第百十話 黒い堕天使
「四大勇者を凌駕するような力、それを作り出すことですね」
ミレティ先生は俺の言葉に頷いた。
「ええ、しかもこの国の中でそれをやっている。ふふ、舐められたものですね」
俺は思わず後ずさった。
目の前の小さな大魔道士から感じる魔力に、思わず気圧されたのだ。
ミレティ先生は、エルークが使っていた剣の方へ歩き始める。
俺との戦いで吹き飛ばされたエルーク。
その際に、深くここの床に突き刺さっていた剣を無造作に引き抜いた。
「リスティから話は聞きました。この剣を持っていた時、エルーク殿下の様子がおかしかったと。そうですね? エルリット」
「はい、ミレティ先生。今までに感じたことがないような、妙な魔力を感じたんだ。あれがもしかしたら……」
俺は言いかけて口ごもった。
「闇の魔力。違いますか?」
(流石だな。もうタイアスさんの研究日誌、その全てに目を通したのか)
俺が寝ている間に、エルークの状況を確認しあの書棚の日誌に目を通したのだろう。
いつどこから取り出したのか、その手にはいつの間にか一冊の研究日誌が開かれている。
大樹の中から持ち出したのだろう。
「タイアスは、数々の伝承を事細かく調べ上げている。その中でいきついたのが、白銀の聖女の言い伝えのようですね」
「ええ、大昔の話らしいですけど」
ミレティ先生は頷いた。
「確かにそれは私も知っています。『大地の竜と白銀の聖女』、ファルルアンの秘宝である大地の杖タイタニウスにまつわる神話ですからね。今では忘れ去られ、僅かな研究者が知るのみの話ではありますが」
そのあたりは、フュリートが言っていた通りだろう。
地竜族の王子と聖女の恋物語が、ファルルアンが大国になるにつれて、不都合な神話として新しい歴史の下に埋もれたに違いない。
ミレティ先生は、日記を右手に持ったまま何やら詠唱を始めると、左手を静かに大地の上にかざした。
(なんだ?)
巨大な魔法陣が大地に描かれていく。
と同時にそれは天井に描かれた魔法陣を淡く輝かせる。
すると──
「……あれですね、エルリット」
ミレティ先生さえ、少し絶句してから言葉を紡ぐ。
深い大地の下に眠る妖艶な女の姿、そして彼女がまたがる三つ首の黒い狼のような魔獣。
「ミレティ先生、どうやって!?」
俺の問いにミレティ先生は日記の一ページを俺に見せる。
そこには今、先生が大地に描いた魔法陣と同じものが描かれていた。
どうやらタイアスさんが描いたものらしい。
地下に眠るモノの姿を露にさせる為の術式のようだ。
「この術式を大地に転写しました。タイアスは幾つもの伝承の地を訪れ、ようやく正しい場所を見つけ出した。それが聖都エルアンの真下だと知った時、彼も驚いたでしょうね」
魔法陣の輝きが消え、地中に眠る真の魔王の姿は再び大地に隠されていく。
ミレティ先生は傍にある大きなカプセルに歩み寄ると、その中に眠る少女を見つめた。
「いつか目覚めるかもしれない本物の魔王と戦うための切り札。いわば対魔王兵器、タイアスが目指したものはそれですね」
「ええ、エルーク殿下はそう言ってました。大樹の聖なる力を充填して戦うホムンクルス、通称『エンジェル』。そう呼ばれる対魔族兵器の開発。それがタイアスさんの研究の目的だったと」
俺が作り上げた疑似生命体などとは、全く次元の違う存在。
膨大な力を内包し、それでも決して崩壊することも無い。
そして、その力をまるで永久機関のように体に循環させている。
それは神域の技で作られているといっても、過言ではないだろう。
額につけられた宝玉がそれを可能にしているとしたら、まさにそれは賢者の石と呼べるような代物だ。
ミレティ先生は、大樹の傍でリスティの尻尾を枕にスヤスヤと眠るエリーゼを眺めながら、俺に言った。
「貴方はどう思いますか? エルリット。この少女はエリーゼによく似ている、生き写しといってもいいでしょう。エリーゼが聖女の血を引く王家に生まれたとは言え、偶然にしては出来過ぎている」
「さあ、分かりません。先生も知ってるでしょう? エリーゼは特別魔力に優れているわけでもないですし、公爵家に生まれたこと以外は普通の女の子ですよ。強いて言えば、キュイや精霊たちには好かれてますけど」
ミレティ先生は俺の言葉に頷くと。
「そうですね。目を引くような魔力の素養がある訳でもない。ですが、あの首の魔法陣を見る限り、タイアスがエリーゼを狙ったことは間違いないでしょう。そしてエルークもそれを知っていた」
「でも、もしそうなら、どうして今は手を出してこないんですか? これ程の腕を持つ人なら、俺が居たとしても意に介するとは思えない」
エメラルドグリーンの髪の少女は、首を横に振ると肩をすくめた。
「分かりませんね。今のタイアスは私の知るタイアスではない。ただ一つだけ言えることは……」
そう言って、先程地面から抜いた大剣を俺の前でかざす。
戦っている時にも気が付いたが、柄の部分には大きく黒い宝玉が付いている。
それはどこか、ホムンクルスたちにつけられている宝玉の輝きに似ていた。
まるで黒い賢者の石。
「彼の魔族に関する研究成果は、何者かによって意に反することに使われている。魔族を倒すためではなく、恐らくはその力を制御する技術として」
(そうか、だからこの剣から闇の属性魔力を感じたのか! この剣の中に……)
俺の視線にミレティはコクリと頷くと。
「その原理は恐らく同じでしょう。聖女を模したホムンクルスに聖なる属性の力を充填すること。それと同様に、彼らは闇の属性を持つ力を器となる媒体に充填する技術を作り上げた。いいえ、魔族そのものを器に封じる技術かもしれない」
ミレティ先生の顔に怒りが満ちていくのが分かった。
この人のこんな表情を見るのは初めてだ。
「武具ならば、まだ救いがあります。ですが、彼らの最終的な目的はそうではないでしょう」
先生の瞳は静かに、だが真っすぐに『エンジェル』と呼ばれるホムンクルスを見つめている。
俺はその時、思い出したエルークが言っていた言葉を。
ミレティ先生が呟く。
「エルークは貴方に言ったそうですね。四貴公子の中にホムンクルスがいると」
「ええ……」
ここに来る前に、リスティから聞いたのだろう。
「白い天使を作り上げるように、黒い堕天使ともいうべき存在を作り出す実験を彼らがしているとしたら? ファルルアンを滅ぼす為の究極の戦士、四大勇者を超える者として」
全ての情報を繋ぎ合わせて、ミレティ先生がたどり着いた結論。
それが俺にもようやく分かった。
ディアナシア王妃との会見場所にいた人物。
四貴公子の首席。
「黒い堕天使、つまりそれはミロルミオ・シファード。彼の事ですね先生」
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