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新選組秘録―水鏡―  作者: 紫乃森統子
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第十五章 萎靡沈滞(7)



 そう言い返そうかどうか悶々と悩んでいる最中、土方がさらに一声上げた。

「監察が一人減る。その上、尾形君も不在だ。総じて人手不足だからな、おめえにも今後は多少働いてもらうようになるかもしれねえ。そのつもりでいてもらおう」

「私……一人で、ですか」

 思いもかけない言葉に、伊織はそれまでの煩悶も忘れ、茫然とした。

 それはつまり、これまでの「見習い」を脱して、一人前に監察方として働くという意味に違いない。いざ面と向かって命ぜられると、弛んだ気が引き締まるような思いさえ湧いた。

 たった今反感を覚えたばかりだというのに、それでもやはり、一人材として認められたと思えば嬉しいと思うのだから不思議なものである。

「コイツ一人で動かして、ほんまに大丈夫でっしゃろか? ちんけな失態しよるのとちゃいまっか?」

「……山崎さん、何か私のこと非常に嫌ってませんか」

「嫌っとんちゃうわ。鬱陶しいねん」

「……尾形さんに言われるなら、まだ納得もいくんですけど。私、山崎さんに何かしましたっけ?」

 これでも隊中ではひっそりと生きているつもりなのに。

 すると山崎は、やけに顰蹙顔でねめつけてくる。

「おー、尾形も同じこと言うに違いあれへんな」

「ひ、土方さんも何か言ってやってくださいよ…。なんでこの人こんなに悪態つくんですか……」

「あー……。…というわけだ、伊織。おめぇも漸く一人前ぇになったってぇことで……励め」

「! うわ、土方さん加勢無し!? 何ですか、その小憎らしい顔!」

「ああん?! てめぇ、小憎らしいたぁ何だっ! いいか、俺ァ確かに憎まれ役だがなぁ、てめぇにゃ感謝されて調度良いぐれぇだろが!」

 いつもながらの鋭い眼差しでねめつけられ、伊織はぐっと声を詰らせる。

「そりゃ……感謝は、してますけど」

 小声で返せば、伊織自身、何故か言葉に実感が沸かない。

 感謝はしている。その心に嘘は無いつもりだが、その感謝の念に重く纏い付くものを払い切ることは出来なかった。

 笑うことも出来ずに憮然としていると、土方はやがて手の甲を軽く振ってみせる。

「あー、もういい。おい、山崎君、葛山を呼んで来てくれ」

 沙汰を出すつもりなのだろう。土方は眉間の皴も深々と告げると、二人に同様に退室を命じた。


     ***


 珍しく土方のほうから話を振ってきたかと思えば、またしても血腥い話だ。

 最近の隊内は、どうにも居心地の良いものではなかった。

 少なくとも、伊織が新選組に生活するようになった当初とは比較にもならないほど、重苦しい雰囲気が立ち込めている。息苦しさを覚えずにはいられない。

 同時に副長室を退いた山崎の後について行きながら、伊織は微かな吐息を漏らした。

 例の面子が謹慎する一室へと続く廊下を、山崎は何を躊躇うでもなく早足で歩いていく。

 いくら土方の下した命令とはいえ、これから切腹を申し付けられる者に忖度するだとか、そうでなくとも哀れむくらいの気持ちは起こらないのだろうか。

「山崎さんは平気なんですか」

「何が」

 何気なく出た伊織の問いに、山崎は足を止めることも振り向くこともなく返す。立ち止まる気がないと見て、伊織も一旦止めかけた足をまた山崎の歩調に合わせた。

「これじゃあ、わざわざ局長のいなくなるのを待ってから、沙汰を出したみたいじゃないですか」

「待っとったんやろ?」

 至極当然とばかりの即答に、伊織は俄かに眉宇を強張らせた。

「待っとったんや。局長のおらんようになるんを」

 山崎は今一度、強く言い切った。

 近藤の江戸出立を見計らって、その後すぐに出された沙汰。

 山崎の言う通りなのかもしれなかった。

 出す気になれば、土方は何時でも切腹を申し付けることが出来た。なのに、局長が江戸へ発つまでは処分など気振りも思わせなかった。

「ちょっと待ってくださいよ」

 自分でも無意識に足が止まった。

 山崎も、伊織の声が一段低くなったことに気付いてか、廊下の中央で立ち止まり、首を廻らせるだけでこちらを窺い見る。

「それじゃあ、土方さんの独断じゃないですか」

 近藤の取り決めた処分に納得がいかないのなら、即刻近藤へ異議を唱えれば良いのに。いや、大将である近藤に無断で隊士の処分など、そもそもするべきではない。


 

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