第七十六話 視線の主
「エルリット。目的は分かりませんが、どうやら貴方にとても強く関心を寄せている人物がいるようですね」
「ええ、俺を見ている存在を確かに感じました」
ミレティ先生の言葉に俺は考えた。
(俺に関心を持ってる人物、エルークか?)
一番可能性が高い相手だ。
今の今まで、監視をしていることを俺達に気付かせなかったほどの術者。
そして、高度な疑似生命体を作り出せるほどの錬金術師。
何しろあのタイアスさんの弟子だからな。
そんなことを考えていると、ハヅキが眼帯を戻しながら俺に尋ねる。
「エルリット。お前、心当たりがあるのか?」
リスティも俺を見つめて問いかける。
「もし心当たりがあるなら、教えて頂戴。その方が私達も動きやすいわ」
「確かにそれはそうですね。ですけど……」
(違うな)
王宮であの赤と青の瞳に見下ろされたことがあるが、今俺に向けられた視線とは別物だった。
俺はハヅキとリスティを見上げる。
「すみませんリスティさん、ハヅキさん。今のところ、思い当たる相手はいないですね」
チームを組む時は情報の共有が大事であることは分かるが、それだけに間違った情報で動くのは危険だ。
全員が誤った方向に進むことになるからな。
分からない時は、素直にそう言った方が良いだろう。
それに今のところ、直接危害を加えられたわけではないからな。
「そう、分かったわ。エルリット君がそういうなら、間違いないでしょうし」
リスティの言葉にハヅキも頷く。
そして言った。
「ふむ、しかし相当の術者だぞ。あのまま気配を消されていたら、私も気が付かなかっただろう」
俺はミレティ先生に尋ねる。
「先生なら何か分かりませんか?」
俺の言葉に、ミレティ先生は改めて鳥型の疑似生命体が崩れて出来た小さな砂の山から、一つまみの砂を手に取った。
そして、首を横に振る。
「残念ですが、何も痕跡が残っていません。分かるのは、相手が腕が立つ錬金術師であることぐらいですね」
「そうですか……」
何しろ俺は錬金術の知識は殆どないからな。
じい様の書庫には、そっちの系統の本は少なかった。
リスティが思いついたように俺に言った。
「ねえ、エルリット君。暫く私達、公爵家にお世話になる訳にはいかないかしら? もし君のことを狙っている誰かがいるなら、心配だし」
何故か尻尾を少し振りながら、こちらを見ているリスティさんは可愛い。
俺を心配してくれているのだろう。
(まあ直接手を出して来れば、こっちもやりようはあるんだけどな)
公爵家には王家から護衛も付いているし、俺も公爵家の人を守るために色々と手は打ってある。
にしても、相手が誰か分からないうちは油断は禁物だ。
リスティとハヅキがいてくれたら心強い。
仲間と認められた以上、暫くは一緒に動く訳だからな。
「ええ、念のために一緒に動いた方がいいかもしれないですね。構いませんか? エリザベスさん」
俺がそう尋ねると、エリザベスさんはニッコリと笑う。
「もちろんよ。リスティやハヅキさんなら歓迎するわ」
「ありがとうございます」
俺がお礼を言うと、リスティやハヅキも頭を下げる。
「感謝します、エリザベス様」
「お世話になります、公爵夫人」
エリザベスさんが二人に微笑んだ。
「賑やかになりますわね、今日からマシャリアも来ますから」
その言葉に俺はポンと手を叩いた。
そう言えばそうだった。
マシャリアと今日から一緒に暮らすんだったよな。
「ああ、そう言えばそうですね」
ちょっと待てよ……ってことはだ、エリザベスさんはもちろん女神級の美貌を持つエルフの女騎士に獣人美女のリスティ。
それに胸は小さいけど、東洋的な美しさを持った美人剣士のハヅキ。
こんな美女4人に囲まれて暮らすとか、男冥利に尽きる気がする。
(もしかしたら「エルリット君、一緒にお風呂に入りましょう」とかいう展開に……)
ハヅキが、何か不気味なものを見るように俺を見る。
「な! 何だエルリット、変な目つきで私の胸を見るな!」
「言いがかりはやめて下さいね、ハヅキさんの胸はついでに見ただけです」
ヤバい本音が少し出た。
「つ、ついでとは何だ! エルリット、お前!!」
刀を抜きかけるハヅキを、リスティが止めている。
口は禍の元である。
「エルリット!」
「フユ~」
ふと見るとエリーゼとフユが、俺の傍で土の精霊たちと遊んでいる。
「可愛いです!」
エリーゼが、嬉しそうにモギュモギュ言う精霊を手のひらに乗せて俺に見せた。
俺たちはその愛らしい姿を見て、先ほどの一件を忘れ和んでいた。
◇
時は少し遡る。
エルリットとリスティが士官学校で戦いを終えた丁度その頃、王宮の中で一輪の真紅の薔薇を手にしながら嫣然と微笑む女性がいた。
この国の第一王妃であるディアナシアである。
ファルルアンの社交界の華と呼ばれるエリザベス・ラティウスが清楚な白い薔薇だとしたら、ディアナシアは妖艶な赤い薔薇だろう。
美しい赤い薔薇の花びらのような唇は笑みを浮かべると、目の前に置かれた豪奢なテーブルの上にある大きな水晶玉を見た。
その水晶の表面にはリスティを倒し、その体を抱きかかえるエルリットの姿が映っている。
王妃はそれを見て笑みを浮かべた。
「ほほほ、ほんに面白い子じゃこと。そなたの息子のミロルミオは、本当にエルリット・ロイエールス勝てるのかえ?」
「そ、それは……無論でございます」
口ぶりは柔らかだが、この女の言葉がどれほど重いものか王妃の傍に立つ男には良く分かっていた。
王妃の部屋からは人払いがされ、今ここにいるのはその男とディアナシアだけである。
美しい王妃は、手にした一輪の薔薇の花を唇に添える。
「わらわは役に立つ男が好きじゃ。決して失望させぬ男がな」
男は微笑む王妃の目だけが、笑っていないことに気が付いて額から汗を流す。
男の名前は、ミドウィル・シファード伯爵。
王妃直属の諜報組織とも言える『薔薇の騎士団』を裏から束ねる王妃の懐刀だ。
ディアナシアの側近として王妃の輿入れの際にファルルアンへの伴をし、王妃の口利きでこの国の爵位を授かった男でもある。
そして、ミロルミオの父親でもあった。
グレイの瞳と同じ色の髪、武道家としても高名で長身で堂々たる体躯をしている。
「必ずや。ミロルミオには『アレ』を使わせます。ディアナシア王妃陛下」
男のその口ぶりにディアナシアは椅子から立ち上がると、艶やかに笑いながらミドウィルに歩み寄る。
そして、ミドウィルの服の胸に真紅の薔薇を飾った。
「ほんに、そなたはいつも頼もしいこと。じゃが、あれを使えば、そなたの息子がどうなるか知っておるのかえ?」
「無論でございますディアナシア様。ミロルミオは、その為に作り出したモノ、道具に過ぎませぬ」
ミドウィルは言葉を続ける。
「黒狼族を皆殺しにしたあの事件の時はまだ不完全な存在に過ぎませんでしたが、エマリエの血とこの私の血を引く半獣人のミロルミオを使えば必ずや」
それを聞いて、ディアナシアはミドウィルの服の胸元に刺した薔薇の花びらを、一枚ずつ指先で千切っていく。
そしてもう一度、水晶に映るエルリットの姿を眺める。
「花は散る時こそ美しいものじゃ。まさかこのような好機が訪れようとはの。この御前試合、目的の成就に必要な者達が全てが一堂に会することになる」
「分かっております王妃陛下。ミレティもマシャリアもこちらの真の目的には、気付いてはおりますまい」
ミドウィルの言葉に、ディアナシアは妖艶な笑みを浮かべる。
「獲物は狩れる時に残らず狩ってしまうものじゃ、そうであろう?」
ミドウィルは、その問いが自分の向かって発せられたものではないことに気が付いて背筋を凍らせる。
(いつの間に……)
二人だけしかいないはずの部屋にいつの間にか、もう一人の人影が立っている。
その手には変わった形状の杖が握られていた。
三匹の竜が絡み合って、杖の先の宝玉を守るように配置されている。
それは、ファルルアンの秘宝と呼ばれた杖に酷似している
黒いローブに身を包んだその人影は、黙って水晶に映し出された赤い髪の少年の姿を見つめていた。
いつもお読み頂きまして、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。




