第十四章 唇歯輔車(8)
「時に、そのほう」
一時は剣呑な言い合いにもなった梶原が口を開いた。
先刻の刺を含んだ口調は一掃され、何の嫌味もない声音だが、その中に一縷、どことなく張り詰めたものがある。
その気配をつぶさに感じ取り、伊織は呼び声に振り返った。
「私、ですか?」
梶原の視線は、斎藤ではなくまっすぐに伊織へと延びている。
今度はまた何を言われるやら、と内心げんなりしつつ膝の向きを変える。
すると梶原は自らその膝をこちらへと詰めた。
「お主、会津の出身と聞いたのだが。それは真か」
「は……!?」
仰天した。
黒谷に詰める者には、一切会津出身ということは報せていないはずだった。
新選組の一隊士として名乗るには名乗ったが、その素性まで明かした覚えはない。
するとなると、誰かが言い漏らしたことになる。
無論、伊織が会津の出身というのは嘘ではない。
ただし、この時代の会津藩、ではなく、平成の時代の会津若松市、であるのが正しい。
勿論この時代の会津に知り合いなどいるわけがなく、血縁がいたとしても、それがどこの誰なのか、それすら知り得ないことだ。
会津出身は真実でも、事実上、会津の中では孤立無縁。
新選組の組織内では罷り通っても、本物の会津藩の中では余所者同然なのだ。
ゆえに、出身は明かさずにおいたのだが。
「梶原様……、誰がそんなことを……」
何となくその視線に後ろめたさを覚えながら問うと、梶原は更に声を潜めた。
「佐々木殿から聞いたぞ? 何でも親御を早くに亡くしたそうではないか」
「さ……!?」
佐々木か。
梶原に言い触らした人物は、佐々木か。
そういえば、確かに佐々木には話してあったかもしれない。
そしてそういえば、それが原因で、妾だの何だのと奇妙な話まで持ち上がったのだった。
これまですっかり失念していた事実を思い出し、伊織は尚も肩が重くなる感覚に囚われた。
「まあ、その他にもいろいろと聞き及んではいるが……」
と、何故か梶原の視線が斎藤へ流れたことに気が付いた。
しかしそれもすぐに伊織へ戻されると、梶原は一つ咳払いをして切り出した。
「お主、会津の国許を出て、どのような経緯で新選組に入ったのか、詳しく聞かせてみよ。父御は生前、何をしておられた? もしも士族なのであれば、今からでも藩にて取り立てて……」
「いえいえいえ!! ただの百姓です! たぶ……いえ、私なぞ、しがない百姓の長男で……!」
問い攻めにする梶原を慌てて遮り、思わず百姓の倅だと口走った。
が、実際のところ高宮家がどういう階級にあったのかまでは、正確に知るわけではない。
無難に無難に、と考えた末に出たのが、百姓だった。
「確かに、会津に生まれ会津に育ちましたが、それも今は昔のこと。現在は新選組隊士として会津公に仕えているも同然の身でございます」
「う、む……しかしなあ、佐々木から聞いた話でも、現にお主を目にしても、どうも百姓には見えぬが……」
顎に手を添え値踏みするような視線を寄越す梶原。
何とも勘の良い人物だが、どうやらこの様子では、伊織が女子だとまでは知らぬらしい。
「そちもなかなかに見所のある男のようだ。公の御前であれほど堂々とした振る舞いはそうそう出来ぬ。どうだ、今一度、会津に戻る気はないか?」
「めめめ滅相も……! いえ、お言葉は身に余る光栄ですが、ほんとに百姓ですので……」
そんな余裕は無いだろうとは思うものの、もし身元を調べ上げられるようなことがあれば……。
(身元なんか割り出せるはずがないんだよな……)
その早くに亡くなった両親とやらの墓だって、あるはずがない。
未来できちんと生きているのだから。
ずいずいと顔を寄せる梶原に、たじたじになって後ずさる。
すると梶原も暫し眉間を狭めていたが、やがて落胆したように眉根の力を解いた。
「ふむ……そうか。戻らぬか……」
「私などに、勿体無いお言葉です」
「そちは会津よりも新選組、というわけなのだな?」
ちらり、とこちらの出方を窺う梶原平馬。
意外としつこい。
聞こえよがしに大仰な吐息を漏らす梶原を前に、伊織はふと斎藤へ視線を滑らせた。




