息抜き
その日、最後の授業が終わった途端ゼクスに捕まった。
「シェイラ、今から街に遊び行こうぜ」
「街に?」
ヨルンヴェルナは研究の関係で時間を取れないらしく、今日は久し振りに予定のない放課後だった。一応宿題は出されているので、全くやることがないというわけではないのだが。
「無理にとは言わないけど、順調に成績が伸びてるようだし、たまには息抜きもいいんじゃないかな」
コディにも穏やかに微笑みかけられ、シェイラの心は一気に傾いた。最近、我ながら根を詰めすぎていたと思う。まだみんなと肩を並べられる成績には遠いけれど、たまには勉強のことを一切忘れて羽を伸ばしたい。
シェイラは一も二もなく頷いた。
歩きだした三人は急ぎ足で玄関に向かう。門限の八時前に帰りたいから、結構忙しい。
「俺達、街に行く時は外で食事すませてんだけど、ちゃんと金持ってるか?」
「うん。何かあった時のためにって、おこづかいを少しだけもらってるんだ。そんなに高いところでなければ問題ないと思うよ」
財布の中身を覗きながら答えると、ゼクスは機嫌よさそうにシェイラの肩を叩いた。楽しみなのは分かるが、少しは手加減してほしい。
「安くてウマイところだから安心してろ。それに何と言っても潤いがあるしな」
「潤い?」
「女だよ、女。行きつけの食堂の看板娘がまた可愛くてさ。狙ってるヤツも多いんだぜ」
「ふーん」
シェイラはどちらかというと、女の子より街の散策が楽しみだった。
あまりに慌ただしく日々が過ぎていくので、まだ一度も王都を歩いたことがない。いまだに馬車の中から眺める景色しか知らないのだ。
フェリクスが食べさせてくれる甘いお菓子を思い出す。見た目も華やかでおいしい物が、王都にはまだ沢山あるのだろうか。
広がる期待に胸を弾ませていると、コディが微笑ましげにクスリと笑った。
「ヨルンヴェルナ先生に教えてもらえるようになったから、こうして遊ぶ時間が作れたんだよ。よかったね、分かるようになれば授業も楽しいだろ?」
「うん。ただ感謝はしてるけど、よかったとは絶対に言いたくないなぁ」
息が詰まるようなやり取りを思い出して顔をしかめていると、コディが栗色の瞳を瞬かせた。
「ヨルンヴェルナ先生に、何か嫌がらせでもされてるの?」
「そりゃそうだろ。こいつが防波堤をしてるから俺達は平和なんだぜ?」
ゼクスが軽い調子で笑ったのに対し、コディは深刻な表情になった。シェイラは慌てて手を振った。
「いやいや、ベタベタ触ってくるし、変なこと言ってからかったりするよ。でも嫌がらせではないと思うな」
男二人が何とも言えない顔で視線を合わせる。これは、会話の途中などでたまに見かける光景だ。
ゼクスが面倒そうに砂色の髪を掻きむしり、息を吐いた。
「シェイラ、気を付けろよ。あの人のそういう噂は聞いたことねぇから、そっちの趣味はないと思うけど」
「そっちの趣味?」
小首を傾げると、彼はますます顔をしかめる。
「はー……。お前は今まで、物陰に隠れてる野郎共を見て何も感じなかったのか?」
「あぁ、たまに見るよね。そりゃあ僕だって何してるんだろうなって思ってたけど」
廊下の隅や階段の裏、ひと気のない教室などで見かけるたび、彼らは何をしているのかと気になっていた。けれどそれを確かめる前にコディ達に手を引かれてしまうため、真相は分からないままなのだ。
「見物するような無粋は、しない方が身のためだよ。……衝撃でトラウマになりそうだし」
コディの忠告に、頭の中の疑問符が更に増えた。
「何が?」
「――――――お前、ホンット鈍いな。イチャイチャしてるんだよ!ヤロー同士で!」
ゼクスが堪りかねたように叫んだ。
道行く人が不審げにチラチラと視線を寄越しながら通り過ぎていく。この場合、一緒にいるシェイラ達も一括りと見なされているのだろう。居たたまれなかったのかコディが恥ずかしそうに顔を伏せた。
「うーん、どういうこと?男同士で何でイチャイチャするの?」
まだゼクスの言葉が、完全には浸透しきっていない。シェイラは途方に暮れたように眉尻を下げた。
他人のふりをしたがっていたコディだったが、珍しく気弱げなシェイラを見捨てることはできず、諭すような口調で言った。
「…………学院には教師も含めて男しかいないだろ?そういう特殊な環境下に置かれると、男同士でも不思議と好意が芽生えたりするものなんだよ。物陰に二人きりで密着していたら、十中八九愛し合っているとみた方がいい」
「え…………だって、あ、愛し合うってどうやって?その、物理的に無理じゃない?」
「それを俺らに説明さすなー!」
ゼクスが蒼白になりながら再び絶叫した。コディは今度こそ顔を覆い隠す。何だか泣いてるようにも見える悲壮感だった。
気まずい沈黙が下り、しばらくは黙々と歩き続ける。周囲の賑やかさが耳に痛い。
三人で周囲も憚らず喋っていたら、いつの間にか王都の中央通りに到着していたらしい。
花売りの少女の笑顔、酒場の呼び込み、精肉店の叩き売り。普段なら胸をワクワクさせるそれらが、今の心境では逆に辛かった。
勇気を出して沈黙を破ったのは、シェイラだった。
「あの、コディとゼクスも?その…………とても仲よしだけど」
取り戻しかけていた二人の顔色が、ザッと失われた。
「変な誤解すんじゃねー!アホか!だから潤い補給に行くっつってんだろ!」
「シェイラ、その誤解だけは本当にやめてね。必死に隠してるとかじゃなくて、本気でないから。…………そんな思いやりのある目で見ないで。慈愛に満ちた微笑みとかやめて。変に気を回さないで。分かってるよ、みたいに頷かないで。僕は二人のこと応援するよって激励もいらないからー!」
混乱の渦が巻き起こり一気に場が騒然とする。けれど普段から一緒にいるだけあって、そこは以心伝心。あらぬ誤解が生じることもなく、三人は何とか気持ちを鎮めた。
「……そっか、ごめん。二人は付き合ってないんだね」
なぜか荒くなっていた呼吸を整えながら、シェイラが安堵の息をついた。二人が恋人同士でもこれまで通り付き合っていきたいが、気を遣わなければならない場面は必ず出てきたはずだ。
「でも、学院がそんなだったなんて、全然知らなかったな…………」
「まぁ、ごく一部の話だよ。僕らもいつかは君に教えなきゃと思っていたけど、突然で驚いたよね。でもこれで、これからは気を付けなくちゃいけないって分かっただろ?君はホラ、華奢だし女顔だから。万が一にも襲われないとは限らないからね」
「…………そうだね」
襲われて体に触れられた時、女だとバレたら二重でマズイ。シェイラは思い詰めた表情で何度も頷いた。
「どんなに女っぽく見えても、こいつが男の中の男だってことは少し話せば分かることなのにな。五分で萎えるぜ、五分」
「………………」
男の中の男と断定されるのも、胸中複雑だ。さすがデナン村でも嫁き遅れていた売れ残りといったところか。
そうか、五分で萎えるほど女としての魅力がないのか、と今更ながら納得していると、コディが肩に手を置いた。
「せっかく息抜きに来たんだから、こんな話はもうおしまいにしよう。どこか行きたいところはある?」
ゼクスがいまだかつてないほどの電光石火で挙手をした。
「食堂!看板娘のアリンちゃん!今、切実に会いたい!」
「ゼクスには聞いてないの。シェイラ、どうする?希望があるなら、まずそこに案内するよ」
少し考えてから、シェイラは顔を上げた。
「――――僕、お菓子屋さんに行きたい!」




