最深部
グオオオ、と風の抜ける音が聞こえる。そこは迷宮最深部。雪斗達が邪竜との決戦を繰り広げた、戦場。
その場所に、グリーク大臣の行動により魔紅玉が再び設置されていた。願いを叶える力を持つ宝玉。フィスデイル王国首都ゼレンラートが繁栄するきっかけとなった、至高の道具。
この存在によって、人間はどれほど狂わされたのだろうか。願いを叶えるために、この魔紅玉を手にするために幾多の人間がこの迷宮を訪れた。そして文字通り魔紅玉を手にして希望をつかんだ。そうした事実が生きた伝説となって、幾度もこの迷宮を冒険者達が訪れた。
それはこの国にとってなくてはならないものとなっていた。迷宮が経済的な要素に組み込まれ、王の執政と共に国の中心となっていた。いや、霊具という概念を考えるならば、まさしくこの大陸全土の中心になっていたと主張しても決して間違いではなかった。場合によっては霊具を求めこの迷宮へ入り込む者だっていた。それはトレジャーハンターと呼ばれ、また彼らが倒れることによって武具が迷宮に残り、魔紅玉の力を経て新たな霊具となる。永遠に続くような循環が、この国に生まれていた。
それに牙をむいたのが邪竜の攻勢だった。普段ならば起こるはずのなかった事象。いくつもの偶然が重なって邪竜という存在が生まれた。
魔紅玉の力は誰もが認めるところであり、それが世界に牙をむいた時にどうなってしまうのか。その考えに至った者は邪竜が降臨する前までは誰もいなかった。だからこそ被害が拡大し、人類存亡の危機にまで発展した。
それを止めたのが来訪者達。戦線をひっくり返し、多数の犠牲を出しながらも彼らは邪竜を討つことに成功し、二度と迷宮が生まれないよう、魔紅玉を引き離した。
大陸の惨状を見れば誰もが認めることであった。フィスデイル王国の王であるジークも同じ見解であり、これで全て解決した――はずだった。
しかし邪な考えを抱く存在により再び迷宮が誕生した。一度、アレイスと決着を付けるために雪斗達が踏み込んだ時は比較的穏やかだった。多数の罠と狡猾な手段が存在していた修羅の場所だと記憶している雪斗からすれば、拍子抜けするような内容であった。
けれど、おそらくそんな状況は続かないだろう――そう雪斗自身は考えていたし、ジークなどを始めとして迷宮を知る者も同じ考えであった。
「……ん」
魔紅玉が安置されている周辺で小さく声がした。その存在は横になっており、ゆっくりと上体を起こす。
「……ああ、終わったのか」
迷宮の中にいて、何が起こったのかを認識する。この迷宮における前任者――言わば魔紅玉を守っていた存在が、ついに消えたのだ。
「どうやら邪竜と戦っていた者達が再び結集して、討ったようだな……面白い」
笑い声が、迷宮の最奥に響き渡った。誰も聞く者のいない声。それが迷宮の中でしばし響き、消える。
「ということは、ここへ来るな……魔紅玉が眠る、この場所へ」
ゆっくりと立ち上がる。人と同じ形をしたその存在はゆっくりと魔紅玉に手を伸ばし、触れる。
キィン、と小さくはあったが輝きが生まれた。それにより迷宮内にも変化が生じる。何をやったのか――簡単だ。いずれ来るはずである迷宮への来訪者を、迎え入れる準備だ。
魔紅玉を守る存在は、この迷宮に選ばれた存在。前回は邪竜であり、その力を遺憾なく発揮した。そして今回は、魔紅玉に触れた存在である――
「……ふう」
処置を施すと迷宮の主は小さく息をついた。
「さて、そう遠くない内にここへ入り込んでくるだろう……その時、彼らはどうするのだろうな」
次いで呟く。これから起こること――迷宮について事細かに理解している迷宮の主だけは、どうなるかはっきりとわかっている。
そしてそれが、この迷宮を訪れる者達にとって決して良い話ではないことも。
「来訪者……彼らがどういう風に考え、どう動くかによって、全てが決まるな」
迷宮の主は思考を巡らせる。彼らは魔紅玉を手にしてどうするつもりなのか。元の世界へ帰れるように願う? それとも、邪竜のような存在を生み出さないよう――あるいは、仮に出現しても大丈夫なように、処置を施すか。それはおそらく、
「……前途多難だな。彼らにとって」
嘆くように声を発した後、迷宮の主は地面に座り込んだ。
「ただ、簡単にここまで到達はさせるつもりはないぞ。魔紅玉を得るにふさわしい存在なのかどうか。それはしかと、見定めさせてもらおうか」
迷宮の主はここへ来るであろう者達に思いを馳せる。おそらく以前ここを訪れた者達も多く混ざっているだろう。天の神を背負い戦う異世界からの来訪者。そして霊具を操る王族に連なる者達。
これに加え、邪竜と戦った者達もまた、戦線に加わるだろう。迷宮の主はそれを迎え入れるべく、先ほど準備を行った。
迷宮内に風が流れる。迷宮の主以外に人と同様に声を発する存在はない。たった一人、孤独にこの場所を守り続けなければならない。
果たしてそんな価値があるのか――などと心の中でつぶやきながら迷宮の主は魔紅玉へ視線を向ける。この霊具こそ、迷宮を形作るもの。全ての根源であり、迷宮の主自身決して壊すことのできない、命とでも言うべき物。
もう一度、魔紅玉に触れようと立ち上がる。そして手をかざした瞬間、魔紅玉に渦巻く魔力が、少しばかり刺々しくなったような気がした。
「……ふん」
小さく笑うと迷宮の主は手を引き戻す。わかっている。なぜそのように感じたのかはわかりきっている。
そして同時に、この迷宮の歴史に終止符を打つことができるのは、今しかない。悲劇により迷宮を放棄すべきという世論を形成する今しかない。
再び、この迷宮が再起動する可能性もある。遠い未来に誰かが邪な感情に身を任せて魔紅玉の力を手に入れようとするかもしれない。
だが、それでは――迷宮の主は視線を変えた。この最奥にある唯一の入口。視線には見えていないが、いくつか角を曲がれば上へと進む階段がある。
「さあ、来い。来訪者達」
その声は迷宮へと吸い込まれ――消える。しかし迷宮の主はどこまでも、いずれ来る者達のことを想像してか、視線を変えることはなかった――




