとらなあかんねん。隊士に規律守らすのも任務や。そういう監察の葛山が謀反に手ぇ染めとんのや、あいつが切腹すんのも当然や」
ついでに、本来ならば、同じ監察方でありながら葛山の不審に気付けなかった自らも同罪。そしてたとえ下っ端であろうと、伊織もまた監察方の一員である限り、咎はあるのだ。
山崎は堰を切ったように、息巻いた口調でそう言い迫った。
確かに、正論のような気がした。
建白書の一件を謀反と呼ぶのは少々大袈裟にも思えたが、それも山崎の言うように小規模な謀反であることには違いない。
正論には何を言い返しても無駄な気がした。いや、それ以前に、山崎の気迫に圧されて、とても反論出来るだけの気概は持てなかった。
「副長を酷薄と思うんは間違いや。少なくとも、監察の人間にとったらな」
最後、山崎はそう言い加えると、その場に伊織を残してさっさと踵を返して行ってしまった。
葛山の謹慎する部屋へと向かうその背には、何の迷いも窺うことは出来ない。
伊織は暫しその場に立ち尽くし、山崎の後姿が死角に入った後もなお、凝然としていた。
***
葛山は今日のうちに沙汰を下され、早ければ明日、いや、もっと早ければ日暮れ前にはその身に白刃を突き立てることになるのだろう。
ぼんやりと考えながら、伊織はふらりと廊下の柱に凭れた。
(そうだよ、実際に私が知ってる新選組の歴史だって、葛山さんは切腹することになってた。でも……)
でも、土方のこの判断は、果たして正しいのだろうか。
要は、葛山一人を見せしめのために自尽させようというのだ。
規則は規則。
規則を破れば果ては皆同じ。
土方の裁量によって生死を分かつことになるのだ。
――ならぬことは、ならぬもの。
そんな言葉が伊織の念頭に浮かんだ。
故郷会津の地に、伊織の生まれた現代までも伝えられる、会津藩校日新館の教えに見られる言葉だ。
それは、幼い頃から耳に馴染んだ教え。
先折、土佐藩と会津藩との問題で自害した柴司も、きっと毎日のように聞かされてきたことだろう。
そういう柴の最期に感銘を受けて、葬儀では落涙さえした土方だ。
それなのに――。
已むに已まれぬ事情から責任を取って切腹に臨んだ柴とは違い、葛山は見せしめのために土方から自刃を申し付けられる。
この違いは何なのだろうか。
そもそも、土方は何故、柴の葬儀で涙を流したりしたのだろう。
柴の潔さに本物の武士道というものを見出したからなのか、或いは、落涙の理由はもっと別なところにあるものなのか。
懊悩は尽きなかった。
「私……ここにいて、良いのかな……」
ふと零れた独り言は、ひっそりと静まり返る板張りの廊下に、響く間もなく吸い込まれた。
【第十五章 萎靡沈滞】終
第十六章へ続く




