発熱
実技実習前の柔軟体操の途中。コディが心配そうにシェイラの顔を覗き込んだ。
「シェイラ、やっぱり少し体が熱いよ。休んだ方がよかったんじゃないの?」
「大丈夫……。今日一日何とかこなせば、明日は休みだし」
昨日ずぶ濡れのままで昼寝をしたために、シェイラは微熱気味だった。
できるだけ休みたくなかったので、少しだるい体に鞭を打って授業に参加している。
「それより、昨日借りたブレザーのことを考えると頭が痛いよ。誰に返せばいいのかも分からないし」
借りっぱなしはよくないと思うものの、持ち主が分からない。
コディにもゼクスにもバートにも、親しい者には手当たり次第確認をとったが首を横に振られた。であるならば、貴族の誰かである可能性がとても高くなる。平民に優しくしたなんて噂が立てば持ち主が嫌がるかもしれないため、大々的に探すこともできずにいた。
「あり得そうな知り合いには大体聞いてみたもんね。流石に寮長の体格からあの細身のブレザーはないと思うし」
「寮長だったらその場で容赦なく叩き起こしそうだしね」
「高学年の特待生の人達にも聞いたんだよね?」
「うん。セイリュウ先輩も、皆も違うって言ってたよ」
そもそもシェイラには、相手が誰か分かったとしてもまだ問題が残っていた。
その誰かは、シェイラの性別に気付いているかもしれないのだ。昨日の今日でおかしな噂が立っている様子はないが、油断はできない。
いつも通り、授業は滞りなく進んでいく。風当たりがきついことにももう大分慣れた。
しかし授業が終わった時、いつもと違う展開がシェイラを待っていた。
「おい」
若干ふらつきながら歩いていると、背後から声がかかった。
緩慢に振り返る当人より先に反応していたコディが、相手を認識し、シェイラを隠すようにさりげなく前に出た。
「ディリアム先輩…………」
金色の髪に胡桃色の瞳。貴族的な整った顔立ち。声をかけてきたのは偉そうに腕を組んだディリアムだった。
体調不良の原因でもあるので、友人が警戒するのも無理はない。けれどシェイラを堂々と庇うと、今度はコディの立場が悪くなる。大丈夫という意味を込めて彼の肩を叩き、ディリアムとしっかり向き合った。
「どうしました?」
「具合が悪そうだが…………私は昨日のことを決して謝らないからな」
わざわざ声をかけてまで何を言うかと思えば、よく分からない宣言をされてしまった。シェイラは頬をポリポリと掻いた。
「はぁ、そうですか」
「そうだ。……で、どうなんだ。辛いのか」
「いえ。微熱程度なのでそれほどでも」
「そうか。別に気にしてはいないがな。―――――だが」
ディリアムの胡桃色の瞳が、キッとシェイラを睨み付けた。
「下らないことはもうやらん。貴様には、あまり効果もなさそうだしな」
「………………え?」
「以上だ!ではな!」
シェイラの返事を聞くことなく、ディリアムは足早に歩き去っていく。その早足が照れ隠しに見えるのは気のせいだろうか。
警戒を解いたコディも、ほんの少し頬を緩めた。
「…………こうやって、少しずつでもいいから、君を認める人が増えていけばいいね」
「――――うん」
昨日のやり取りで、彼が何を感じたのかは分からない。けれど、嫌がらせにただ耐えるだけでは現状が変わることはないのかもしれない。
神妙な面持ちで小さくなっていく背中を見つめていると、再び声をかけられた。
「シェイラ⋅ダナウ」
振り向くと、ディリアムと同じようにいつも悪意を向けてくる生徒の一人が立っていた。彼の足元には授業で使った大きなマットがある。
「クローシェザード先生に頼まれたんだ。お前、このマットを一緒に運べ」
「…………僕がですか?」
「他に誰がいる?さっさと来い」
シェイラは一つ息をつき、既に背を向けている少年の方に歩き出す。するとコディが手を引き、耳元で素早く囁いた。
「――――大丈夫?」
「うん。心配しないで。……ディリアム先輩みたいに、話してみないと分からないことって、あるかもしれないから」
一度上手くいったからって、次も上手くいくとは限らない。
けれど断るという選択肢はないのだから、事態がいい方向に動くことを願って行くしかないのだ。
心配そうにしながら寮に戻っていくコディに手を振り、マットを運び始める。大きいマットなので、当然のことながら重い。ヨロヨロしながら歩くシェイラに、相手は苛立っているようだった。道中何度もあからさまな舌打ちをされた。
ようやく用具室が見えてきた。
狭い空間には、授業で使うボールや組み手用のリアルな人形などがところ狭しと置かれている。灯りはなく、辺りには埃の臭いが充満してした。
運び終える頃シェイラは汗だくで、呼吸も乱れていた。
「何とか、終わりましたね」
「ご苦労だったな」
「いえ。役に立てたならよかったです」
少年は、何の感慨もなさそうにさっさと歩き出す。
彼のあとに続き用具室を出ようとした、その時。
ガシャンッ
なぜか目の前で、扉が閉ざされてしまった。ご丁寧にガチャリと鍵のかかる音までする。
「え?あの、ちょっとっ、」
「ディリアムはほだされたようだが、俺は決してお前など認めないからな」
頭が働かなくて、彼が何を言っているのか分からない。シェイラは金属製の重い扉を何度も叩いた。
「え?え?」
「今、魔術を使って鍵に細工した。コディ辺りが助けに来るかもしれないが、奴が開けようとしても無駄だからな」
ここに来てようやく、自分が閉じ込められようとしていることに気付いた。これも嫌がらせの一貫ということだろうが、シェイラの体調が悪いことを知っているなら少々悪質だ。
「この学院から出ていくと約束するなら、今すぐ出してやってもいいぞ」
結局そこを責められるのか。シェイラは歯噛みする思いで俯いた。
「…………嫌です。絶対、出ていきません」
外側から、ドンッと強く扉が殴られた。
「本当に生意気な奴だな!精々そこで頭を冷やせばいい!気が向いたら出してやるさ!」
躊躇する素振りもなく、荒れた足音が遠ざかっていく。
シェイラはガックリと俯いた。ヨロヨロと歩き、たった今運び込んだマットに座る。
用具室には、嵌め殺しの細い窓が一つ。しかも格子までかかっているため無意味に厳重だ。どう足掻いても助けを呼ぶことはできそうにない。
ボスン、とマットにあお向けに転がった。
――今の状況ではどうでもいいことだけど、これがディリアム先輩の仕業じゃなくて少しホッとしてる。
ディリアムを罵っていたということは、彼は今回のことと無関係ということだ。
もう何もしないと宣言したのが、油断させるためだったとか。彼と裏では組んでいるのではないかとか。……そんなふうに疑い始めれば、誰も信じられなくなる。
「――――困ったなぁ。鍵がかけられちゃったのかぁ」
薄暗い中、突如のんびりとした声が響いた。
シェイラは勢いよく飛び起きる。
「教師の僕がいるのに鍵を閉めてしまうなんて、注意力が足りないと思わない?失礼な話だよねぇ」
部屋の隅、闇を切り取ったような暗がりから、ゆっくりと人影が姿を現す。
流れる清水のような青灰色の髪と、星空を閉じ込めた紺碧の瞳。整いすぎた容貌に艶然とした笑みを湛えるその人は。
――何だろう。この展開、スッゴく既視感。
本格的に熱が上がってきたのだろうか。寒気がするのはなぜだろう。
「こんなところで逢うなんて奇遇だね。最早僕は運命さえ感じているよ。――――ねぇ、シェイラ⋅ダナウ君?」
用具室に閉じ込められているとは思えないほど優雅な足取りで現れたのは、ヨルンヴェルナだった。




