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閑話 何のために

 数十年前──。

 魔王と呼ばれる男が世界に現れたその頃。



「なあ、ガレス。僕はさ、時々逃げたしたくなるんだ。四大勇者だなんて僕が頼んだわけじゃない、死ぬのはごめんだよ」


 四人の勇者が魔王の居城に近づいたその日、タイアスはそう言った。

 手にはファルルアンの秘宝と呼ばれた杖がしっかりと握られている。

 だが、その手は震えていた。

 彼の前に立つ男は、何も言わずに空を見上げている。


 真紅に燃え上がるような髪、鍛え上げられた体。

 銀色の鎧と、炎のごとき赤い輝きを見せる槍を持った二十歳ぐらいの青年だ。

 一方で、タイアスは大してとりえもない肉体を奮い立たせて今日まで戦ってきた。

 年齢は同ぐらい、勇者というよりは、学者といった雰囲気の青年だ。

 手にした杖がなければ、とうに死んでいたことはタイアス自身もよく分かっている。

 タイアスは笑った。


「ガレス、僕の悩みなんか君には分からないよね。君は強いから。いつだって、ずっと君に憧れてたんだ。どんな相手だって君は逃げたりしなかった。僕も君みたいになりたかったんだ」


 士官学校で初めて彼を見たときから、タイアスは目を奪われた。

 燃え上がるようなその赤い髪と同じように輝く、その瞳の色に。

 出会った時から彼は、タイアスにとってこうなりたいという存在そのものだった。


 少し離れた場所でエメラルド色の髪をした美しい女性が、空高く舞い上がってあたりの様子を監視している。

 年齢を経ても衰えないその美貌は、いつだって士官学校の生徒たちを魅了していた。

 高位の精霊と同化したその姿は、まるで女神のように神々しい。


「ミレティ先生は、どうして僕なんかを選んだのかな。勇者になんかふさわしくないのに。震えるんだよ……。情けないだろ? こんなに手が震えるんだ!」


 タイアスは、拳を握りしめると俯いてそう言った。

 暫くすると強い力で、自分のその手が握られるのを感じた。

 目の前に赤い髪の勇者が胡坐をかいて、その手をタイアスの手に重ねている。


「分かるか? タイアス」


 タイアスは顔を上げた。


「ガレス……」


「自慢じゃないが、俺もさっきから震えが止まらない。情けない勇者だ。相手は『あいつ』だ、ミレティ先生さえ天才だって言い切ったあの男だ。正直俺も勝てる気がしないさ」


 ガレスはそう言うと笑った。


「なあタイアス、何故その杖はお前を選んだんだろうな? 俺でもなく、ミレティ先生でもなく、そしてマシャリア先生でもない」


 タイアスは休息をとるために、油断のない姿勢で眠りに落ちているエルフの女騎士を見た。

 美しく四大勇者に相応しい力を持った、氷の魔剣士。

 類まれな才能を持つガレスに、剣や槍を教えたのは彼女だ。

 ガレスの言葉に、タイアスは首を横に振った。


「分からないよ。僕よりも君の方がずっと相応しいのに。どうして僕なんかが……」


 タイアスはそう言うと、握りしめた杖の先にある大きな宝玉を眺める。

 そこから感じる力は不思議なものだった。

 まるでその中に眠る何者かが、自分に語り掛けてくるような感覚。

 ガレスは、タイアスの肩をグッと掴んだ。


「タイアス、俺は分かるような気がするぜ。お前は、臆病かもしれない。だがそれでも、一度も敵を前にして逃げ出したりはしなかった。俺はお前が後ろにいるから、全力で戦える。臆病でだからこそ誰よりも強い心を持った勇者が、俺の背中を守ってくれているんだからな」


「ガレス……」


 タイアスは、赤い髪の友の笑顔を見上げていた。


(いつだって、君の笑顔は僕に勇気をくれる。恥ずかしくない男でいたい! 君の隣にいても恥ずかしくない男に)


 大地の錬金術師と呼ばれた青年は、手にした杖をしっかりと握りしめる。

 そして立ち上がった。

 怯えも恐怖も、全てをそのまま握りしめて。


「行こう、ガレス!」


「ああ、行こうぜタイアス。これが最後の戦いだ!!」


 その声を聞いて、静かに眠っていたエルフの騎士が目を開けると立ち上がった。

 そして二人の元に歩いてくる。


「二人とも覚悟は出来ているかい? ここから先は、生きては戻ってこれないかもしれない戦いだ」


 美しいエルフの魔剣士は、腰の剣を抜くとそれを天に掲げた。

 ガレスは手にした槍をそれに合わせる。

 タイアスも、杖の先を二人の剣と槍に添えるように重ねた。


「覚悟の上です! マシャリア先生」


「僕も覚悟しています! マシャリア様!!」


 それを聞くとマシャリアは笑みを浮かべる。


「いい覚悟だ。出会ったときはまだほんのガキだったが、二人ともいい男になったね」


 マシャリアはそう言って二人を眺めると、ガレスの傍に行ってジッと見つめる。

 そして落ち着きなくソワソワしながら、咳払いをした。


「あ、あのなガレス。この戦いが終わったら、私はお前に伝えたいことがある!」


 ガレスは、自分の武術の師である美貌の剣士の言葉に首を傾げた。


「何ですか? マシャリア先生。言うなら今言ってくださいよ、そのほうが心残りが無いですから」


「ば! 馬鹿かお前は!! これから死力を尽くす戦いに臨むのだぞ! い、今そんなこと言えるか!!」


 美しい白い肌を真っ赤にさせて、そう叫ぶエルフの騎士の姿を見てタイアスは笑った。


「ガレス、君はほんとに鈍感だな。ここに来る前に、マシャリア様が作って下さった弁当を食べて僕は分かったよ。そこに気持ちがこもっていたから」


「気持ち? どんな気持ちだ、タイアス? マシャリア先生の手料理を食べたのは初めてだけど、正直もう少し勉強しないといつまでたっても嫁にいけませんよ。せっかくそんなに綺麗なのに、俺それだけが心配なんですよね」


 女神のような女騎士の瞳に、うるっと涙が湧きあがる。

 そして魔法銀で出来たガントレットで、思い切りガレスの頬をぶん殴った。

 強烈な打撃に、ガレスの体が吹っ飛んでいく。

 壁に衝突して、ガレスは頬をさすりながら肩をすくめた。


「何するんですか! マシャリア先生!? 魔王と戦う前に死ぬかと思いましたよ!!」


「こ、この鈍感男め! あの時だってミレティの弁当ばかりバクバクと! お前など死ねばいいのだ!!」


 魔王の居城を監視していたエメラルドグリーンの髪をした美女が、二人の間に舞い降りる。

 マシャリアも美しいが、この女も美しい。

 引き締まったウエストに、形の良い胸。

 少し男を挑発するかのような、その悪戯っぽい美貌。

 四十歳を過ぎても、その美貌に衰えはない。


「全く。貴方たちを見ていると、これから命を懸けた戦いに向かう緊張感が薄れます。困ったものですね」


「ミレティ! だ、だってあいつが!!」


 涙目になっているマシャリアの髪を、ミレティは優しくなでている。

 それを見てタイアスは笑った。

 そして、赤い髪の友を振り返ると口を開いた。


「ガレス、僕は戦うよ。守りたいんだ、この時間を……。いつまでもみんなでこうやっていられるように、僕は戦うんだ!!」





 タイアスさんの研究室へと繋がる長い階段を下りながらアーミアは、タイアスさんの過去の話をしてくれた。

 魔王と戦ったその時の話だ。


「タイアス様はいつも言っていました。怯えることを恥じてはならないと。それでも愛する者の為に戦わねばならぬ時は、決して逃げてはならぬと。自分は一番弱い勇者だったが、それゆえに最後まで決して魔王に背を向けなかったことを誇りに思っていると」


(弱い勇者か……)


 俺はママンの為に、じい様の前に立ちふさがった時のことを思い出した。

 じい様はそんな俺を見てどこか嬉しそうだった。

『愛する者の為に命も張れぬようでは、どのような技も魔術も意味など持たぬでな』

 ママンにそう言ったじい様のことを思い出す。

 俺は笑った。

 フュリートが俺に言った。


「聞いたよ、君はリスティに勝ったんだってね。その歳で、その強さ。まるでタイアス先生の前に現れたガレス様のようだ。君やガレス様には、こんな話可笑しく聞こえるかもしれないね」


「フュリート!」


 リスティさんが、どこか責めるように俺にそういうフュリートにそう言った。

 俺は通路の先を見つめながら、フュリートに答えた。


「ええ、可笑しくて」


 今度は、そう答えた俺をリスティが窘める。


「エル君!」


 俺は首を横に振った。


「そっくりなんですよ、タイアスさんは。見た目も、戦い方も何もかも違うかもしれない。でもじい様にそっくりだ。俺はタイアスさんのことをよく知らない、でも本当に強い人だったことは良く分かります。そうでしょう? フュリートさん」


 俺の言葉を聞いて、フュリートは暫く俯いていた。

 そして、しっかりと顔を上げる。


「君で良かった。きっと君なら、タイアス様もあの部屋に入ることをお許しになるだろう」

いつもお読み頂きまして、ありがとうございます。

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