第百四話 絡み合った竜
「すぐに分かる。お前は数日後の御前試合で、その一人と戦うことになっているのだからな」
エルークの言葉に俺は驚いた。
「タイアスさんの研究を利用している連中と俺がってことですか? 俺が戦う相手は、士官学校の『四貴公子』ですよ?」
エルークのオッドアイが俺を見つめている。
「四貴公子か。お前は知らぬだろうが、その中の一人はホムンクルスだ」
「まさか!?」
呆然とする俺にエルークは答えた。
「それも只のホムンクルスではない、恐るべき目的のために作り出された……ぐっ!!」
「殿下!」
俺達の目の前で、突然膝をつくエルーク。
アーミアはしゃがむと、よろめくその体を抱き留めた。
「エルーク様! どうされたのです?」
俺はエルークの首筋を見てハッとした。
(これは……エリーゼの時の!)
首筋に浮かぶ魔法陣、エリーゼの護衛についた騎士たちの命を奪ったものと同じものだ。
俺は慌ててエルークの肩を揺さぶる。
「エルーク殿下! これは!?」
「まさか、この私にまで……エルリット、わ、私を大樹に」
言われるがままエルークを抱きかかえると、大樹に走る。
大樹の巨大な幹が直ぐ側にくると、エルークは俺の手に自らの手を添えた。
「真理に至るその道の鍵を……この者へ託す。ウィア・リアリタス・ヴェリタス!」
エルークが苦し気にそう唱えた瞬間──
彼の手が添えられた俺の右手に、白銀の魔方陣が描かれた。
(これは……)
その魔法陣と同じものが大樹の幹にも描かれていく。
そこから生まれ出たような幾つもの細い白銀の枝が、俺とエルークを包んでいった。
リスティとアーミアが叫ぶ声が聞こえる。
「エル君!!」
「エルーク様!!」
俺とエルークは無数の枝に絡めとられて、大樹の幹の中に取り込まれていく。
気が付くと、淡い銀色の光を放つ小部屋のごとき空洞の中に俺たちはいた。
思わず辺りを見渡す。
「こ、ここは?」
「生命と大地の大樹……『アニマテッラ』、その内側だ」
エルークの顔はうつろである。
その唇は真っ青だ。
「殿下!」
震える指先でエルークは、俺たちがいる空洞の中央を指した。
そこには沢山の本が並んだ書棚と、白銀に輝く本が一冊浮かんでいる。
「これが我らの研究資料だ……お前ならこれが読めるはずだ。エルリット・ロイエールス、この国の第二王子として命じる……名誉王国騎士の使命を果たせ」
エルークの赤と青の瞳が輝くと、額に魔方陣が浮かんだ。
「奴等は手強い……タイアスに気を付けろ、この術はタイアスに」
「タイアスさんに? 殿下、それはどういう意味ですか!」
一体どういうことだ、どうしてタイアスさんに?
それにエルークにこの術をかけたのは、タイアスさんだってことなのだろうか。
エルークが言葉を発しようとしても、既にそれさえできない様子がみてとれる。
(タイアスさんが、何かがキーになって発動するようにエルーク殿下に術をかけておいたってことか。馬鹿な、タイアスさんは四大勇者だぞ?)
しかもエルーク王子は愛弟子だ。
一体どうして?
(三年前に、エルーク殿下とタイアスさんに何があったんだ?)
それを問いかける前に、この国の第二王子はゆっくりと瞳を閉じた。
額の魔法陣が淡い光を放ち始める。
俺は額に浮かんだ術式を見て、ほっと息を吐く。
(自らを、仮死状態にするための術式のようだな)
白銀の木の枝が、エルークの体を支えるように集まっている。
枝の先が次第にエルークの体と融合していく。
まるでエルークに繋がったパイプのようだ。
それは眠っているホムンクルスの状態によく似ている。
首筋に浮かんだ魔方陣で命を落とす前に、自ら描いた額の魔法陣で仮死状態に至ったのだろう。
俺はエルークの首に現れた魔法陣を、じっと観察する。
複雑な術式だ、下手にこちらの魔力を注ぎ込めば何が起きるか分からない。
(どうする? これを描いたのが本当にタイアスさんだとすると、俺が下手に手を出すのは危険過ぎる)
それに……
俺は、タイアスさんが残したという研究資料がある書棚に向かう。
そしてその傍に浮かんでいる白銀に輝く本を手に取った。
その一部は、天井に描かれた魔法陣に使われている文字と同じである。
(いずれにしても、俺一人の手には余る話だな)
俺は空洞の端に行くと、そこで右手をかざす。
先程、エルークが描いた魔方陣が現れて再び発動する。
エルークが俺に託した鍵だ。
俺が大樹の外に出るとリスティとアーミアが駆け寄ってくる。
「エル君!!」
「エルリットさん、エルーク殿下は!?」
事情を話すと、二人を連れてもう一度中に入った。
アーミアが横たわるエルークの体にすがって泣いている。
「エルーク様……」
俺は眠っているこの国の王子を眺めながら言った。
「アーミアさん。もしもこの術を解読するか術者を倒せば、殿下の仮死状態を解いても大丈夫なはずです。時間はかかるかもしれませんが、やってみるつもりです」
「エルリットさん! 本当ですか!?」
涙に濡れた目で俺を見つめるアーミア。
いずれにしてもやるしかない。
タイアスさんの研究を完成させるにしても、エルーク殿下の力はいるだろう。
「ええ。それから、リスティさん。ミレティ先生をここに呼んできて貰えませんか?」
「分かったわ、エル君!」
こんな時に頼りになる人は、やっぱりミレティ先生だろう。
俺たちは一度研究室を出て、ミレティ先生の結界を開くと外に出る。
リスティは、ガルオンを呼び出してハヅキと一緒に学園へと向かった。
(時間が勿体ない、やれることを今の内にやっておくか)
俺はアーミアと共に再び結界の中に戻ると、大樹の中にこもってそこに残された本を読み始めた。
◇ ◇ ◇
エルリットが大樹の中で本を読み始めてから、暫く後。
ファルルアンの都エルファンの東に位置する、スハロエル男爵家の裏庭には一人の青年が立っていた。
鍛え上げられた日に焼けた褐色の肉体。
その前には巨木が立っている。
青年の瞳は静かに閉じられていた。
「むぅうううんん!!」
気合と共に開かれた瞳。
そしていつの間にか振りぬかれたその剣は、闘気で輝いている。
何ということだろう、凄まじい膂力と闘気の込められた剣が目の前の巨木を易々と斬り倒す。
ズゥウウウウン!!
倒れた木が地面に横倒しになって、砂煙を巻き上げる。
青年はそれを見て静かに息を吐いた。
凄まじい剣技。
四貴公子と呼ばれる英才たちの一人、ロイジェル・スハロエルである。
裏庭の林の奥、砂煙の先から拍手が鳴り響く。
ロイジェルは、訝し気にその音を聞きながら声をかける。
「人が修練を積んでいる姿を覗き見とは、無礼だろう」
「確かに。これは失礼をしました」
砂煙がおさまると、その奥からやってくる人影が見える。
ロイジェルは、自らの身の丈ほどもある大剣を構えるとその男に尋ねた。
「誰かは知らぬが、わざわざ気配を消して近づいてくるのだ。悪意があってのことと断じて良いのだろうな?」
現れた男にロイジェルはそう言った。
師であるミレティには常に実戦を意識して、物事を教わっている。
いつどんな敵が現れても良いようにと。
それが、かの偉大なる『四大勇者』に倣って名付けられた『四貴公子』としての誇りでもある。
ロイジェルの闘気を感じて、男はかけている眼鏡を左手の指先で直す。
その右手には変わった形の杖が握られていた。
三匹の竜が絡み合うようなその造形、その竜に守られるように一つの宝玉がはめ込まれている。
まるで真実を探求する学者のようなその風貌。
だが、巨大な剣を構える青年を見ても恐れの色さえない。
「悪意ですか? いいえ、善意ですよ。貴方は数日後の御前試合で負けます、今年士官学校に入って来た新入生にね。それも完膚なきまでに叩きのめされるでしょう」
「……なんだと、貴様!」
ロイジェルの体から、殺気に近い闘気が放たれた。
男はそれを嘲笑うかのように眺めると告げる。
「貴方には分かっているはずですよ? その焦りが、剣の冴えを僅かに鈍らせている」
男の言葉にロイジェルは、エルリットとラセアルの試合を思い出す。
試合自体は僅差に見えたが、その力の差は圧倒的だった。
「くっ! 貴様に何が分かる!!」
「エルリット・ロイエールスは特別です。かつてのガレス・ロイエールスがそうであったように。かの魔王を倒したガレスの槍技、貴方にも見せてあげたいものですよ。武術を極めんとするのならばきっと絶望するでしょう。本物の才能とはどういうものかを知ることになってね」
まるで魔王を倒す瞬間を見てきたような、そのセリフ。
そして、炎の槍の勇者をよく知っているとでも言わんばかりの言葉。
それにも増して……
ロイジェルは思った。
動けぬのだ。
目の前の男が放つ魔力に身動きさえできない。
これほどの力を持つ存在などいるのだろうか?
いや、身近に一人だけ知っている。
彼の師である四大勇者ミレティ、風の魔女だ。
彼女に匹敵するようなその力。
(馬鹿な! ミレティ先生に並ぶほどの力がある人間が、四大勇者以外にいるものか!)
ロイジェルは目の前の男を食い入るように眺める。
そして、驚愕のあまり目を見開いた。
「馬鹿な、あなたは! そんな馬鹿な……」
ロイジェルはその男を知っていた。
だが、目の前に立っているのは彼が知るその人物よりも遥かに若い。
まだ二十歳程にしか見えない姿だ。
彼が仲間と共に魔王と呼ばれる存在を倒した時の肖像、そのままの姿。
ロイジェルの目の前には、大地の錬金術師と呼ばれる男が立っていた。
「これから宴が始まります。ロイジェル・スハロエル、貴方にはそれに参加する者として相応しい力を授けてあげましょう」
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