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秘匿葬送記録  作者: 月影 朔


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27/101

山辺村水神祭祀記録(昭和初期)

【極秘】秘匿葬送記録:弐拾漆ノ巻

報告書番号: 昭和初-不詳-001

作成日時: 昭和初期某日(詳細不明)

報告者: 美濃国山辺村 観音庵 住職 不詳(花押欠損)

事案名: 山辺村水神祭祀記録


一、事案発生日時・場所

日時: 不詳(古文書による推定:昭和初期、夏期祭祀と葬儀が重なった数日間)

場所: 美濃国山辺村全域、並びに村の観音庵本堂。


二、故人情報

氏名: 吉川 タケ(よしかわ タケ)

享年: 82歳

死因: 老衰(豪雨により増水した川のほとりで発見される。直接の死因は老衰とされたが、衣服がひどく濡れており、不自然な点が残された)。

特記事項: 山辺村に代々続く古株の住民。村の古老として、水神祭祀の伝統に詳しかった。


三、事案の概要(時系列順)

不詳: 山辺村は古くから水神を祀る集落であり、特に雨季には大々的な水神祭祀が行われていた。その年、長老であるタケ婆が、ちょうど祭祀の最中に息を引き取った。村人たちは、この偶然を不吉な予兆と捉え、不安を抱えながら葬儀の準備を進めた。連日の大雨で、村を流れる小川は氾濫寸前であった。


不詳(通夜開式時): 観音庵本堂にてタケ婆の通夜が始まる。棺は村人たちによって運ばれたが、その道のりは普段よりも遥かに重く、濡れた土に足を取られそうになったという。読経中、住職の耳元に、どこからともなく「ザワザワ」と、まるで無数の水草が擦れ合うような音が聞こえ始めた。同時に、本堂の空気が、底なしの沼のように重く、生温かい湿気が充満し、村人たちの顔には、水底から上がった泥のような不自然な汗が滲み始めた。


不詳(通夜後): 通夜振る舞いの最中、本堂の床、特に故人の棺の周囲から、微かな、しかし粘りつくような「水の渦巻く音」が聞こえ始めた。「ゴボゴボ…ドロロ…」と、まるで水底で何かが蠢くようだった。見ると、畳の目が異常に浮き上がり、そこから微かに泥水が滲み出し、異様なまでの生臭さと、古びた土の匂いが混じり合い、本堂を満たした。村人たちは互いに顔を見合わせ、誰も言葉を発せなかった。


不詳(夜伽時): 住職が故人の傍らで夜伽を行う。本堂は暗闇に包まれ、不気味な水音が響き渡る。住職が読経を始めると、棺の中から「ブクブク…ゴポリ…」と、水中で泡が弾けるような音が聞こえてきた。その音は、まるでタケ婆が水中でまだ呼吸をしているかのようであり、あるいは別の「何か」が棺の中で膨張しているかのようでもあった。住職は喉の奥が焼け付くような渇きを覚え、読経の声が次第に力を失っていった。


不詳(告別式開始時): 告別式が始まる。夜伽の間の異変により、住職は全身が水を吸ったかのように重く、疲労困憊であったが、読経を続けた。しかし、読経の最中、彼の視界が水底から見上げるかのように歪み、祭壇の故人の棺が、まるで波間に揺れる小舟のように、不規則に大きく揺れ動いているのが見えた。棺の表面からは、どろりとした黒い水が滲み出し、そこから立ち上る蒸気は、水中の腐敗物と泥水の混じったような、吐き気を催す悪臭を放っていた。住職の体は小刻みに震え、読経の声はついに潰れた。参列者たちの肌は青白く、まるで水に浸かったかのようにふやけ、誰もが虚ろな目をして虚空を見つめていた。


不詳(出棺時): 棺を霊柩車代わりの荷車へ運ぶ際、住職は強烈な目眩と吐き気に襲われた。彼の眼には、棺が水中でぼんやりと浮かぶ、巨大な「何か」の塊に見え、その表面には、無数の水神の供物が、まるで生き物のように蠢いている幻覚を見た。彼は、その供物から伸びた無数の触手が、棺を絡め取り、自分たちを水底へと引きずり込もうとしているように感じたという。彼が棺に触れようと手を伸ばした瞬間、指先が強烈な冷たさと同時に、腐りかけた肉の感触に触れた。彼はその場に崩れ落ち、意識が朦朧とする中で、「水が…、飲み込む…」と呻いた。


不詳(出棺完了後): 荷車が出発した後、住職は本堂で大量の黒い泥水を吐き、意識を失って倒れ込んだ。彼の顔は土気色に変わり、全身から止めどなく泥水が流れ落ちていた。それは汗とは異なり、まるで体内の水分が全て泥水に置き換わったかのようであった。村人たちは住職を介抱しようとしたが、彼らの体もまた、水を吸ったかのように重く、動かすことすらままならなかったという。その後、数日のうちに村全体が深い霧と湿気に包まれ、家々の床下や壁から泥水が滲み出し、奇妙な水音が響き渡るようになった。まるで村全体が水底に沈んだかのようであった。


四、特異な点と考察

タケ婆の死が、雨季の水神祭祀と重なった点が、今回の怪異に深く関与している。

これは、水神への供養が疎かになったこと、あるいは死という穢れが祭祀を汚したことへの、水神、あるいは土地そのものからの怒り、あるいは拒絶が具現化したものと推測される。

本堂での「水草が擦れ合う音」「床からの泥水の滲み出し」「棺からの泡の音と揺れ」「棺からの黒い水と悪臭」、そして住職や村人たちの体調不良、特に「全身からの泥水」や「村全体の水没現象」といった症状は、水神、あるいは土地の「水」そのものが、故人の死をきっかけに、物理的に顕現し、集落全体を「侵食」していることを強く示唆している。

まるで村全体が、大昔に水没したかの記憶を呼び起こすかのように、現実に影響を及ぼしている。

読経という「浄化」の儀式が、かえって水神の怒りを刺激し、住職自身、ひいては村全体を危険に晒した可能性。水神が儀式に抵抗し、それを妨害するために、物理的な干渉を行ったと考えられる。

特に、住職の体から泥水が噴き出したのは、水神が彼に「水底の苦しみ」を味わせたのではないか。

「棺が水中で浮かぶ巨大な『何か』の塊に見え、水神の供物が蠢く」という住職の幻覚は、水神が単なる信仰の対象ではなく、具体的な「水の怪異そのもの」へと変質し、その怨念が集落全体を飲み込もうとしていることを示唆している。

この怪異は、単なる精神的な影響に留まらず、広範囲な物理的現象、特に集落全体の「水没」を伴う点で極めて危険であり、その侵食性と伝播性が最も恐るべき点である。

古くからの因習や土地の「ことわり」が、軽んじられた時に発現する、根源的な恐怖である。


五、対処・対策

住職はタケ婆の魂、そして水神の鎮魂を願って読経を続けたが、水神の怒りはすでに彼の理解と力を超えた存在となっていた。

事案後、この古文書は途中で記述が途絶えている。

しかし、後の調査で山辺村が昭和初期に突如として廃村となり、村人たちが忽然と姿を消したという記録が残されている。

村の跡地は、常に深い霧と湿気に覆われ、雨が降るたびに原因不明の洪水が頻発し、近づく者を拒むかのような異様な雰囲気に包まれているという。

この事案を重く見た当時の宗派は、水神祭祀と葬儀が重なることの危険性を最重要の禁忌とし、水神が祀られる地域での葬儀には細心の注意を払うよう通達した。


六、付記

本件は、「土地の信仰と死の儀式が交錯した結果、根源的な『水』の怪異が顕現し、集落全体を飲み込んだ」という、極めて恐ろしい事例である。

極秘記録中の最重要記録として、今後のあらゆる事例の参考に供する。

山辺村の怪異は、単なる個人の怨念に留まらず、土地そのものの怒りが、雨季の葬儀を契機に発現したものであり、その終わりなき浸食は、今もなお、霧と水音に包まれた廃村に深く刻まれている。

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