第百六話 錬金術の書
その頃、俺はロイジェル先輩に起きていることなど露ほども知らずに、生命と大地の大樹の中に作られた小部屋で貪るように本を読んでいた。
幼い頃にじい様の書庫に入って本を読んでいたことがあるが、こんなに夢中になるのはその時以来だ。
魔導書なんていう厨二な存在は、転生したばかりの俺を夢中にさせるには十分だったからな。
だが、これはそれ以上である。
(まじかよ……こんな術式が)
この小部屋の中央に浮かんでいた白銀に輝く一冊の本、そこに記されている理論や術式は面白い。
但し、普通の人間には読むことさえできないだろう。
様々な古代文字や、この研究室の天井に描かれていた魔法陣のように地竜族の言葉も記されている。
「タイアスさんの研究、それをまとめたものらしいな……」
ぶつぶつと呟きながら俺は、グルグルと小部屋の中を歩き回った。
錬金術を学ぶものなら喉から手が出るほど欲しい一冊だろう。
特殊な魔法がかけられているのか、見た目の厚さよりも遥かにページ数が多い。
しかも目次を指で指し示すと、そのページが勝手に開くと言う優れモノだ。
(こりゃあまるで、ネットの検索システムみたいだな)
だが、その分目次も多岐に分かれていた。
俺は試しにその一つを使ってみる。
(せっかくだ少しアレンジしてみるか)
目の前の地面に魔力を込めながら術式を描く。
すると大地がモコモコと動き始めた。
フユが俺の肩の上からそれを眺めている。
「フユ~、何か動いてるです。モコモコです!」
そう言ってピョンと地面に飛び降りると、好奇心で溢れた瞳でそれを見ている。
それは小さな子供型のゴーレムだ。
年齢は幼稚園児ぐらいである。
「エルリット! フユ~! フユちゃんがいるです!」
「ああ、お前の形をしたゴーレムだからな」
普通のゴーレムよりも遥かに精巧なもののはずだ。
見た目は、まるでフユが人間になったような感じである。
「凄いです! エルリット!!」
そう言って、フユはフユ型のゴーレムによじ登る。
相変わらずのお転婆ぶりだ。
肩に乗って、自分そっくりのゴーレムを興味深そうに眺めている。
『フユ~』
ゴーレムが、肩に乗っているフユを見つめながら首を傾げる。
それを聞いて、フユはびっくりしたのかゴーレムの肩から転げ落ちた。
俺はフユを手のひらで受け止める。
「エルリット! 喋ったです!」
「ああ、自分の意思って訳じゃないけどな」
あくまでも俺が描いた術式で制御されているだけだ。
暫くすると、ゆっくりとフユ型のゴーレムは土に戻っていく。
それを見てフユは悲しそうに俺を見上げた。
「フユ~、フユちゃん居なくなったです……」
「はは、まあ即席の錬金術だったからな」
(面白いな、これは普通の魔法とはちょっと違う)
今俺がやったのは、大きく分けて二つの作業だ。
一つはゴーレムの体を作り上げる事。
そしてもう一つは、その命ともいうべき核を俺の魔力を凝縮することで作り上げた事だ。
その凝縮した魔力の量を抑えていたために、直ぐにエネルギーが切れて大地にかえったわけである。
もちろん、アーミアのような自分の意思があるわけでもない。
どちらか言えば、冒険者ギルドでアウェインが作り出したゴーレムの進化系だ。
(より高度な魔法で作ってはるけどな。ただ、問題は外見よりも中身だな)
仮に強い魔力を流し込んでも、それはいずれ拡散して消えていく。
強いエネルギーをいかに内部に閉じ込めて循環させるのか、それが疑似生命体を作る上の肝のようだ。
その辺りも書かれているようなのだが、文字は読めても理解が出来ない。
俺は再び、幼い頃じい様の書庫に入り込んだ時のことを思い出した。
(読めることと、理解できることはまた別次元の話だからな)
今やった程度のことは出来るが、アーミアやあのエンジェルと呼ばれるホムンクルスが動いている原理となると、異次元過ぎて理解できない。
「ミレティ先生が手伝ってくれればなぁ」
エルークがこんな状況の今、とりあえずミレティ先生を待つしかない。
アーミアは、相変わらずエルークに寄り添っていた。
今はそっとしておいた方がいいだろう。
俺は、自分に似た疑似生命体が崩れしまってしょんぼりしているフユの頭を撫でながら、小部屋の奥にある書棚に向かう。
(日記か……)
そこにはタイアスさんの研究日記が、年代ごとに整理されて収められていた。
その主な部分は俺が手にしている白銀の本に記されているようだが、細かい部分はこうやって保存されているようである。
「フユ~、一杯本があるです!」
「ああ、そうだな。……もしかしたら、タイアスさんに何があったのか書いてあるかもしれないな」
俺はそう思って、研究日記にざっと目を通していく。
そこには地竜の杖の研究を始め、魔族の存在を知った時の苦悩が書かれていた。
日付を見る限り、今から数十年は前の話だ。
「バールダトスに操られていた、『魔王』とやらを倒してから数年後か」
ランザスの血を引く自分を、四大勇者から排除しようとする者達への怒りや絶望。
そこへ、若き日のディアナシア王妃が手を差し伸べてくれた時の感動も、まるで詩のように添えられている。
(四大勇者だって聖人じゃないからな。裏切られれば怒るし、恋だってするってことか)
俺は、アーミアが言っていたタイアスさんの言葉を思い出す。
『怯えることを恥じてはならない。それでも愛する者の為に戦わねばならぬ時は、決して逃げてはならぬ。自分は一番弱い勇者だったが、それ故に最後まで決して魔王に背を向けなかったことを誇りに思っている』と。
「俺が会った四大勇者の中では、一番人間らしい人だよな……」
じい様もマシャリアもミレティ先生も、苦悩する姿が想像つかないタイプだ。
俺はそう呟きながら手にしているに研究日記をしまうと、一番最後の日付が書かれている日記を手に取る。
三年前、タイアスさんがどうして急に姿を消したのか。
その理由が記されているとしたら、この日記にだろう。
最新の日記も途中までは特に変わった様子はない。
そこからは、魔族に対する対抗策を研究する様子が見て取れた。
(ここか……)
最後のページに書かれている文字は、それを記した人間の心を表すかのように乱れていた。
『あの剣は一体何だ? 私は、自分の研究をあんなものに使うとは聞いてはいない! 直ぐにでも、あのお方に確かめなければ。だが、もしこれがあのお方のご意思だとしたら私はどうすれば……馬鹿な、そんなことがあるはずもない!』
動揺したような部分は酷く文字が乱れている。
そして、その後には──
『私は四大勇者だ、これがもしもこれがあのお方の意思であるならば、それを止めなくてはならぬ。この命に代えても……』
日記はそこで終わっていた。
あのお方って言うのは……
(愚問だな)
恐らくはディアナシア王妃だろう。
少し旅に出ると嘘を言ってまで、ミレティ先生やマシャリアにまで黙っていたんだ。
その相手は、仲間よりも大切な人間でしかありえない。
それに、あの剣とは一体何のことだ?
エルークが持っていた剣の事だろうか。
そしてこの後、タイアスさんはどうなったのか。
(それは分からないが……)
俺は眠るように横たわっている、エルークを眺める。
彼の首筋に描かれた魔法陣、それを記したのが本当に大地の錬金術師だとしたら。
「タイアスさんは生きてるってことになる。それも、もしかしたら俺たちと敵対する存在として」
いつもご覧頂きまして、ありがとうございます!




