第九十八話 地下深くに眠る者
そびえ立つ大樹。
そして今、根元の大地はまるで透明のガラスのように、その地下深くに眠る者をあらわにしている。
(こいつは……)
リスティが俺の肩をしっかりと掴む。
「エル君……これは一体何なの?」
「エルリットさん」
アーミアも呆然と足元に広がる光景を眺めていた。
フユは俺の肩の上で怯えたように震えている。
「フユ~、エルリット!」
俺たちが立っている大地の下に封じられるが如く眠っているのは、巨大な生き物だ。
先程俺たちが見た、例の魔王程度のサイズではない。
軽く数十メートルはあるその生き物。
三つの首を持つ巨大な黒い狼。
禍々しいその姿。
だがその化け物さえも従属させている存在が、そこにはいる。
黒い狼の背にまたがり、巨大な翼を広げている人型の生き物。
女だ。
美しい女。
三つ首の狼にまたがるその姿は、まるで見る者を誘惑するような妖艶さがある。
だがそこから感じられる気配は、背筋が凍るような邪悪さを秘めていた。
エルークがこちらに歩み寄ってくる。
身構える俺たちにエルークは言う。
「慌てるな、私はお前たちの敵ではない」
そして、地下に眠るその存在を眺めながら口を開いた。
先程まで戦っていた相手だ。
まだ信じていい存在なのか確信は持てないが、少なくてもこのエルークと先程までのエルークは違う。
見た目は同じだが、まるで何かの支配から解放されたかのようだ。
(先程の話を聞いた限りでは、魔王にか?)
何十年も前に倒されたはずの魔王が蘇り、何らかの形でエルークを支配するに至ったのだろうか。
いや、だが……エルークはあれは魔王ではないと言っていた。
「あれは魔王ではないってどういうことですか? それに黒い狼の化け物とこの女は一体!?」
まるで地獄の番犬のように恐ろしい姿の三つ首の黒狼。
そして、それを支配するかのようにまたがる翼の生えた女。
「先程の者など魔王と呼ぶのもおこがましい、本物の魔王はこの女だ。そしてこの黒狼は『滅びの黒い牙』と呼ばれる魔獣だ」
「滅びの黒い牙……本物の魔王」
一体どういうことだ。
今まで俺たちが魔王だと思ってた存在は魔王ではなく、この女が本当の魔王ってことか?
俺は赤と青の瞳を持つ男に思わず問いかけた。
それに応えるように、その唇がゆっくりと開く。
「千年前、この地で光と闇の戦いがあった。あの扉に描かれた壁画はお前も見たはずだ、エルリット・ロイエールス」
確かに俺も見た。
あの扉に描かれていた少女と巨大な竜。
フュリートが言っていた。
『今から千年近くも前の話だ。地竜族が守護する聖なる大地に施された封印が解け、闇が地上に解き放たれた。その時に地竜族の王子と共に戦ったのがこの少女だ』と。
エルークは続ける。
「闇の化身と呼ばれる恐るべき女と、光の化身と呼ばれる聖女との戦い。そして最後は光が勝利をおさめ、闇は再びこの地に封じられた」
つまり今、俺たちの足元の装置に眠る少女が、光の化身と呼ばれた聖女。
いや、だが話は千年前だ、ならどうしてこんな姿で。
そして……。
この地下に眠っている巨大な生き物が、エルークが言う本物の魔王か。
その時──。
僅かだが目が開いた。
地中深く封じ込められている女の瞳が、俺たちを眺めている。
(こいつ……)
まだ生きてやがる。
俺は勿論、リスティもそうはっきりと感じているのだろう。
身構えたまま動かない。
……いや動けないと言うのが正解か。
先程の闇と光の力に触発されて、禍々しい波動を放っているように感じる。
周りが凍り付くようなその波動は次第に消え、開いていたように見えた女の目も閉じていた。
まるで俺たちを見て、取るに足らぬ存在と興味を失ったかのように。
リスティが震える声で、エルークに問いかける。
「でも、さっきのあの怪物は一体何なんですか? この巨大な生き物が魔王だとしたら、あれは一体」
当然の疑問だろう。
あいつは、一体何だったんだ?
「あれはこの女に仕える眷属に過ぎん。かつて闇と光が戦い、その時に逃れた一部の闇の眷属どもが長き時を経て力を取り戻した。その一人を人々が魔王と呼び、かつて四大勇者と呼ばれる者達が命懸けで倒したのだ」
嘘だろ……ってことはこの女の下僕に過ぎない存在だってことか?
それが世界を滅ぼしかけたと。
なら、今俺たちの足元に居る存在が目覚めたらどうなるんだ。
(我ながら、馬鹿馬鹿しい問いだな)
滅びるしかないだろう。
エルークは言った。
「四大勇者と呼ばれる者達でも、奴を滅ぼすことは出来なかったのだ。光の力を持つ者しか、奴等を完全に滅することは出来ん。地竜の杖を復元するために各地を回り文献を調べておられたタイアス様は、それを知ったのだ。かつて聖地と呼ばれた場所がこの地であると言うこと、そして千年前再び封じられたこの女のこともな」
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