奇策
お久しぶりです!
いつもありがとうございます(*^^*)
気配を感じることはできずとも、精霊はそこかしこに存在している。
太陽が、風が、海が。この大地がなくならない限り、彼らは大気に満ちている。常に人に寄り添っているのだ。
そんな精霊や神々への感謝を、デナン村の住人は忘れない。そのためにシェイラ達は、精霊術を使うことができる。
一方。精霊とは異なり、神々は遥か高みに存在するものだ。
けれど彼らの息吹は、日々の営みの中に確かに息づいている。
生きとし生けるもの全てを慈悲深く見守っているのだろう。そう。きっと今、この瞬間にも。
王都には、フェリクスがいる。ルルもリチャードも。ハイデリオンやトルドリッド達は、無事に避難できただろうか。アックスやセイリュウはどうしているだろう。
コディとゼクスは、今も巡回兵団と共にいるに違いない。イザークやゾラと一緒に、城下に住む人々を避難させている姿が目に浮かんだ。アビィや、失踪事件で関わったメルヴィス達も。
薬店の顔ぶれも次々に甦る。エイミーに、常連客のトマス、ノーマン。生意気なロイ。
……シェイラの護りたいものがたくさんあった。今にも蹂躙されようとしている、王都に。
この嘆きを、神々に伝えることができたなら。助力を乞うことができたなら。
それを伝えるための言葉を――――シェイラは既に知っている。
古代語とは、正確には古代神語。神々が使っていた言語とされている。
すう、と肺いっぱいに息を吸い込んだ。
『……大地に恵みを授けし神々よ、』
たった一文言の葉にのせただけで、喉に針を突き刺すような痛みが走った。体もずんと重くなる。
「どうした!?」
突然地面に膝を付いたシェイラに、クローシェザードが駆け寄った。
肩を抱いて支えてくれる気配は感じるが、全身の千切れそうな痛みにほとんど感覚がない。
「どこか怪我をしていたのか、シェイラ!? まさか魔物の毒を!?」
「ちが……へ、いき……です……」
苦しい。脂汗が一気に吹き出してくる。
どくどくと身体中が脈打っているようだし、喉が熱い。神にすがるとこれほどの反動があるのか。
それでも、シェイラは口端を吊り上げた。
負荷がかかる分だけ、欲する力が与えられるということに他ならないのだから。
――いける。
◇ ◆ ◇
頼りなく体重を預けていたシェイラの笑みに、クローシェザードは息を呑んだ。
ヨルンヴェルナとレイディルーンも訝しむように眉を寄せている。
よろけながらも立ち上がろうとする華奢な体を、クローシェザードは引き留められなかった。離れていく体温に腕が戦慄く。
頭のどこかが警鐘を鳴らした。彼女は、一体何をしようとしている?
震える膝で立ち上がるシェイラはそれほど危うく、侵しがたかった。
全身からほとばしる迫力。黄燈色の瞳は殺気だっているようにさえ見えるのに、どこか透明な静けさもある。
『――天駆ける百雷に宿りし、雷の女神アスタルトゥテよ』
珊瑚色の小さな唇から、凛とした声が発される。
途端に場を支配したのは、凄烈で澄んだ空気。
もしかしたら彼女は今、とてつもない何かを受け入れようとしているのではないか――。
『祈りとは人の力、まさに人そのもの。どうか私にお与えください。いかなる逆境にも立ち向かう勇敢さを。歪むことのない心を』
シェイラは流暢に古代神語を紡いでいく。
絶えず彼女を彩る鮮やかな表情も今は失われ、呆然と見守ることしかできない。
昔、ファリル神国に行った際、教会に在籍する神官や巫女を見たことがあった。
清廉な姿に圧倒されたけれど、個というものを全く感じさせない様子が一際印象に残っている。
まるで神と対話するためだけの存在のような。
今のシェイラは、まさにそれに近かった。
神聖で、無私。神の器。
『今一度、この祈りをもってお授けください。アスタルトゥテよ、畏怖と尊崇の神よ。あらゆることに打ち勝つ強さを、絶望に希望を、そして――暗闇に聖なる雷をもたらしたまえ』
長い詠唱が……いや、雷神アスタルトゥテへの祝詞が終わる。
その時、奇跡が起こった。
◇ ◆ ◇
シェイラは一心不乱に祈っていた。
言葉が自然とこぼれ落ちる。まるで自分じゃない誰かが、勝手に体を動かしているようだった。
祈れば祈るほど、心が研ぎ澄まされていく。願いの形が明確になる。
クローシェザード達が止め立てしないことがありがたかった。今はただ、世界に神とシェイラのみと錯覚する。
乞うように空を見上げた。
闇に沈みかけた藍色の空。シェイラ達の頭上には、既に宵の明星が輝いている。対照的に、山の端は残照に照らされ燃えているよう。
美しい、と思ったその思考ごと、世界に溶け込んでいく。全てが一つになる。
ドラゴンは既に、頭上を通り過ぎようとしていた。けれどシェイラは、奇跡が起きることを疑っていなかった。
祈りを終え、ひたすら上空を見つめる。
雷光が空を切り裂いたのは、その直後だった。
ドラゴンの巨体を呑み込む、大きな大きな光の奔流。そして轟音。
初めて目にする規模の雷だった。側にいたシェイラ達に被害がなかったのが、信じられないほどだ。
昼間に逆戻りしたような凄まじい光量と、地面が揺れるほどの雷鳴。目も耳もしばらく使い物にならなくなった。
「――ド、ドラゴンは……?」
しばらく経ってようやく目を開けられるようになったシェイラは、頭上を見上げた。あれほど存在感を誇示していたドラゴンがいない。
地面を見回す。何か大きなものが落下しているようにも見えるが、周囲は魔物の死骸だらけな上に、暗くて判然としない。
クローシェザード達と視線を交わすと、シェイラは走り出した。
近付くにつれ、その全容が明らかになっていく。
真っ先にたどり着いたシェイラは、言葉もなく立ち尽くした。あとから追い付いてきたクローシェザードやレイディルーンも絶句している。
十メートルを越える体長で悠々と滑空していたドラコンが、原型を留めていなかった。一瞬で焼け焦げたためか、肉の焼ける異臭すら感じられない。
精霊術でも、まして魔術でも再現することが不可能な威力。――――まさしく神の鉄槌。
「凄まじいねぇ……」
黒焦げになった巨体を見下ろし、ヨルンヴェルナがどこか虚ろな声で呟く。
重苦しい空気に耐えられなくなったシェイラは、情けない声を上げるしかなかった。
「いや、だって。絵本に出てくるドラゴンみたいに、国を滅ぼされちゃうと思ったんですよ。勇者とか聖剣なんてその辺に都合よく落ちてないし、どうにかしなきゃって……」
ほとんど泣きながら白状すると、男三人は揃って頭を抱えた。
けれど表情は三者三様だ。
クローシェザードは特大の苦虫を噛み潰したような顔だし、レイディルーンは怒りをギリギリで堪えているように見える。
ヨルンヴェルナが苦笑してくれて多少気持ちも浮上したが、彼に救われるというのも不本意だ。
この期に及んで、シェイラが何を行ったのか問い質す者は一人としていない。
古代神語を唱えていたことから薄々察しているのか、単に真相を知りたくないだけか。
レイディルーンが盛大なため息をついた。
「絵本のように火を吹く種はいないし、そもそもたった一匹のドラゴンに国が滅ぼされたなんて記録はない。あんなもの、虚構に決まっているだろうが」
「え、そうなんですか?」
思い違いを訂正され、シェイラは頬を引きつらせた。何だか言い訳をしたのに、かえってボロが出てしまっているような。
「あー……。えっとこれって、何て呼ぶべきなんですかね。神々の力を借りてるから、神術?」
「呼び名など、今最もどうでもいい問題だろうな」
話題を変えようと試みるも、今度はクローシェザードが口を開く。
すげない返答に、シェイラは肩身の狭い思いになった。可愛い教え子の行いを、何も全力で否定しなくていいのに。
「こんな話でもしてないと、やってられない気分なんですよ。これでも一応」
「現実を受け止めろ、自業自得だ」
「うぅ……」
さすがに落ち込みだしたシェイラに、ヨルンヴェルナが苦笑する。
そして誰もが目を背けたがっていた問題を、躊躇いなく突き付けた。
「まぁとりあえずの問題は、この事態を国へどう説明するかだよねぇ」
「…………」
途端に全員が口を噤み、目下の難題を見下ろす。
魔物の襲撃を瀬戸際で防ぎきった功労者達は、疲労の濃い顔を突き合わせ長々と苦悩するのだった。




