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3年前冬 銀色の少年 下

こんばんは。

過去編は予定通りこれで終了です。


『ここで少し待っていて』


 家に帰った私は、リビングに少年をとおした。

 ソファに座らせて、お茶の用意をしようとキッチンへ向かう。リザと師匠はでかけたようだ。走り書きのメモがキッチンの机の上に残されていた。

 備え付けの戸棚を確認する。家具付きの家だったので、ある程度のものは一通りそろっているはず。目的をもって探せば、すぐに戸棚の上段にティーセットを見つけることができた。取り出して、一応カップを洗いなおすことにする。

 紅茶を入れようとして、そこで一旦とまった。外は随分冷え込んでいた。身体を温めるものがいいだろう。少し考えて、チャイを作ることにした。少し甘めにして、シナモンを入れる。

 後は、自分用に買ったショコラを数個、皿に乗せて持って行った。

 じっとしていられなくて、うろうろしているかと思いきや、少年は通されたリビングのソファにおとなしく座っていた。


『お待たせ』


 声を掛けると、ぱっと振り向く。

 一人で残されて不安だったのだろう。その顔が輝いた。……可愛い。

 ショタに目覚めてしまいそうな自分が怖い。それくらい暴力的な可愛さだった。実年齢は置いとくとしても、実際は12歳なわけだからショタではないはず、と自分に言い訳する。いや、犯罪は駄目、絶対。

 なんとか、理性を保った私はできるだけ平然とした顔を作り、お茶を飲むよう勧めた。恐縮しつつも、嬉しそうにカップを傾ける彼は所作までが美しい。とても子供のようには思えなかった。


『おいしいです』

『そう? それはよかった』


 ほっとしたように告げてくる彼に笑いかける。

 私も自分のカップをとり、一口すする。甘さが口の中に広がり、冷えた体を癒していった。

 静かにお茶の時間を楽しむ。少年は何も言わなかったし、私も聞かなかった。このまま何も聞かないで別れる。もう、それでいいだろうと思っていた。

 だが、それを破ったのは少年の方だった。


『あの……』

『何?』


 恐る恐る声を掛けてくる彼に、言葉を返す。少年は逡巡した様子をみせたが、続けた。


『自己紹介が遅れてすみません。僕、ヴィンセントっていいます』

『こちらこそ。私は、イオリ・カブラギ。改めてよろしくね』


 ようやく知った彼の名前ではあったが、名字は名乗らなかった。やはり、聞けば分かってしまうような家柄なのかなと、少し思う。


『カブラギ……。イオリさんは日本人ですか?』

『うんそう。ピアノ留学でこちらに来ているの。でも私がよく日本人だってわかったね』

『名前と……あと顔だちも。僕、日本の方と接する機会は多いのです』

『そうなんだ』


 ますます彼が何者か気になる。複雑な気持ちで彼を見つめていたが、ヴィンセントはそれには気が付かず、部屋の奥にあるピアノの方に興味がいったみたいだった。


『ピアノが気になる?』


 立ち上がって声を掛ければ、頷いた。


『じゃ、何か弾いてあげようか』

『……僕の為にですか?』


 単に今日はまだピアノに触れていなかったからという理由が大半だったのだが、少年は期待を込めた眼差しでこちらを見つめている。裏切れるか。

 ……答えはノー。


『そうだね。何かリクエストはある?』


 そう言えば、彼は考えるようにしてから答えた。


『イオリさんの弾く曲ならなんでもいいです。あなたがピアノを弾くのを隣で聞いてみたい。……いいですか?』

『いいよ。じゃあ、こっちにおいで。適当に弾くから、何かリクエストがあったら随時受け付けるよ』


 ヴィンセントを手招きしてピアノのある部屋に誘う。ピアノの隣に椅子を置いてやって座らせた。さて、何を弾いてやれば喜ぶだろうか。

 考えてみたが、自分にとってはどれも等しく名曲であり、好きな曲なのでどれを弾けばいいか分からなくなった。ちらりと隣に目をやれば、わくわくと嬉しそうな顔をしている。……とりあえず思いつくままに弾けばいいか。

 そこから小一時間ほど、彼の反応を伺うようにしてピアノを弾いた。ヴィンセントは思っていた以上にクラシックの事が分かるようで、こちらもすっかり楽しくなってしまった。

 いかん。ちょっと調子にのった。

 弾き終わると、ヴィンセントはうっとりした表情でこちらを見つめていた。どうやらご満足いただけたらしい。


『満足した?』


 聞いてみれば、大きくうなずかれる。そして、小さな手で一生懸命拍手してくれた。


『はい! 自分の為に弾いてもらうことが、こんなにも心地よいものだったなんて知りませんでした!』


 力が戻ってきます、とわけのわからないことを言う彼の言葉は無視する。きっとその方がいい。


『そう。それならよかったけど』


 時計を見ればもう夜も遅い。さすがにこれ以上は引き留められないだろう。

 私の無言の訴えに気が付いたのか、ヴィンセントは立ち上がってそれは優雅にお辞儀をした。


『今日はありがとうございました。イオリさん。とても楽しかったです』

『楽しんでもらえたのなら、良かった』


 時間も遅いし、途中まで送ろうか? と声をかけてみたが、頑なに首を振った。よほど知られたくない事情があるらしい。それならこれ以上は立ち入らない方がいいか。

 仕方なく、玄関まで見送りにいった。


『大丈夫です。……僕を襲うなんて命知らずはいませんから。今日は本当に嬉しかったです。……また、来てもいいですか?』

『いいよ。私も楽しかったし。しばらくこの町に滞在する予定だから、いつでもおいで』


 一人で帰ることを心配する私に、とんでもなく物騒な答えを返す彼。

 苦笑して、じゃあね、ヴィンセントと別れの言葉を告げた。ヴィンセントはそれに頷いてから、そうそうと付け足した。


『僕の事は、ヴィンスと呼んでください。あなたにはそう呼ばれたいです』

『ヴィンスね。分かった。じゃあ、改めて。……おやすみ、ヴィンス』

『おやすみなさい。イオリさん』


 にっこり笑って、玄関を出ていく。見えなくなるところまで一応見送ろうと慌てて後を追いかけたが、ヴィンスの姿はもうどこにもなかった。

 私は一瞬棒立ちとなり、それから首をゆるゆると振った。


『……世の中には不思議なことがあるなあ』


 この一言ですべて片付けようと思った。私には色々と荷が重すぎる。

 それからというもの、ヴィンスは暇さえあれば私を訪ねてきた。それは昼夜関係なかったが、何故かいつも師匠とリザのいない時だった。おかげでヴィンスとのことも、何となく師匠たちに言いそびれてしまっていた。言ったら言ったでうるさくなりそうな気がしたからという理由もあるが。

 師匠の話をしてやれば、ヴィンスは楽しそうに笑った。年相応に見える表情にほっとした。

 ヴィンスは私がピアノを弾いているのを隣で眺めるのが好きだった。私としても、喜んでもらえるのなら弾くことに否やはない。たった一人とはいえ、観客がいてくれるというのは嬉しいことでもあるから、求められるままに弾き続けた。

 ピアノを弾いて、疲れたらお茶をして休憩。またピアノ。ヴィンスとの日々はこんな感じだった。

 遊び盛りの年頃だから、外へ出たいのではないかと思って一度聞いてみたこともあったが、『あなたのピアノを聴いていたい。駄目ですか?』と潤む目で見つめられて、全面降伏した。ヴィンスがそれでいいというならいいや。


 ……そうして、知り合ってからそろそろ一月が過ぎようとしていた。


 今日は昼から師匠たちは留守だ。私は留守番。やはり、どこから聞きつけたのか、いつものようにヴィンスはふらりと現れた。分かっていたことなので、快く迎えいれる。

 望まれるままにピアノを弾き、一旦休憩しようと提案した。お茶を入れてソファに座る。今日のお茶は、セイロン・ウバ。

 ヴィンスには濃いかと思ってミルクティにして出したが、私はストレートで用意した。

 お茶菓子は、今日はバウムクーヘン。昨日、30分並んで買ってきた老舗メーカーのもの。最近の私のお気に入りだ。


『おいしい』


 幸せに浸って、バウムクーヘンを突いていると、ヴィンスの笑う気配がした。この子、日に日に色っぽくなってくるんだけど、どうしたことか。最初の頼りないはかない印象が嘘のように、華やかなものへと変わってきていた。絶対年下の少年には見えない。


『イオリさんは、幸せそうに食べますね』

『え? うん。だっておいしいもの』


 おいしいものを食べると、人は自然と幸せな気分になれると思うのだ。安い幸せだと笑いたいなら笑うがいい。


『そうですね。僕もおいしいという感覚がどういうものか、最近ようやくわかってきたような気がします』

『最近?』


 聞いてもいいのかなと思いつつ、さくっと聞いてみる。駄目だったら話を逸らすだろう。この子は賢い子だ。


『そうです。ずっと、味なんてわからなかったんです。でも、あなたがこうやって教えてくれたおかげで、最近は食べ物に味があること。美味しいという感覚を理解することができたんです』

『ちょっと大げさすぎない?』


 とんでもないという風に首をふるヴィンスに呆れかえる。


『僕が初めておいしいという感覚を理解したのは、あなたの入れてくれたチャイですよ』

『……それはまた、光栄だわ』


 もはや言い返す気力もない。最近ヴィンスは一事が万事このような感じだ。嘘をついているようにも見えないから性質が悪い。本当にどんな育ち方をしたのやら。


『イオリさん』

『ん?』


 困った様子を見せるヴィンスに首をかしげる。何か言いたいことでもあるのだろうか。話の先を促すように視線をやれば、ヴィンスはぽりぽりと頬をかいて、上目づかいでこちらを見てきた。うわ、何この破壊力。


『あなたは僕に、何も聞きませんね』


 ぽつりとつぶやくように言われて、遂に来たかと思った。


『……聞いてほしくないと思っていたんだけど、間違っていた?』

『いいえ。その通りです』


 答えを聞いて、頷いた。うすうすと感じていたことだが、やはり合っていたようだ。


『じゃ、なんで今更聞くの?』

『何故でしょう。僕も良くわからないのですが……あなたになら聞かれても構わないと思うようになったのです』

『……話したいの?』

『そういうわけではないのですが……』


 自らの微妙な感情にとまどっているヴィンスに提案する。


『言わなくてもいいと思うよ』

『え?』

『だって話したいわけではないのでしょう? 無理することないと思う。私も別に聞きたいと思わないし』

『でも、気になりませんか? 僕、最初から色々見せているでしょう? おかしいと思いませんでしたか? あなたは何も言わなかったですけど、やってはいけないことをしている自覚はあるんですよ?』


 強い口調で詰め寄ってくるヴィンスに、落ち着けとジェスチャーする。

 最初は確かに気になったよ。でも。ねえ。


『別にいいんじゃない。そういう個性ってことで。ヴィンスには色々なことができるみたいだけど、不思議なことは世の中にもっとたくさんあるしね。ヴィンスはヴィンスってことで私はそれでいいと思っているし、納得しているよ』


 だから、気にする必要はないと伝えれば、呆然とした顔でこちらを見てきた。

 嘘ではない。だって、色々考えるのが面倒くさくなったのだ。こちらに危害を加えるわけでもない。ヴィンスはいい子だ。ならもうそれでいいじゃないか。

 大体、この世界は似ているようで前の世界とは別物。そういう人もこの世界には存在すると思えばいいのだ。


『……本当に? 本当にそれでいいんですか?』

『いいって言ってるじゃない。疑り深いなあ』

『……だって、そんなこと言ってくれる人、今まで一人もいませんでした……』


 ついには手で顔を覆い、うつむいてしまう。

 虐待はないのかもしれないが、ずいぶんさみしい思いをしてきたことは事実らしい。手を伸ばして、銀色の髪をやさしく撫でた。


『……なくなってしまえばいいと思っていました』


 しばらくして、ぽつりと零される言葉にただ聞き入る。


『皆汚い。僕を利用することしか考えていない低俗な奴らばかり。すべてが嫌になって逃げてきたんです。……と……に……たこの場所に』


 最後の方は消え入るような声で何を言っているのかは良くわからない。


『せっかく……と……た……だけど……もういいかなって。でも、あの日あなたと会えた。……が初めて……を僕として……してくれたんです。だから……て良かったって思えたんです』


 彼が言っていることは、嗚咽が混じっていて半分も理解できない。それでも聞き返すことはせずに、うんうんと頷きながら彼の髪を梳いた。


『……あなたと出会って、初めて人も捨てたものじゃないと思うようになりました。……もう少し、待ってみてもいいと思うようになりました』


 顔を上げたので、手をひっこめた。まだ、瞳に涙の跡が残ってはいたが、ヴィンスは微笑んでいた。


『イオリさん。今日はお別れにきました』

『そう』


 そんな予感はしていた。


『僕は帰らないといけません。……ようやくそう思えるようになりました』


 家出少年はようやっと戻る気になったらしい。


『帰る場所があるのなら、その方がいいよ。私も、もうここを離れるから』


 予定は全て消化している。今日、師匠たちはこの家の解約手続きに行っているのだ。私は部屋の片づけで残っていただけ。


『そうですか。丁度良かったのかもしれませんね』

『そうだね。ヴィンスと知り合えてよかった』


 僕もです。そういってくれるヴィンスに胸があたたかくなる。


『最後に、お願いがあるのですが』

『何?』


 初めてのヴィンスのお願いだ。聞けるものなら聞いてあげたい。


『リクエストを。ショパンの『別れの曲』をお願いしてもいいですか?』

『日本風に言わなくてもちゃんとわかるよ。うん。いいよ。聞いていって』


 彼のお願いに勿論とうなずく。ピアノの前に座り、鍵盤に手を置く。ヴィンスが隣に座った気配を感じる。薄く笑って、弾き始めた。


 美しい旋律が流れていく。きっと弾き終わったときには、もうヴィンスはいないのだろう。何となく分かっていた。最後の時を惜しむように感情を込めて音を奏でる。


『……あの時あなたは、この世界を救ったんですよ』


 もう、曲も終わる。そんな時に耳に触れた声。私は、ヴィンスを見ない。ただ、ひたすら鍵盤と自分の音を追う。多分彼も、それを望んでいるから。


『今度は、きちんと出会いたいです』


 ありがとう、と最後かすれるような響きと共に、隣の気配がふっとかき消えた。

 最後の一音を、集中したまま弾ききる。顔を上げた時、ヴィンスはもうどこにもいなかった。


『さよなら。ヴィンセント』


 彼が幸せになるといい。どこのだれかも分からないし、二度と会うことはないのかもしれないけれど、それでも祈っているから。


『イオリ。お待たせ! 明日引っ越しだから、片づけ急いで!』


 玄関から師匠たちの声が聞こえてきた。全くもってタイミングのいい男だった。でも、もしかしたら師匠たちの帰ってくる時間がわかっていたのかもしれない。それくらいは平気でやりそうな気がする。

 本当に人ではなかったのかも。

 でもそれはそれでいいか。ヴィンスだし。

 そう思って、玄関の方に顔を向けた。のんびりと立ち上がる。


『師匠。すみません。うっかりピアノ弾いていまして、全然片づけができていません』

『あら? それじゃあ仕方ないわね。なら皆で一緒にやる?』

『母さんは手をだすな。イオリ、時間がない。全速力で終わらせるぞ』

『了解』


 いつものやりとりが戻ってくる。こうやって、私は非日常から日常へと回帰する。

 そう言えば、と当初の予定を思い出した。


『結局、一度も城内見学できなかった……』

『時間あったわりに、イオリもピアノ漬けだったな』

『まあね。仕方ないか』


 さっさと片付けてしまおう。そう思いながらも、最後にもう一度ピアノの方を振り返る。

 未練がましいかなと思わないでもなかったが、言葉は口をついて出てしまった。


『……師匠、一曲だけいいですか?』

『……いいわよ。何を弾くの?』


相応しい曲はこれだけ。


『――――ベートーヴェンの「月光」』









ありがとうございました。

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