無意味
魔力の塊であり、肉体が存在しない魔神ではあったが、その存在感は脅威であり、迫る相手の力は雪斗でも気圧されるほどだった。
(これが……魔神か……!)
心の内で声を発しながら、雪斗は魔神へ対抗する。『神降ろし』を維持したままの、全力――いかに邪竜であろうと無傷では済まない剣戟だが、魔神はそれを真正面から受けた。
刃が魔神の体を走った。手応えはあり、雪斗はまるで鋼鉄でも斬っているような感触を覚える。そして相手は、
『私が力を与えた邪竜であるなら、滅していたかもしれんな』
魔神は衝撃により後退していた。しかし、ダメージはどうやら――ない。
『残念だが、私には通用せん』
「……なるほど、間違いなく魔神だな」
雪斗は呟くと同時にさらに魔力を高める。
「翠芭、いけるな?」
「うん」
端的な返事と共に、雪斗と翠芭は同時に走った。それに対し魔神は魔力を操作して完全に人型を形成すると、両腕をかざした。
雪斗達の剣が左右から迫る。そして魔神はそれを手のひらで受け――
『まずは身の程を教えてやろう』
魔力が拡散し、魔神の体に衝撃波が駆け抜ける。迷宮を鳴動させるほどの力。しかし、魔神は雪斗達の刃を受け止め、切っ先を握りつかんでいた。
『肉体はとうに消え果てている……が、魔力だけの私で、十分だと』
魔神の腕が振られた。雪斗と翠芭は同時に吹き飛び、どうにか体勢を維持しながら地面に足を着ける。
(凄まじい力を持っていることは間違いない)
雪斗はそう断定しながら、呼吸を整える。
「リュシール、一つ聞きたいんだが、もし肉体を持っていたら今より遙かに強いのか?」
『そうね』
『どう考えてもやばいよね、あれは……』
リュシールの返事と同時にディルの声が聞こえた。
『雪斗、あれに勝てるの?』
「勝てる勝てないじゃなくて、勝つしかないだろ」
『それはそうだけど……』
「圧倒的な力の差を見せつけられた……というわけだが、疑問がある。なぜ今までああいった形で姿を現さなかったのか、だ」
魔力だけの体でこれほどまでに動けるのであれば、待つ必要などなかったはずだ。さっさと地上に降臨すればいい。だがそれをしなかったのは――
「……肉体がなければ迷宮から出られない。あるいは、その体の維持に制限時間がある、といったところか?」
『ほう、察しがいいな。よいだろう、教えてやる。この器では、まだ天神に邪魔立てされていることに加え、肉体という存在がないために魔力を消費する。つまり、貴様の候補両方が正解というわけだな』
「あっさりと答えてくれるんだな」
『これは慈悲だ。何も知らず死ぬゆくよりも有意義だろう? それに、教えた理由は明瞭だ』
魔神の魔力が膨らむ。それは暴風のように迷宮内を駆け巡り、雪斗達の体を震撼させる。
『この状態でも、貴様らを消すことなど容易いからだ!』
「……なら、それが間違いだってことを教えてやるよ!」
雪斗が声を発した直後、貴臣から魔法が解き放たれた。青い閃光であり、それが隙を晒した魔神へと直撃した。
威力は十分だったはずだが、それでも魔神は平然としている。拳を振りかざして閃光をかき消し、なおも余裕の言葉を発する。
『もう少し仲間がいれば、それを犠牲にして立ち回れたかもしれないものを――』
翠芭が魔神の背後に回った。さらに雪斗が正面から突撃して挟み込む形に。
しかし、魔神は動じなかった。翠芭のことはまるで見えていないかのように無視を続け、彼女の剣が魔神の背へ叩き込まれた。それによりわずかながら身じろぎする魔神。反応は、それだけだった。
『貴様らに勝ち目は存在しない』
次いで雪斗の剣を防ぐ。ギリギリと剣と腕がせめぎ合ったが、やがて魔神が腕を振り払って雪斗を吹き飛ばした。
『あきらめが悪いのは称賛に値する。しかし、理解できているはずだ……何もかも無意味だと』
「それを決めるのはお前じゃない。俺達だ」
『ふん、絶望的な状況が理解できないということか……まあいい。どちらにせよこうして存在を晒した以上、口を閉ざしてもらわねばなるまい。迷宮の支配者……貴様もだな』
一瞬だけ視線を支配者へ向ける。当の相手は無言に徹し、何も言わない。
『こいつらを処理すれば次は貴様だ。まあ支配者とはいえ、邪竜ほどの力もない。さしずめ人間ならばデザートと表現すべきか?』
「……甘く見ない方がいいぞ」
迷宮の支配者はそう答えた。すると、
『ほう? 私に勝てるということか?』
「違う……侮っている人間に足下をすくわれかねない、と言っている」
雪斗が仕掛ける。全力の剣戟を魔神は再び腕で防ぐ。
先ほどの同じように魔神が腕を振り払えば――ただ、ここから展開が違っていた。わずかながら、雪斗の剣が魔神の腕に食い込んだ。それに相手は反応し、
『ほう?』
驚愕と共に腕を振り払う。雪斗はそこで後退し、剣を構え直した。
「少しは見直してくれたか?」
『興味深いな……どうやった?』
「何も変なことはしていないさ」
雪斗は口の端に笑みを浮かべる。
「さすがに切り札についてペラペラ喋るつもりはない……が、はっきり言っておくぞ。なぜ傷つけられたかを解明できなければ、お前は死ぬ」
『私を脅すか?』
「脅しじゃなくて、単なる事実だが……翠芭、いけるな?」
「うん」
翠芭もまた、突撃しようという姿勢を見せる。ここで魔神の気配が変わる。侮っていた、あるいは嘲っていた様子から一変、獲物を追う獣のような雰囲気が混ざり始めた。
『切り札か……それを破れば私の勝ちというわけか』
「そうだな。もしこれが通用しなかったら、俺達の負けだ」
『面白い。ならば少しは楽しませてくれそうだ』
「そっちがやる気を見せてくれるなら、幸いだが……言っておくぞ。この技法は絶対に防げない」
雪斗の言葉に魔神の気配が変わる。ただそれは、怒りといった負の感情はなく、単純に興味から遊んでやろうというもの。
「必死にならないと、まずいと思うんだが……まあいいさ。翠芭、一気に決着をつける。それでいいな?」
雪斗は告げ駆ける。それに対し、魔神は――魔力を静かに発し、雪斗達が何をしてくるか注視するような構えだった。




