第七十七話 風のミレティ
「エルリット! 可愛いです!」
エリーゼが嬉しそうに、手のひら上にモギュちゃんを乗せて俺に見せる。
その上には偉そうに胸を張ったフユが乗っていた。
その様子を見て、先程の一件で張り詰めた緊張感が少しだけ和らいでいく。
(不思議とエリーゼは、精霊たちに好かれるよな)
エリーゼの周りには土の精霊が集まって、闘舞台の修復も一番早く進んでいる。
見た目が天使のようなので、まるで精霊のお姫様のようである。
「モギュギュ!」
「エルリットにもあげます」
そう言ってエリーゼがモギュちゃんを一匹、俺に差し出した。
俺がそいつを肩に乗せると、エリーゼは嬉しそうに笑う。
さっきは大人モードの俺の前で緊張していたが、今は満面の笑顔だ。
リスティやハヅキも、エリーゼに今日から世話になることについて挨拶をしている。
「よろしくお願いします、エリーゼ様」
「私も、お世話になります」
エリーゼは二人のことがまだ良く分かっていないのだろう、首を傾げて俺の方を見る。
俺が頷くと、エリーゼはコクンと頷いて二人に言った。
「今日は、一杯お客様が来ます。エリーゼも嬉しいです」
その可憐な仕草にリスティやハヅキも思わず微笑んだ。
そして美しい獣人の冒険者は俺とエリーゼを見比べてふぅと溜め息をつく。
「良くお似合いだこと」
俺はリスティを見上げて尋ねた。
「何ですか? その溜め息は」
リスティは肩をすくめて答えた。
「何でもないわ、大人には大人の悩みがあるのよ」
中身だけ言えば、俺の方が年上だけどな。
ハヅキがリスティと俺を見る。
「リスティ、さっきの術者も気になる。いつから話を聞かれていたのか分からないぞ」
確かに、いつから監視されてのか。
そしてその目的も分からないとなると厄介だ。
「ええ、そうね。まだ今回の仕事と無関係の相手だと決まったわけではないし」
俺も二人の言葉に頷いた。
「ミレティ先生が言っていた、都の大図書館にあるタイアスさんの研究室に急いだ方が良いですね」
リスティが首を縦に振る。
「そうね、もしその話も聞かれていたとしたら、先回りされかねないわ」
「うふふ、心配は要りませんよ。あの場所には私とマシャリアで特殊な結界を張っています。エルリットが持っている鍵が無ければ、開くことは出来ませんよ」
俺は懐から一枚の紙を取り出した。
以前、名誉王国騎士になった時に国王から貰った図書館への入館許可証だ。
そこには、昼休みに書いてもらったミレティ先生のサインがある。
「先生、これがその結界を通るカギになっているんですね?」
俺の質問にミレティは可愛らしく微笑む。
「ええ、そうです。タイアスの研究は、誰の手に渡っても良いというものではありませんからね。私とマシャリアが認めた相手でなければ、通すことは出来ません」
確かに、大地の錬金術師と呼ばれるほどの人間の研究内容は、誰もが知って良いと言うものではないだろう。
「いいんですか? そんな大切な場所に俺が入っても」
俺の疑問に、ミレティ先生がジッと俺を見つめている。
「エルリット、私やマシャリアは、貴方を四大勇者の後継者にと考えています」
そういえば、リルルアもそんな事を言ってたな。
ミレティ先生が、俺を四大勇者の後継者の候補に挙げているって。
「リルルアさんから聞きました。後継者候補に挙げてもらうのは光栄ですけど、俺は面倒なのが苦手なので」
それを聞いてミレティはクスクスと笑う。
「貴方らしい答えですね。他の者であれば、何をおいても飛びつく話だと言うのに。それに貴方は勘違いしていますよ、私は貴方を後継者候補の一人だとは思っていません」
俺はミレティ先生の顔を見て、首を捻った。
調子に乗り過ぎて怒らせたかな?
何しろこの国では四大勇者と言えば、最高の名誉と言っていい地位だ。
面倒だとか、面倒じゃないの話ではないだろう。
ミレティ先生の目が静かに俺を見ている。
その瞬間──。
(これは!)
強烈な魔力がミレティ先生の中で膨れ上がり、凝縮されるのを感じる。
俺は思わず身構えて距離を取る。
僅かの差で、俺は自分が居た場所の空気そのものが抉り取られるのを感じた。
あの場所にいたら、只ではすまなかっただろう。
リスティやハヅキも尋常でない力と殺気に、ミレティ先生から距離を取って爪と剣を構えていた。
「フユ~! どうしたですか、エルリット!!」
俺は風魔法を使って、エリーゼやエリザベスさんを修復が進む闘舞台の外へと運んでいた。
安全には気を付けたつもりだが、急に飛ばされたエリーゼたちはふわりと地上に着地した後、驚いた顔をしている。
「エルリット!」
「どうしたの、エルリット君?」
一瞬、ミレティ先生の瞳の中に浮かび上がった魔法陣。
それは幾重にも重層して構築されており、強力な魔力を秘めていた。
(血と魂の盟約か! それも複雑に書き換えられている)
「良く逃げましたわね、エルリット。超高位精霊と呼ばれる存在と盟約を結んでいるのは、貴方だけではありませんよ」
ミレティ先生のエメラルドの宝石のような美しい瞳が、淡く輝いている。
目の前にいるのは、先ほどと同じだが、別の存在だ。
(凄え……こんなことが出来るのか?)
ミレティ先生の輪郭は、エネルギー体のように揺らめいている。
まるで極限まで凝縮した魔力で出来た生命体である。
リスティがミレティ先生の姿を見て言った。
「先生がその姿になるのは、久しぶりですね。私と戦った時に一度だけ見ましたけれど、聖獣使いになった今でも恐怖で震えるわ」
「うふふ、そう言えば貴方は一度見ていましたわね」
盟約を結び融合したとか、そういうレベルじゃない。
完全に同化している。
人間から別次元の存在に変化したかのようだ。
(これが四大勇者、風のミレティの本当の実力か。今、マジでやり合ったら勝てないな、これは)
背中に流れる冷や汗がそれを証明していた。
俺はファルーガの力をある程度は使いこなせる。
だがこの人は、超高位精霊と同化出来るってことだ。
術の発動の速さだけを考えても桁違いだろう。
何かを考えて、それを精霊に命じる、そして実際に術として発動する。
もし精霊と同化なんて真似が出来るのなら、そんな面倒な手続きは要らないだろう。
簡単に言えば、俺がレバー操縦式のロボットに乗っているのに対して、ミレティ先生は脳波を感知して動くロボットを動かしているようなものだ。
どう考えても勝負にならない。
(ミレティ先生がその気なら、さっきの攻撃でやられてたな)
世界は広い、先生はファルーガと盟約を結んだ俺に、奢るなと言っているのだろう。
ミレティ先生は口を開く。
「貴方にはタイアスの研究室に行ってもらいますよ。そこで学ぶ物は、とても大きいでしょう」
強い魔力に揺らめきながら、先生は静かに俺に言った。
「エルリット、私は貴方を未来の四大勇者の後継者候補の一人だなどとは考えていません。貴方を近い将来、実際に四大勇者の一人に迎えることを考えている、そう言っているのです」
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