最後の稽古
互いの武器を用意し、向かい合う。
今度はアックスが審判を買って出た。
セイリュウとは何度も打ち合ったことがあった。そしてきっと、学院で手合わせをするのはこれで最後になる。
「――――試合開始!」
合図と同時に揃って距離を取った。シェイラは居合い切りを警戒して、セイリュウは相手の素早さを見越して。
期せずして、初めて実力テストで対戦した時と同じ展開。気付いてお互い小さく笑う。
先に仕掛けたのは、やはりシェイラだった。セイリュウ目掛けて素早く走る。
懐へ飛び込むと見せかけて、左脇を全速力ですり抜ける。その際、サッと剣を逆手に持ち替えた。
変則的な攻撃だったが、セイリュウは難なく受けきった。シェイラは細剣を持ち直し、返す刀で背後を切り払う。
そこからは、目にも止まらぬ打ち合いとなった。
シェイラが右から左から攻め立てるも、セイリュウは真っ向から防いでみせる。どころか、合間に反撃に打って出る余裕さえあった。
手数で言えばシェイラの方が多いが、圧倒的にセイリュウが優勢だ。
目の前の強敵に、果敢に立ち向かう。シェイラが最も好む展開だ。血が沸き立つような興奮を抑えきれない。
自然、唇は笑みを刻んでいた。目の前にあるセイリュウの顔にも、確かに勇ましい笑みが広がっている。まるで狂暴な獣が二匹、じゃれあっているようだった。
シェイラは咆哮を上げるように叫んだ。
「寂しいんですよ!」
セイリュウの黒瞳が、僅かに見開かれる。審判をしているアックスも、意外そうに眉を跳ね上げた。
シェイラは弾む息が更に乱れるのも構わず、胸の内をさらした。
「あなた方がいなくなるなんて、寂しい! もっと手合わせしたかった! 話したかった! 馬鹿なことも、くだらないことも、沢山……!」
腕が痺れる。気だるい疲労が蓄積し、肩が上がらなくなってきている。激しい攻防のために呼吸を整える暇がない。体力の限界が、すぐそこまで迫っていた。
――悔しい。まだ、終わりたくなんてないのに。
もっともっと体力があれば、いつまでもこの時間を楽しめたのに。技術があれば、何度だって挑むことができるのに。
今のシェイラには、全力を賭けて立ち向かうだけで精一杯。むしろアックスとセイリュウ、続けて相手取るほどの技量にはまだ足りなかったほどで。
流れ落ちる汗が右目に入ってツンと沁みた。涙がにじむ。
「沢山、学びました……! 剣と向き合うことを、誇りを、その背中で、教えてくれた!」
ギィィィンッ
感覚を失った右手から、細剣が弾き飛ばされた。
相棒は、クルクルと回転しながら宙を流れ、地面に突き刺さる。その軌跡を酷くゆっくり眺めた。
勝負は、決した。
シェイラは歯を食い縛ると、しっかり前を向いた。神妙な顔付きのセイリュウとアックスを視界に収める。
「……ありがとうございました! これからも頑張ってください! ――――ご卒業、おめでとうございます!」
思いきり深く下げた頭を、上げた時にはもうシェイラは笑っていた。
セイリュウもアックスもつられて笑う。
「勝者セイリュウ! ワッハッハッ、先輩組の完全勝利だな!」
「二人共、本当に少しも手加減してくれないんですから……」
この場面でなぜか脱ぎだしたアックスは気にしないことにして、シェイラは不満げに文句を言った。
けれど、セイリュウとアックスは全く笑顔を崩さない。
「手加減が必要なほど、君は弱くないだろう?」
「そもそも、そんな扱いをした方が失礼だしな! 礼を尽くし、全力で叩きのめしたまで!」
指摘にはぐうの音も出なかった。真剣勝負に手心を加えられたら、確かに悔しいなんて言葉では済まないはずだ。
シェイラはふて腐れて土の上に寝転んだ。
空にはいつの間にか星が輝き始めていて、過ぎ行く時の早さを思い知る。卒業の日まで、きっとあっという間だ。
「……僕、忘れません。二人とこうして刃を交えたこと。――――今まで本当に、ありがとうございました」
呟くシェイラの前に、いつの間に用意していたのか、アックスが厚手の上着を差し出した。
この寒い時期に汗を掻いたまま放置すれば、間違いなく風邪をひくだろう。外見によらず細やかな気遣いをみせる彼に、笑いながら礼を言った。
「でも、それだと寮長が寒いんじゃないですか?」
「安心しろ、ちゃんと全員分ある」
「そうなんですか。だったら、ありがたくお借りしますね」
「……何で背中に、『筋肉万歳』と刺繍してあるんだ…………」
アックスは高笑いをしながら、セイリュウは小さな声で疑問を呟きながら、シェイラの隣にそれぞれ腰を下ろした。
時々忘れてしまいそうになるが、アックスはこれでも貴族だ。にも関わらず、地面に直接座る行為を嫌がる素振りもない。
一瞬不思議になったシェイラだったが、彼の生家の変わった規則のおかげで、下町文化にも精通していることを思い出した。
――そっか。コディがこの二人と友達なら、寮長とセイリュウだって当然友達なんだよね。
どうりで、やけに親しげだと思った。その前提を知っていれば、上着の刺繍で揉める姿にさえ、何年もかけて培われた絆を感じる。
シェイラはむくりと体を起こした。
「刺繍はまぁいいとして、」
「……これを『まぁいい』で済ませられるなんて、君はやはり大物だな…………」
セイリュウが苦悩を帯びて呟いたが、構わず話を進める。
「先輩方の進路は、どうなったんですか?」
二人で視線を交わしたのち、まずセイリュウが口を開いた。
「俺は以前からほとんど内定していた通り、巡回兵団だ。だからといって、次期団長まで確定した訳ではないがな」
おどけたように肩をすくめる彼には、何の気負いも感じられない。けれど余裕を湛えた笑みには、頼もしさが覗いていて。
きっと彼は誠実に、謙虚に、巡回兵団の仲間から信頼を勝ち取っていくのだろうと予感した。そして、いつか確固たる地位を築くのだろうと。
強く優しい団長の姿が見えてくるようで、シェイラは自然と微笑んでいた。
「……セイリュウ、頑張ってくださいね。僕が騎士になれなかった時、職権濫用して拾ってくれると嬉しいです」
「あっさり悪どいことを言うんじゃない。というか、君が卒業するまでに要職に就いていろというのは、随分な無茶ぶりだぞ」
疲れた様子でツッコむセイリュウだったが、不意に穏やかな笑みを浮かべた。黒曜石のような瞳を優しく細めながら、シェイラの頭を撫でる。
「……王都に残るのだから、一生会えない訳じゃない。まだ、ミフネ家に招待する約束も、果たせていないしな。巡回中に見掛けたら、どうか君からも声をかけてほしい」
「――――はいっ」
決して別れではないのだと言ってくれる、その気持ちが嬉しい。髪をかき混ぜる手を心地よく感じながら、シェイラは泣きたいような気持ちで頷いた。
「……何だかセイリュウと話してると、コディを思い出します」
「馬鹿なことをするゼクスとアックスを、いつも俺とコディで引き止めていたせいだろうな」
「でも、コディより男らしくて、カッコいいです」
「え」
仲良く遊ぶ少年達を思い描くと、楽しい気持ちになった。コディとセイリュウは、悪戯ばかり繰り返すゼクス達の歯止め役だったのだろう。
「きっと大人びてるから、カッコいいんでしょうね。コディも数年後にはカッコよくなるのかなぁ」
「何だ、そういう意味か……」
無駄な動悸を押さえるセイリュウを尻目に、二度手間ながら服を着直したアックスが口を開いた。
「俺は、国境警備の任に就くことになったぞ」
「国境警備ですか! お兄さんのイザークさんが巡回兵団だから、何となく寮長もそうなのかなって思ってました」
「王都を護る仕事もやりがいはあるだろうがな。迷った末に、自分から希望したんだ」
アックスと会話が成立するなんて、失礼だがとても珍しい。戸惑い目を瞬かせていたシェイラだったが、彼の誇らしげな横顔に口を噤んだ。
「強く忍耐力のある者にしか、国境警備は務まらん。国を守る一柱になれることを、俺は嬉しく思っている」
「――――」
気高い姿勢に、肌が粟立った。子どもの頃にクローシェザードを見た時のような身震いを覚える。
騎士とは、役職の名称ではない。巡回兵団だろうと国境警備だろうと、その誇り高さが騎士なのだ。
アックスが輝いて見えて、けれど素直に言うのは恥ずかしいから、シェイラは別の話題を口にした。
「……どこの、国境に行くんですか?」
彼は、シェイラの様子に気付くことなく答える。
「東だ。ファリル神国との国境沿いだから、比較的厳しい場所になるな」
国境は遠い。きっとこれからほとんど会えなくなる。それでもシェイラは、ようやく、心から笑うことができた。
「……僕、ずっとウジウジ悩んでたんですけど」
体を伸ばすようにこぶしを突き上げて、子どもみたいに顔中で笑う。
「結局、体を動かすのが一番ですね。一発で解決しちゃいました!」
シェイラの言葉を受け、セイリュウとアックスは一拍間を置いたのち、弾けるように笑いだした。
『流石筋肉同盟の後継者!』という聞き逃せない単語を捉えたが、否定しようにも見事に笑い転げている。これでは何を言っても聞こえないだろう。
なぜ笑われているのか。若干理不尽な思いに駆られながら、シェイラは先輩方が落ち着くのを待つことにした。何となく見上げた上空は、既に満天の星空だ。
「…………ん? 星空?」
灯りの魔道具のせいで分かりにくいが、もうすっかり辺りは暗い。今は一体何時頃だろうか。
「――――あぁっ、食堂!?」
シェイラの叫びに、笑い声はピタリと収まった。
そう、食堂は6時から8時まで。育ち盛りの若者達が食いはぐれるなんて、それこそ死活問題なのだ。
意識に上ると途端に空腹感が増していく。シェイラはキュウ、と憐れっぽく鳴るお腹を押さえた。
「ヤベェ! 急ぐぞ!」
アックスの声を号令に全速力で戻った三人は、食堂のおばさん方に呆れられながら、掻き込むように夕食を済ませたのだった。




