第四十八話 静かなる狼
俺は隣に座っているギルバートさんに尋ねた。
「どうなってるんです? ミロルミオ先輩のお母さんなんですよね、あのエマリエっていう人は」
エマリエという黒髪の侍女は、じっと先輩が出て言った扉の方を見つめている。
フサフサとしたケモ耳が頭についている。
「ええ、エマリエ・レンティエール。王妃陛下のお側を守る武闘侍女の中でも、突出した力を持つ女性ですね。獣人の中でも非常に身体能力に長けた種族、黒狼族の数少ない生き残りです」
「数少ない生き残り?」
俺の言葉に今度はマシャリアが口を開く。
「十数年前の話だから、お前は知らぬかもしれんな。かつて、隣国のランザスの貴族や商人達を震え上がらせた集団がいた。『静かなる狼』と呼ばれる暗殺組織だ」
ギルバートさんが頷いた。
「ええ、彼らは私腹を肥やす貴族や商人を襲い次々に殺していった。次第に彼らを称える者さえ出てきました、正体不明の暗殺者。現場に残された死体が、まるで狼の牙に切り裂かれたかのようだったので、静かなる狼そう呼ばれたのです」
名前を聞いただけでもやばそうな集団だ。
ギルバートさんは続ける。
「活動期間は数年に及びましたが、その最後はあっけないものでした」
俺は思わず、黒髪の侍女エマリエを見た。
そしてギルバートさんに尋ねる。
「というと?」
「死んでいたのです。ようやく彼らのアジトとみられる村を突き止め、ランザス王国の騎士達が踏み込んだ時には、たった一人を除いてすべての者の喉笛が切り裂かれて」
マシャリアはエマリエを見ながら続けた。
「その村にいたのは、全て黒狼族だったそうだ。そして血だまりの中、唯一生き残っていたのは当時僅か13歳だった少女。エマリエ・レンティエール、王妃陛下の側にいる女だ」
エマリエの人形のような瞳は、真っすぐに前を見ている。
「それは、殺したってことですか? あの人が仲間を」
「それは分からん、結局事件はうやむやにされたらしい。だが妙な噂が立ったのはその後だ、死んだ貴族や商人達は、現国王ランザス8世にとって邪魔な連中ばかりだったのだ」
ギルバートさんも頷く。
「ええ、当時ランザス国王の座を奪うことを画策していた国王の異母兄弟、トルスタス公爵の支持者や後援者ばかりだったんですよ。結局支持基盤を失ったトルスタス公爵はその後力を失い国外に追放されました。そして何故か生き延びた黒狼族の少女は、国王の娘の武装侍女になった」
つまり、当時のランザスの王女、ディアナシアのってことだな。
マシャリアが口を開く。
「過去を一切不問にされてな。まるで最初から、時期が来たら彼女に全てを始末させるつもりだったかのように」
「結局、それ以来ランザス8世に表立って逆らう貴族も商人もいなくなりましたからね」
確かに邪魔者を排除した後に、国王が黒幕とほのめかせば中立な立場の人間にさえこれ以上ない脅しになるだろう。
今後逆らう者には、容赦をしないっていう意思表示になる。
ギルバートさんが付け加える。
「シファード伯爵は名うて武術家でもあります。二人の間にミロルミオ君が生まれた経緯は良くは分かりませんが、彼女はそんな過去もあってシファード家には出入りはしていないようです」
正式な妻ではないわけだ。
でも王妃がよく許したよな。
自分の派閥の重要人物と、側近とも言える武装侍女。
身分も立場も違う上にそんな物騒な噂がある相手だ
俺は黒髪の武装侍女をもう一度眺めた。
俺に気が付いたのか、人形のような顔で俺を見ている。
若く見えるがそれは人間との見た目の差だろう。
顔は無表情だがしっぽがシュンと垂れ下がっているのが見えるのは、ミロルミオ先輩が出て行ってしまったのが気になっているのだろうか。
(ん?)
俺の方に歩いてくるぞ。
どうしてだ?
俺は念のために使い魔をいつでも召喚出来るように準備をする。
まさか、こんなところで何かしようなんて思ってはいないだろうが、さっきの話の後だからな。
それに俺は息子の対戦相手だ。
邪魔者は消せってことはないだろうな?
無表情なのでその辺りが全く読めない。
マシャリアもそれを見て殺気立っている。
俺の後ろに立ったエマリエの手がこちらに向かって伸びてくる。
その瞬間俺の使い魔達が彼女の体の周りに一斉に召喚される。
一瞬にしてその場の空気が凍り付く。
「ほほ、面白い余興じゃの」
王妃は真紅の扇子を開いてそう言った。
だがバロ達は、とまどったように俺を見ている。
「なあ、エルリットどうする?」
俺も返事に困ったように答えた。
「ああ……」
黒髪の武装侍女は、自分の周りに召喚された使い魔に見向きもせずに俺の頭を撫でていた。
「あ、あのですね、何をしてるんですか?」
王妃が楽し気に笑う。
「どうやら、エマリエに気に入られたようじゃなエルリット。害は無い、安心するが良い暫くそうしていれば満足する」
ディアナシアの言葉通りエマリエは暫く俺の頭を撫でた後、何も言わずに王妃の横に戻っていった。
マシャリアが俺に囁く。
「大丈夫かエルリット」
俺は頷いた。
「ええ、平気です」
嫌な感じではなかった。
何だか不思議な感覚だったな、まるでママンに頭を撫でられているような。
さっき聞いた話とはかけ離れた、雰囲気だった。
だが……。
「エルリット。強いぞ、あの女」
バロが俺に言う。
「俺達が周りに召喚されても眉一つ動かさなかった。普通なら無意識に体が動くからな。俺達の動きがきっちり見えてないとあそこまで落ち着いていられないだろ」
「ああ、俺も感じた。全く動じないのをな」
あの表情からは何とも言えないが、こいつらの攻撃に対処出来る自信があるのかもしれない。
もし、さっきの瞬間やりあったとしたらどうなってただろうか。
あんまり考えたくない話だな。
(だけど、俺にとって害がある人には思えないけどな)
俺は撫でられた頭に残っているエマリエの手の感触を思い出していた。
そんなことを考えていると、フユが頭の赤い薔薇を揺らしながら俺を見上げていた。
俺の目の前にあるお菓子が気になっているようだ。
「フユ~、エルリット。食べないですか?」
フユは俺の前の皿にのせられた小さなクッキーを持ち上げて、俺に見せる。
小さいって言っても、こいつにとっては特大クッキーだろう。
「王妃様に忠誠を誓わなかった罰です。フユちゃんが頂くです」
(おい、でかすぎるだろお前には)
止める間もなく、フユは嬉しそうな顔で大きな口を開けるとぱくりとそれを頬張った。
白く可愛らしい頬が、丸いクッキーのせいでまるでシンバルのように広がっている。
さっきまでの嬉しそうだった顔が、涙目に変わって俺をジッと見ている。
俺はフウと溜め息をついて、口に入ったフユのクッキーを引っ張り出した。
思わずフユがポロリと涙を流す。
「死ぬかと思ったです! フユちゃん死ぬかと思ったです!」
ミレースがフユのその姿を激写、いや激筆している。
こいつの黒歴史はミレースが後世に残してくれそうだ。
大人になった時にでも見せてやりたいものだ。
そんなフユを見てエリーゼがやってくる。
エリーゼがクッキーを細かく砕くと、フユはそれを手にもって美味しそうに食べている。
エリーゼは本当のお姉ちゃんのようにそれを見てにっこり微笑むと、俺の前でちょこんと立っている。
「大伯母様に頂きました! どうですか? エルリット」
真紅の薔薇で飾られた髪を褒めてほしいのだろう、エリーゼは俺の前で可愛らしくクルリと回る。
「ああ、良く似合ってる」
薔薇の妖精のようで微笑ましい。
するとフユもクルリと回る。
「フユ~、どうですか? エルリット!」
エリーゼの真似だろう。
頭の薔薇が重いのか途中で尻餅をついた。
「フユ~」
「可愛いですフユちゃん」
そう言ってフユを手の平に乗せるエリーゼは、楽しそうだ。
結局この後は、たわいもない雑談をして王妃との会合は終わった。
俺達は、ギルバートさんやマシャリアに別れを告げて王宮を出る。
ミレースはギルバートさんが手配した馬車でギルドに戻るそうだ。
エリザベスさんが、マシャリアに声をかける。
「マシャリア、明日待ってますからね」
「うむ、士官学校が終わったミレティが王宮に着き次第向かおう」
そう言えば明日から、マシャリアも公爵家に来るんだったな。
馬車の中から二人に手を振って、その日は俺達も家に帰った。
屋敷につくと執事のセバスチャンさんが馬車を向けてくれる。
「これはこれはお嬢様、素敵な薔薇で御座いますね」
メイドたちもエリーゼを見て、口々に声を上げる。
「まあ、お嬢様なんて可愛らしい」
「まるで薔薇の妖精ですわ」
「あら?」
「フユ?」
最後はもちろんフユである。
エリーゼを囲むように集まっているメイドたちが、エリーゼの肩に乗っているフユに気が付いて注目している。
セバスチャンさんが目を細めて言った。
「これはこれは、今度はエリーゼお嬢様に妹君が出来ましたかな?」
どうやら召使達の脳内でも、すでに俺はエリーゼの弟ポジションに納まっているようだ。
フユが胸を張って答える。
「フユちゃんです! エリーゼお姉ちゃんの妹で、エルリットのお姉ちゃんです!」
(王妃の前でも、そんなこと言ってたなこいつ。お姉ちゃん要素が皆無なんだが……)
メイド達がキャイキャイと騒いでいる。
「はぁああ、可愛いですわ」
「フユちゃんて言うのね」
フユは頭を撫でられて、大きく自分の頭に咲く白い薔薇を広げた。
「そうです、フユちゃんです。よろしく頼むです!」
お前は居候の俺のさらに居候みたいなもんだろ。
偉そうに胸を張るのはやめろ。
家の中からラティウス公爵が出てきた。
今日は王宮で仕事があったようだがもう済んだらしい。
薔薇で飾られたエリーゼを見て頬を緩める。
そして俺に言った。
「そうそう、エルリット君。君宛にさっきミレティ校長から知らせが来たよ」
(何だろう? 何かあったのかな)
今日学校であったばっかりだが、あの後何かあったのだろうか?
俺は少し心配になりながら、ラティウス公爵から一枚の手紙を受け取った。
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