7月中旬 仕切り直し
こんばんは。今日からまた本編再開です。
よろしくお願いします。
「1位、ね」
ぽつりとつぶやいて、その場を後にした。
――――最早、その位置に何の魅力も感じない。
◇◇◇
あれから、数週間が過ぎた。その間には当然学期末テストというものが存在したが、今の私には何の価値もなかった。
勉強をする気になれない。
一応、机に向かい教科書を開いては見るのだが、どうにもこうにも気が散って勉強にならないのだ。
結局、試験前のみならず試験中もずっと、ひたすらピアノを弾いているだけだった。
悠斗は試験日になって復帰してきた。かなりひどい風邪だったようだ。
というより体が弱いので、小さな病でも人一倍治すのに時間がかかってしまうということだったが。
悠斗の復帰を心待ちにしていたはずなのに、私の心は重いままだった。話そうと思っていたことも、話さずに終わってしまった。
……ぽっかり、心の中に穴が開いたような気分だった。
何をやっても同じではないのかという思いがぐるぐるとまわり続け、それが私をひどく疲労させた。
何もかもを忘れられるのはピアノを弾いているときだけ。
そのせいもあって、私はますますピアノにのめりこんでいった。
そんな状態で挑んだ試験だったが、全く気負わなかったせいだろうか。むしろ今までよりも楽に問題を解くことができた。何も考えず、さらさらと答えを埋め、見直しすることもなく提出して教室をでた。
私の様子がおかしいとなんとなく気が付いただろう。
悠斗の視線を感じたが相手をするのも億劫で、無視してそのまま家に帰ってまたピアノを弾いた。……後で自己嫌悪に陥った。
試験期間中はこの繰り返しだった。
試験休みには師匠と共に学園外で過ごした。今ヴィンスの顔を見たくなかった。ヴィンスが悪いわけじゃないことは分かっていても、詰ってしまいそうで怖かった。
兄さんや誠司くんにも何となく距離を取ってしまった。
ゲーム関係者と接触したくないというのが、私の今一番の望みだった。
終業式の朝、廊下に成績が貼り出されたという報を受け確認にいった。
2位以下に大きく差をつけた1位という結果だった。
今まで無駄に気負っていた自分が馬鹿らしくなり、結果をみてすぐにその場を立ち去った。クラスメイトが口々に賞賛の言葉を述べてくれたが、それに答えるのもしんどいと思った。
INELが入り、生徒会役員はHR終了後、生徒会室へ集まるようにとあったが適当な口実をつけ、いけないと返信した。
おそらくヴィンスも来る……学園の誰の顔も今は見たくない。
何もかもを避けるように、嵯峨山さんを急かして、家に帰った。
家では何もする気が起きない。
ぼんやりとただ過ごすか、ピアノを弾くか。
夏休みは、師匠たちと共に過ごすと決めている。明日には早速出かけてしまおう。
――――兄さんや誠司くんに色々言われるのも今の私には辛い。
のろのろと旅行鞄を取り出した。ため息をつきながら、荷造りを始める。涙が自然と溢れてくる。唐突に泣き出してしまうことも最近は増えた。
このままではいけない。
分かっている。分かってはいるのだ。
何もできないなりに、やってみることはあるはずだ。
悠斗に相談するのもその一つだろう。他にも一つ一つは小さくても、もしかしたらというものはあるはずなのだ。それを探すべきだし、実行することこそが私が唯一助かるかもしれない道なのだ。
だが、何をやっても無駄。そればかりが心をよぎる。頭では分かっていても、心が納得しない。どうせ同じなら、もう何もしなくてもいいじゃないかと自分の心が囁くのだ。
抗うのはしんどい。ループするならしてしまえ。
先の事は先の私に任せて、今の私は何もせず、その時を迎えてしまえばいいではないかと。
――――そう、どうせ何もしなくても3月になればループするのだから。
「……ふっ……くっ……ううっ」
涙がとめどなく流れる。
何とか声を押し殺すがどうしてもこぼれ出てしまう。
左手で口を押え、嗚咽をこらえた。
助けて。誰か、誰か助けて。
「伊織?」
ドアの向こう側から、焦ったような声が聞こえた。この声は誠司くんだ。
……私の様子がおかしいのが気になって、学校帰りに寄ったのだろう。一歩遅かったかと思う。
必死で涙をぬぐって呼吸を整えた。こんなみじめな姿、誰にもみせたくない。
「どうしたの、誠司くん」
ドアは開けない。なんとか平常を装って返事をした。声が震えないように細心の注意を払う。
「どうしたのって、お前。……おまえこそ何故生徒会室に来なかった。全員集合と言ったはずだ」
「ごめんね。INELでも言ったけど、どうしても外せない用事があったから。師匠も日本に残っているし、これからもこういう事増えると思う。何だったら私の事、罷免してくれていいよ。私ではお役に立てそうにないから」
「お前、何言って……。大体罷免って、内申を何より気にしていたお前が言うセリフではないだろう」
「いいの。もう。そんな気もなくなったし。だから、誠司くん……ごめん。一人にしてくれるかな?」
「伊織……!」
あからさまな私の拒絶に気が付いたのだろう。ドア越しにも誠司くんが動揺したのが分かった。
皆の王子様がそんなのじゃ駄目だよ。と心の中で思う。
しばらくして、ドアの向こうからは何の音も聞こえなくなった。誠司くんは私の望み通り、一人にしてくれたみたいだ。空気の読める男はこういう時助かるなあと、半笑いの顔でうつむく。表情が固まっている自覚があった。
誠司くんとの会話は、私のわずかに残った精神力を見事に削ってくれた。
荷物の準備を放り出して、ベッドに倒れこむ。やわらかい敷布の感触にまた涙が出てきた。
……何もかもが、嫌だった。掛布を頭から被ってぎゅっと目を瞑る。
「蓮……」
あのころはよかった。
私が関わるものはネットの世界と蓮だけ。その二つだけに囲まれて、私は何も悩むことはなかった。
きついことは、全て蓮が片づけてくれたし、引き受けてくれた。私は甘受していただけ。ただ、蓮の望むままに彼と暮らしていただけだ。
それでも、あの状態を望んだのは私だったし、誰が何といおうと私は幸せだと感じていた。蓮しか見れなくてもよかった。
それが、私の望んだことだったから。
今の私は、何も望めない。望んでもすべてリセットされる。
そして誰かの望む結末へ至るまで、ただ繰り返させられるだけだ。
「そんなの嫌だ……」
泣いても泣いても涙は止まらない。枕がぐっしょり濡れて、使い物にならなくなってしまった。それでも、止めるすべを私は知らない。ついにはしゃくりあげ、泣きじゃくってしまう。
「伊織!」
突然扉が勢いよく開いた。びっくりして思わず、顔を上げ振り返る。
「お前、泣いているのか!?」
慌ててこちらへ駆け寄ってくるのは、誠司くん。
何故? 帰ったのではなかったか。
私の側へやってきた誠司くんは私の顔をみて、顔をゆがめた。そして何も言わずに、強い力で私を抱きしめる。
「……え?」
「俺がいる。……大丈夫だ」
ぎゅっと力を込められる。宥めるようにぽんぽんと背を軽く叩かれた。
……ひどい顔を見られてしまった。
こんな顔、仮にも婚約者に見せるものではないだろう。幻滅されたって仕方ない。どうせ私は何もかもを失った。これ以上一つや二つ無くなったところで痛くもかゆくもない。
完全にマイナス思考に陥っていた私は、誠司くんの言ってくれた言葉を聞き逃した。だから、やっぱりそのままの感情で言ってしまう。
「わがままで義務を放棄して、こんな顔して泣いているような女、誠司くんも嫌気がさすよね。……いいの。分かっているから。私なんて……」
誠司くんの腕の中で離してほしいと身をよじりながら、更に自らをおとしめるセリフを紡ごうとしたその時。
「ん!?」
言葉ごと奪い取るように、唇が重ねられた。
何が起こったのかすぐには理解できず、驚きに目を見開いたまま誠司くんを見つめる。彼は目を閉じていてその表情はうかがいしれない。ただ、私の顔のすぐそばに、彼の金色の柔らかい髪があって、それがさらりと揺れた。
逃がさないようにか、さらに私を抱きしめる腕に力がこもる。
重ねられた唇は離れない。私の存在を確認するかのように何度も何度も形を変えて触れられる。時には下唇を噛んだり、なぞるように舐められたり。私は拒否できず、ただ、翻弄されるだけ。気が付けば、私は目を閉じ、まるで彼を受け入れるかのように、誠司くんの制服の上着を両手でしっかりと握りしめていた。
「……ん……はあ……」
どれくらいの時間が経ったのか、ようやく唇がはなされた。
誠司くんと視線が合う。
「な……んで……?」
「好きな女が、自分を卑下するようなこと言うからだ」
誠司くんは私をはなさない。抱きしめた腕はそのまま、耳元で呟く。
「いくらおまえでも、俺の好きな女を貶めることは許さない」
「……誠司、くん」
「泣きたいならいくら泣いてもいい。すがりたいなら、いくらでも俺にすがれ。だが、自分を卑下するな」
それだけは許さない。と吐息だけで囁く。
「でも」
「伊織、何を嘆いている。俺には言えない事か? 俺に話せないというのならそれでもいい。だが、一人では泣くな。泣きたいなら俺の所へ来い。何時間でも、何日でも、俺が絶対にお前を泣かせたまま、一人にはさせない」
「あ……」
止まった筈の涙がまたあふれ出した。彼の胸元に顔を埋め、上着をさらに握りこみ必死に泣かないように踏ん張ろうとした。
「うっ……う」
「我慢するな、伊織」
だが、誠司くんはそれに反するように、ぽんぽんと背中を撫でる。
その手の温度を感じた瞬間、我慢していたものが決壊した。
後は、ひたすら泣き続けた。最早何の遠慮もなく、声を上げて泣く私を誠司くんは何も言わず、ずっとやさしく撫で続けてくれる。それが痛いくらいに嬉しかった。
――――どれくらい泣いただろうか。
ようやく我に返った私は、羞恥に顔を染めながら誠司くんの胸をたたいた。
「誠司くん、もう……大丈夫だから……」
はなしてというと、そっと解放された。こちらを見る眼差しが心配そうに揺れている。
随分と情けないところを見せてしまった。誠司くんには、最近こんなところばかり見られている気がする。
「伊織……大丈夫か?」
その声にしっかりと頷いた。遠慮なく泣いたせいだろうか。ため込んでいた何かが涙と一緒に流れて行ったような気がする。
「ありがとう。誠司くんのおかげ。なんか私ずいぶんと思いつめていたみたい。吹っ切れたから、もう平気だよ」
強がりではなくそう言えば、少し安心したように笑ってくれた。
「なら、いいが。……里織も心配している。落ち着いたらリビングに顔をだせ」
「うん」
迷わず頷く。
……そこで妙な沈黙が痛かった。だらだらと冷や汗が流れる。
会話! 会話が続かないよ、誠司くん。
気まずいのは分かるけど、それ私の方だから。
キスされたの私だよね。ここは年の功で頑張れってか? 無理無理。久しぶりすぎてどうしたらいいのかさっぱりだ。
先ほどのキスを思い出してしまい、羞恥に身をよじる。思わず正座して、うつむいてしまった。誠司くんも黙っている。お互い何も言えず、時間だけが無情に過ぎていく。
「えーと、誠司くん……?」
「なんだ」
沈黙に耐えきれず声を掛けると、待っていたかのように返事が返る。この何とも言い難い空気を何とかしたい。
「私、明日からまた、師匠のところへいくから、荷造り……したいんだけど」
自分の要件を告げてみた。こっそり誠司くんを見上げると、彼は真っ赤な顔をしていた。うわ、なにこれ可愛い。もしかしてずっとこんな顔してたの?
「そ……そうか。なら俺は戻る」
「う、うん」
なんだかこっちまで恥ずかしくなってきた。
考えてみれば、あれって私のファーストキスなんじゃないの? うわああああ。恥ずかしい。何これ、ファーストキスってこんなんだったっけ?
一人で身悶えていると、誠司くんが立ち上がる気配がした。あわてて顔を上げる。
「伊織」
「なに?」
黙っていた誠司くんが固い声で言う。
「俺は、謝らないからな」
そのセリフに、目を見開く。……徐々に口元が緩むのが分かった。
「……必要ないよ。ありがとう」
「お前は! くそっ」
「ちなみにファーストキスだよ。レモンの味しなかったね」
するわけがない。動揺させてみたかっただけだ。案の定、誠司くんはせっかく戻した顔色を真っ赤にさせた。
「誠司くん、可愛い」
「……なんでお前の方が冷静なんだ」
「誠司くんが先に動揺したからじゃないかな」
こてりと首をかしげて言うと、片手で顔を覆った。
「……もういい。……元気になったみたいでよかった」
「ふふ、ありがとう。私も、誠司くんがいてくれてよかったよ」
じゃあね、と誠司くんを見送る。手を振ると誠司くんはちょっとわらって、此方を向く。そして、少し屈んで私に口づけた。一瞬だった。あまりにも自然で、何の反応もできなかった。
衝撃に固まる私に、誠司くんは満足そうに笑った。その表情は蕩けるように甘い。
「お前の方こそ、りんごみたいだぞ。伊織。……すごく、可愛い」
「誠司くん!」
「いつもお前には、やられっぱなしだからな。お返しだ」
後で忘れず顔を出せよと言い、今度こそ誠司くんはリビングの方へ戻って行った。
私も無言で、部屋に戻る。ぱたんと部屋の扉がしまり、そのままずるずると床に座り込んだ。
「……なにあれ」
頬を両手で押さえる。……熱い。
……せっかく平静を装っていたというのに、最後にもう一回爆弾を落としてくれた。心臓はばくばくするし、顔ものぼせ上がったかのように熱い。
思い出すと、恥ずかしくてたまらない。どうにも意識してしまう。
落ち着け、私。
前世では、それこそあんなことやこんなことまで経験した。今更キスの一つや二つ、どうってことないはず。
そう思っても、顔に集まった熱はなかなかひかない。
さっさと荷造りして、リビングに行かねばと思いながらも、その場からしばらく動くことができなかった。
ありがとうございました。




