器の変容
迷宮の中へと侵入した雪斗達を出迎えたのは、静寂と変化した魔力――『魔紅玉』による異変のためか、以前訪れた時と様相は異なっていた。
「これは……」
「入口においても既に変化があるようね」
雪斗の呟きに続き、リュシールが反応。
「どれほど『魔紅玉』自体に変化があるのかわからないけれど、少なくとも今までにはない状態だと断定しても良いわ」
「これは、俺の願いが原因なのか?」
「それについてはわからないわね。そもそも邪竜が『魔紅玉』を手にした時点で何もかも例外ばかりになってしまったから。ユキトの願いによるものなのか、確定したことは言えないわ」
そう語った後、リュシールは笑みを浮かべる。
「ユキトは自分がすべきことをやっただけ。気に負わなくてもいいわ。それに、ここで解決してしまえばチャラにできるし」
「なら、全力でやらせてもらう」
「その意気ね……進みましょう」
雪斗達は迷宮内を歩み始める。魔物の姿など存在していないため、警戒もせず第二層、第三層と足を踏み入れていく。
元々全部で十層という規模であるため、罠や魔物を警戒する必要がなければそれほど時間も掛からず最深部へと到達する。どんどん階層が深くなって行くにつれ、雪斗達の間に緊張が生じる。それと同時に、魔力にも少しずつ変化が。
「なんだか、空気が重いね」
翠芭が率直な感想を述べると、雪斗はそれに首肯し、
「これは間違いなく『魔紅玉』が原因だな……発露した魔力が大気に変化を与えている……疑問なのはこれは本来『魔紅玉』が持っている魔力なのか? そうであれば、単に漏れ出ているってことだが」
「感じ取れる魔力から考えると、単純に漏れているという話ではないでしょう」
リュシールが提言。そこで雪斗は、
「わかるのか?」
「どれほど迷宮と付き合ったと思っているの? もちろん『魔紅玉』についてだって多くのことを把握している……その私から言わせてもらうと、確かに本来あるべき『魔紅玉』の力がこのおかしな魔力の中にはある。けれど、そうでない力もある」
「本来のものではない魔力……それはどういう理由で変質した?」
「そこについては不明ね。そもそも『魔紅玉』の魔力は、器の内部にあってこそのものだから、外部に出たことで変質するという可能性も否定できないわ。だから魔力が出ればこういう今まで感じたことのない力が発露するのかも……まあそもそも、魔力が漏れ出ているという時点で異常事態なのでしょうけれど」
「迷宮にはどのくらい影響があるんだろ……」
ここで翠芭が疑問を述べる。するとリュシールは、
「迷宮内にある内は、影響はないでしょう。魔物が跋扈している状態ならば異変があってもおかしくはないけれど、現在迷宮の支配者は実質味方と呼んで差し支えないくらいになっているし、敵意がなければ魔力に変化があっても私達には無害ね。もちろん一般の人が入り込んだら悪い影響を及ぼすかもしれないけれど……そもそも迷宮内にそんな人を招くようなこともないし、この場にいる私達はきちんと防御手段を心得ているし」
彼女の言葉に翠芭も納得をしたか頷く。ならばと、次は貴臣が口を開いた。
「では魔力が外に出たら?」
「これについてはおそらく何かしら影響がある……でしょうね。そもそも迷宮内に滞留する天神と魔神の力だって外に出ればどんなことになるかわからない。その状況下で『魔紅玉』の異質な力……もし外に出てしまったら、厄介な事態になりかねないわ」
「そうであれば、是が非でも止めないと」
雪斗が述べる。リュシールはそれに賛同するべく頷くと、
「そうね、『魔紅玉』さえなくなれば、この迷宮も役割を終える……残る問題は天神と魔神の魔力かしら。とはいえこれを除去するのは並大抵のことではない。時間が必要となるでしょうね」
「もし今後、何かトラブルが発生するとしたら、天神や魔神の魔力が悪さをするってことか」
「そうね……そんなことは絶対にさせないと私は言うけれど、未来は誰にもわからないわね」
懸念を表明しながらもリュシールの表情は明るい。理由は雪斗を安心させようという気持ちが込められているだろうが、それ以外にカイなどの出現が大きいだろうと雪斗は思う。
そうして会話をする内に、とうとう最深部へと辿り着いた。一行の目の前に台座に安置された『魔紅玉』が見え――そこから魔力が漏れ出ていることを、しかと確認する。
「ようこそ」
迷宮の支配者が告げ、雪斗達へ近づいてくる。
「状況は見ての通りだ。昨夜、突然変化が生じた……いや、兆候そのものはあった。私もつぶさに観察しているわけではなかったが、時折魔力が発露する現象があったように思う」
「このタイミングでおかしくなったのは、理由があるのか偶発的なのか……」
雪斗の言葉に迷宮の支配者は肩をすくめた。
「偶然と考えるのが妥当だろうな。人間だって突然体調が悪くなったりするだろう? 昨日まで平気だったのに腕を痛めたとか、あるいは風邪を引くといった変化が」
「それはまあ、確かに」
「この『魔紅玉』の場合……というより今回は物に置き換えた方が無難か。使い続けていた家具が突然壊れるというのもあり得ることだろう。まして『魔紅玉』は、台座に安置されていれば常に稼働し続ける……変調があってもおかしくはない」
「そうだな……ちなみに元に戻すことはできないか?」
「私の管理外であるため、そちらができなければ私も無理だ」
「わかった。なら……やっぱり破壊するしかなさそうだな」
雪斗の言葉に迷宮の支配者は一度頷き、
「歴史を終わらせるか……とはいえ、単純にいけばいいが」
「え?」
「この迷宮の歴史の中で、一つだけわかっていないことがあるだろう? それは他ならぬ『魔紅玉』を破壊しようとする……それを行う場合どうなるか」
「それは……?」
「より詳しく言えば『魔紅玉』に敵意を向けたことがない……あの邪竜ですら、迷宮を管理するために『魔紅玉』の力に従っていた。もし反応がある場合……さすがに『魔紅玉』が意思を持っているなどと言うつもりはない。だが、殺気があれば相応に反応する……そんな可能性も、憂慮はすべきだろうな」
その時『魔紅玉』の魔力が一度揺らいだ。まるで、迷宮の支配者の語ったことが正解であるかのような反応だった。




