12月下旬 クリスマス・イヴ 下
沈黙が流れた。
蓮の言葉が私の頭の中をぐるぐると回っていた。
蓮は返事を待って、私をじっと見つめている。
「……一つ聞きたいんだけど……」
声が掠れた。
頭の中でがんがん警報が鳴り響いている。
「なんだ」
「……最初言っていたよね?ループの件があるから、この話はもっと後でいいって。なのにどうして今それをいうの?」
聞きながらも、蓮の返答が分かった気がした。
……私は、もうディアスがループさせることはないとほぼ確信している。
理由は、あの文化祭の日。
彼と話した時、なんとなくディアスはそんなことはしないと直感的に思ったのだ。
そのことはまだ誰にも言っていない。
勿論蓮にも。
私の外に、まだ誰もしらない情報のはずだった。
にもかかわらず彼は今、ループを気にせずはっきりと私に答えを求めている。
慎重な蓮が、確信もなしにそんな迂闊な発言をするはずがない。
それはつまり……。
「お前も何となく分かったんだろう?……あいつがループさせることはもうない。だから待つ必要もない。それだけの話だ」
あっさり蓮はそう答えた。
嫌な予感に背筋が冷えてくる。
「……どうして」
「文化祭の時お前が聞いた話は、俺も聞いていたからだ」
「!!!!」
濁った眼を向けられ、息をのんだ。
どうして気づかなかったのか。
自分の鈍さにうんざりする。
前世で嫌と言うほど知っていたはずではないか。
彼が、盗撮器や盗聴器を隠し持っていたことを。
それを使う事を躊躇するような男ではないことを。
私は誰よりも知っていたというのに――――。
「盗聴器……いつのまに……?」
「さあ、いつだろうな」
蓮はまともに取り合わない。答えるつもりがないのだ。
「……ディアスとの会話、聞いて……いたんだね?」
「お前が俺の知らない所で何をやっているのか知る必要があるからな。案の定、ディアスなんかと二人きりになりやがって」
怒りの篭った目で見据えられ、恐怖に固まる。
「ど……して……」
「今まで言わなかったのかって?お前こそどうしてあいつと会ったことを俺に報告しなかった。時間はいくらでもあったはずだ」
その言葉に、蓮が私に猶予をくれていたことが分かった。
自分の失敗を悟り、口元を押さえる。
「俺に隠し事がいつまでも通用すると考えていたのなら甘いな」
「……そんなつもりは」
言ってもいいわけにしかならないが、それでも潔白を訴えた。
蓮は白々しいと取り合わない。
「もう一つ言おうか、依緒里。お前俺に内緒で転校手続きをしていただろう?」
「!!!!」
……知られていた!!
驚倒しそうなほどの衝撃に、言葉もなく立ちすくむ。
更に蓮は容赦なく私を追い詰める。
「理由は再度のドイツ留学……。知らなかったか?生徒のそういう情報は生徒会長にも回ってくるんだよ。最初に見たときには目を疑った……てっきりお前は、俺を選んでくれたものだと思っていたからな」
「ち、違う!!私はちゃんと蓮を……!!!」
蓮は私の左手首をとり、きつく握り締めた。痛みに顔がゆがむ。
「い……いた!!!」
「俺の方がもっと痛かった」
「!!」
感情のない声でそう言われ、ただ蓮を見つめた。
蓮は淡々と語る。
「お前はいつ、俺に言うんだろうって思っていた。いくらなんでもこんな大事な事、婚約者の俺に一言も言わないなんてことあり得ない。……だが、お前は結局言わなかったな」
「そ……それは」
蓮の反応が怖くて言えなかった。
絶対反対されると思っていたから。望む道を潰されるのが怖かったのだ。
でも、想像していたよりも、今の蓮の怒りの方がもっと怖い。
それでも何とか気力を振り絞り、蓮に自分の考えを伝えた。
「で、でも……結局日本に残る事になったし……!!」
だからわざわざ終わったことを言う必要はなかったと言えば蓮は、呆れたように笑った。
「当たり前だろう?俺がみすみすお前を逃がすと思うのか?」
「え……?」
何を言っているのかわからず、ぽかんと蓮を見上げた。
彼は握った私の手首を更に強く押さえた。
あまりの痛みに、目の端から涙がこぼれる。
そんな私を満足げに眺めて蓮は告げた。
「今里がリザと付き合う事になれば、十中八九お前の師匠が日本に残る選択をするだろうことは分かっていた。今里の相手にリザを選んだのは主にそのためだ」
都合が良かったからなと蓮は嗤笑する。
私は呆然と彼の言葉を聞くことしかできなかった。
「……まさか、それも全部見越したうえで……?」
悠斗を助けたのだというのか。
そういうと蓮は何でもない事のように頷いた。
「一つの手段で、複数の結果を出すのは手法としては当然の事だ。どうせやるのなら最大の効果を狙う」
「……じゃあ、今回師匠が日本に残ったのは」
聞きたくないのに、勝手に言葉を紡いでしまう。
結局私は蓮を甘く見ていたと、そういうことか。
蓮は緩慢に頷いた。
「必然だ。俺はお前を手放す気はないからな。使えるものは何でも使う」
そう言い切る蓮の瞳が、暗い光をともす。
自分の間違いを突きつけられているようでやりきれない。
「……依緒里、なぜ勝手な事ばかりする。俺をそんなに振り回して楽しいのか」
止めのように言われれば、私にはもう言える言葉などなくて。
蓮は、暗い瞳のまま空いた手で私の頬を撫でた。そうして、左の薬指に指輪を滑らせる。
ピタリとはまった指輪をただ見つめる事しかできない。
蓮の指が私の顎にかかり、そっと上を向かされる。
「なあ、俺はお前の望みどおりにしてやっただろう?今里を助けてほしいというから助けた。お前が自由に振舞いたいだろうからと思い、閉じ込めてしまいたい気持ちも我慢した。それも全部、お前が俺を愛していると思っていたからだ。相愛の女の望みをかなえられないほど、俺は狭量な男じゃない」
冷たい唇が落とされた。ひんやりとした感触に体が震える。
「だが、俺は分からなくなった。お前は俺に何も言わない。そして何も聞かない。友人に警告まで受けておきながら、結局お前は何も言わなかったな?そんなに俺に興味がなかったか?」
「ち……違う」
何故、悠斗たちとの会話まで知っているのかとはもう聞かなかった。
聞く必要もなかった。結局全て知っているのだ、この男は。
その上で私がどう動くか観察していたのだ。
「何が違う?そう言う事だろう。なあ、俺はお前がわからない。お前は俺のモノだろう?お前の望みを叶えた俺に褒美をくれ。前世じゃない、今のお前を俺にくれ。俺と結婚すると、お前の全てを俺にささげると、お前の口から直接そう言ってくれ」
でないと不安でお前を閉じ込めてしまいたくなる。
仄暗い笑みを浮かべ蓮はそう言う。
私から手を離し、彼はポケットを探った。出てきたのは……ホテルのカードキー。
「ハイアットのパークスイートを取った。俺とお前の記念すべき夜だから。……さあ、言ってくれ、依緒里。そして俺を不安から解放してくれ」
カードキーをただ見つめ、黙り込む。
蓮が何を望んでいるのかは、分かった。
ある意味、前世の時と同じだ。
私のすべてを自分の手の届く範囲に閉じ込めたいのだろう。
正しい答えは分かっている。
『YES』だ。
今までの非を詫び、愛していると、結婚すると言えばいい。そして彼と一晩を過ごすのだ。それできっと元の彼に戻る。
でも。
私はそうは答えなかった。
辛くて、悲しくて、とてもじゃないけど首を縦に振ることなどできなかった。
「……どうして?蓮は知っているはずでしょう?全ての会話を聞いていたというのなら、私がちゃんと蓮を好きだってことも分かっているはずでしょう?なのにどうしてそれだけは信じてくれないの!!?」
元をただせば、私が悪い。
確かに責められてしかるべきだろう。
だけど。
自分の気持ちを疑われた事が悔しくて仕方なかった。
こんな脅すような求婚が嬉しいはずもないし、ただ縛り付けられるようなやり方にはもう耐えられない。
「……きっと蓮は、私が何を言っても本当の意味では信じてくれない。今日が無事に終わっても、また絶対に疑い続ける。そして、最後には私を閉じ込めてしまう」
いやいやと首を振る私に、蓮はイラついたように言った。
蓮に私の言葉は届かない。
「馬鹿な事を。……依緒里、聞き分けのないことをいうな。もう俺はお前を二度と失いたくない。一瞬でも目を離せばお前はいなくなってしまう。だから後悔しないように、目の届くところに置いておきたいと思って何が悪い!!」
「そんな悲しい束縛いらない!!!」
ついに私は叫んだ。
気づけば観覧車は、もう降りる寸前まで来ていた。
係員がドアを開ける。
……やっぱり駄目。このまま話していても平行線をたどるだけだ。
「ごめん。私、蓮の望みに応えられない」
「依緒里!!!」
蓮の声が聞こえたが構わなかった。蓮を渾身の力で払いのけ、開いたゴンドラから飛び降りた。
わき目も振らずがむしゃらに走った。
――――どうしようもなく悲しかった。
憔悴しきったまま、家に帰りベッドへと倒れこんだ。
知り合いに誰にも会わなかったことだけが幸いだった。
頭の中はぐちゃぐちゃだ。
何がどうなったのかもわからない。
ただ、枕に顔を押し付けて声を押し殺して泣いた。
しばらくして、ようやく今日起こった事を整理できるようになった。
体を起こし、ベッドの上にぺたんと座り込む。
目がすっかり腫れているみたいだったが、そんなことは気にならなかった。
……そして自分が蓮を拒否してしまったのだとようやく気が付いた。
気づくとともにまた涙があふれ出す。
……私は選択を間違えたのだ。
どこからとあえて言うなら、最初から。
蓮に、結果として隠し事をしたこと。何も聞かなかったこと。
そこから始まった。
極めつけが今日。
いつもの私なら絶対に間違えなかった。
蓮の問いに関する答えは『YES』だ。
それ以外の解答はなかった。なのに。
「やっちゃったな……」
感情が爆発してどうしようもなかった。止まらなかったのだ。
確かに蓮を愛しているのに……。
ふと、左手をみると蓮に無理やり嵌められたマリッジリングが光っていた。
さらに涙があふれやりきれない気持ちになった。
顔を両手で覆い、必死に嗚咽をこらえた。
もう、取り返しはつかない。
――――私は、間違えてしまったのだ。
ありがとうございました。




