第十五章 萎靡沈滞(2)
そもそも、流石に武田も尾形には手出しするまいと思うからこそ言える軽口なのだが、尾形は心底から苦々しい表情をする。
それが面白くて、伊織のほうは思わず口許が綻んでしまうのだが。
非常に面白くなさそうに眉間を狭める尾形は、さっさと荷物の整理に手を動かし始めた。
「でも……」
ふと、伊織は表情を引き締めた。
「なんだ、まだ何かあるのか」
「いえ、ただ永倉さんも一緒、というのがちょっと意外な気がしませんか? あんな一件の直後ですし……」
一件、とは、勿論永倉が筆頭に立っての近藤糾弾事件の事を指す。
和解したのは言うまでもないのだが、一応は罰として、加担した者全員に謹慎処分が課せられている。
その中で永倉を江戸行きの要員に加えるとは、原田たち他の加担者の中に新たな不満は生まれないのだろうか。
むむ、と首を傾げた伊織を、尾形は軽く笑って一蹴した。
「局長は、筆頭に立った永倉さんを同行させる事で、今回の件を水に流す意を表しているんじゃないのか?」
笑うといってもこの男、声に出して大笑するわけがあるはずもなく、口の端を上げて見せただけである。
それでも、尾形の言うところは伊織にも素直に理解出来た。
少なくとも永倉も原田も、近藤にとっては江戸の試衛館で過ごす頃からの同志。
いくら鉄の隊規があるからと、みすみす古株の同志を処断しようなどとは考えないだろう。
永倉を連れて行くことで、他に謹慎している者たちにもこれ以上の処分がないことを暗に示しているのかもしれない。
「流石は局長だな、会津公の前につらつらと罪状を並べ立てられたというのに、お咎めはほんの数日の謹慎だけとはな」
「そうですよねぇ、懐が深いというか、何というか……。みんなが局長についていきたいと思わせられるのは、そういうとこが大きいんですかねぇ?」
「ま、お前も局長のような男になれるように頑張ることだな」
ご丁寧にも語尾に鼻で笑う音を聞かせ、尾形はまた手元に注意を向け出す。
「ええ全くですね。尾形さんもあれくらい寛大な人柄だったら、弟子の私もやりやすいんですけどね」
言われっ放しも悔しいと、伊織も負けじと撥ね付ければ、尾形はきりきりと冷ややかな視線を送って寄越した。
その口からまた嫌味が飛び出さないうちに、伊織は颯爽と腰を上げる。
「じゃあ暫くは尾形さんともお別れですね! 江戸のお土産、楽しみにしてますから~!」
言うだけ言うと、伊織はさっさと背を向けて、部屋の敷居を跨ぐ。
その背に掛けられた尾形の一言は、返す返すの揶揄ではなく、不在中の身辺の注意を促す言葉であった。
***
間もなくして、九月五日の早朝。
近藤を先頭にした一行は江戸へ向けて壬生屯所を後にしたのだった。
新たに隊士を募る目的と同時に、禁門の変以来、朝敵となった長州を征伐するに当たって、将軍に上洛を要請する目的もある旅だった。
土方と共に最前で見送りに立った伊織だが、近藤に直接声を掛けられることはなかった。
だが、尾形は笠を片手の旅装束で、こちらへ詰め寄ると、こっそりと耳打ちした。
「俺が帰るまでは副長に指示を受けているように。いいか、絶対に変な行動を取るのはやめろ」
「はあ、変な行動?」
例えば何ですかそれは、と問えば、尾形は一層怪訝な面持ちになる。
「たとえば、俺の居ぬ間に俺の褌とか着物とかを借りたりとかだな……」
「……安心してください。尾形さんの褌なんか気持ち悪くて締められません」
「俺の居ぬ間に、俺の愛用の布団で佐々木さんとごにょごにょしたりとかだな……」
「尾形さん、もう帰ってこなくていいですよ」
佐々木と誰がごにょごにょだ。
と、胸の悪くなる気分も最高潮に達しようというものだ。
餞別に何か一発平手打ちでもしてくれようかと思った、その矢先。
「どれ、小僧。暫しこの尻ともお別れだな。どれどれ」
「んぎゃぁ!!! た、武田、てめえ……!」
もぞり。と、腰の辺りに触れる感触に総毛立ち、伊織は咄嗟に目前の尾形の背後に回って威嚇する。
近藤や土方の居る前だというのに、本当に油断も隙もない。




