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6月中旬 甘党のすすめ

こんばんはー。今日もよろしくお願いします。

『くー! 弾いたわー!』


 満足げにピアノから立ち上がる師匠。リザと同じ金髪のセミロングがさらりと揺れる。スレンダーなきつめの美人で、とても娘がいるようには思えない。そんな彼女は、私たちの姿を見つけて『あら? いたの』といいながらあっけらかんと笑った。

 ピアノに集中している時の師匠はいつもこう。誰の姿も目に入らない。


『師匠。お久しぶりです』


 本当は電話で話したりしているから、久しぶりでもなんでもないのだが、会うのは帰国して以来だから間違ってはいないはずだ。


『イオリ! ここ、あなたの通う学校だったのね。それを知っていたらもっと早くオーケーしてあげたのに』

『師匠には、私の通う学園名を伝えていたと思いますが』


 確かに言った筈。『どうして音楽科じゃないの』と散々言われたから覚えている。


『そう? 覚えてないわ。いいじゃない、そんなこと。それよりこれから二週間またよろしくね』

『はい。こちらこそよろしくお願いします』


 覚えていないということは、彼女にとってどうでもいいことだったのだろう。

 自分の興味あること以外はさっさと忘れてしまう特技のある彼女にとって、こんなことは日常茶飯事だ。分かっているので私も特には追及しない。


『ディアス理事。ここのピアノはなかなか良かったわ』

『それはよかったです。ミズ・ショウコ、今日これからの予定を聞いても?』


 そしてさっさと話題変換。これもいつもの事だ。


『予定? リザ、私の予定ってどうなってるの?』

『……今日はこれで終わり。後はホテルに帰るだけだ』


 くるりと振り返り、まだ13の娘に予定を確認する師匠。本当にピアノを弾く以外の事は壊滅的なのだ。自らの予定なぞ覚えているはずもない。


『らしいわ』

『それならこの後、夕食でもどうですか』 

『おいしい日本食のお店ならいいわよ』

『わかりました』


 淡々と話が進められていく。どうやら食事会になるようだ。

 自分には関係のない蚊帳の外の話だと思っていたがこの流れ、もしかして私も参加か。


『えーと、師匠?』

『勿論あなたも来るのよね?』


 ……イエスの返事以外許されなかった。


◇◇◇

 

 一旦宿泊先に戻るという二人と別れ、私も一度家に帰ることにする。これから二週間、おそらく師匠の部屋に泊り込みになるだろう。

 世話係に指名されるというのはそういうことだ。明日からまたリザと2人、師匠に振り回される日々が始まる。考えるだけで溜息がでる。……帰ったら荷造りしておこう。

 時刻は夕時。理事長室からの帰り、帰宅を急ぐ私に何故かディアスが付いてきた。


「先生。一人で戻れます。送っていただかなくて結構です」

「もう夕方ですよ。何があるかわかりません。見送りくらいさせて下さい」


 こういったやりとりが続き、時間の無駄を悟った私は結局白旗をあげてしまった。


「わかりました。ではお願いします」

「はい」


 こいつは絶対にひかない。そう思っての判断だったが、恐らく間違っていない筈。


「そういえば、伊織さん。さすがに綺麗なドイツ語でしたね」

「何年も暮らしていましたから。先生こそ流暢なドイツ語で驚きました」

「語学は得意なんです、僕」


 語学『も』の間違いだろう。この悪魔、万能すぎて嫌になる。万能と言えば、誠司くんもドイツ語話せたな。さすがご都合主義のゲームの世界。チートな奴らばっかりだ。

 そういえば、と思いディアスに話を振る。この話はしておかないと。


「先生、師匠との夕食会ですが」

「はい、何か注意点でもありますか?」


 軽くうなずく。


「和食の店ということでしたが、食後のデザートには特に気を配ってください。師匠の好物は和菓子と緑茶です」

「和菓子……ですか」

「そうです。それが気に入らないと、下手をすればリサイタルは中止という事態になりかねません」


 真面目な顔で告げる。

 実際嘘ではないから困ったものだ。ドイツでも似たような事態になったことがある。

 コンサート会場の支配人が師匠の要求していたショコラを用意できず、怒り狂った彼女がストライキを起こしたのだ。あの時は、リザが師匠をおさえている間に、私が師匠のお気に入りのショコラティエの店に走って、難を逃れたのだったか。あんな胃が痛い思い2度としたくない。

 単なる我儘なら言い含めることもできるかもしれないが、事実として彼女好みのスイーツを用意できた時とそうでない時で、演奏のクオリティが天と地ほど変わる。

 本人曰く、無自覚でコントロールはできないそうだ。性質たちが悪い。

 だが天才と呼ばれる人たちなんて大小の差はあれどこんなものだと思う。

 私が真剣に言っているのが分かったのだろう。ディアスもまた、わかりましたと重々しくうなずいた。


「そちらに重点を置いたチョイスにしましょう。どのような和菓子が好きだとか特に好みはありますか?」

「いえ、和菓子なら全般好物です。ただ、最近のお気に入りはみたらし団子だと言っていました。緑茶は玉露が今はブームだそうです。先週の情報ですので間違いないかと。気に入ってもらえれば、気持ちよく仕事をしてくれると思います」


 師匠はそういう人だ。

 甘いものが何よりも好きで、特にその中でも和菓子に目がない。

 今回の来日だって、別に仕事があったわけではなく、空いた期間を利用して和菓子と緑茶を楽しみにやってきただけというからびっくりだった。


「……情報をありがとうございます。危うく機嫌を損ねるところでした」

「いえ、師匠の世話係としてこれくらいは当然です。師匠もそれをわかった上で指名してきていますから」


 これで、変なものを出した日には、ディアスではなく私が怒りをかう。


「……変わった人でしょう?」


 思わずぼそっと言ってしまう。

 ディアスは私を見て、そうですねと言った。


「……でも、それを補って余りあるほどの素晴らしい音楽家なんです」


 彼女のピアノを初めて聞いた時は心が震えた。弟子に決まったと知った時、本当に嬉しかった。


「ええ……だから是非彼女にきてもらいたかったのですよ」

 

 視線をそらさず、ディアスは言う。


「あなたの先生だという彼女のピアノを生で聞いてみたかった。今回僕がわざわざ直接交渉に行ったのはそのためです。せっかく来日しているみたいですしね。あなたのその音を鍛えた人物はどのような人だろうと、興味がわいたのですよ」

「音のままの人です」

「ええ。ずいぶん無理を言いましたが、来てもらって正解だったと思っています」


 先ほどの演奏も素晴らしかったというディアスに頷く。


「師匠を見ていると、自分の中にあるかもしれない可能性を、試してみたくなるんです」


 少し照れくさいと思いつつも胸の内を話した。師匠の事に関しては、嘘もごまかしもしたくない。そんな私をディアスは笑わなかった。


「その気持ちは大事だと思いますよ。あなたの可能性に救われた人物だっているはずです」

「……ありがとうございます」


 笑わないでいてくれただけでも嬉しい。そう思って礼を言った。


「……でも、先生。どこで私と師匠の事を知ったんですか?」


 日本では身内くらいしか、私たちの師弟関係を知らないはず。ディアスはにっこり笑って、私を指した。


「私、ですか?」

「ええ」


 あまりにも気になったので藪蛇覚悟で聞いてみれば、予想の斜め上を行く答えが返ってきた。


「……覚えがありません」

「でしょうね」


 ディアスと会ったのは日本が初めてだ。後はドイツで会った可能性だが、絶対にそれはないと言い切れる。だってこの顔とこの声で、この世界の事を思い出したのだ。そんな衝撃的な出会い忘れる筈がない。


「困らせてしまいましたか」


 混乱する私にディアスがやさしく囁く。くすりと笑って人差し指を一本たてた。


「いつくるか分からない日を待つのは辛いものです。僕の為にも大ヒントを一つ。――――『聞いたのは誰』」

「え」

「以上です」


 言うべきことは言ったと満足げに笑うディアスに戸惑う。


「……先生。ずるいです。待つって言ったのに次から次へと勝手にヒントをだして」

「待っている間に、あなたが誰かにとられてしまっては意味がない」


 驚くほど真摯な目が私を捉えていた。


「……それでも、できればあなた自身に気が付いてほしいと思っているんですよ」

「先生、実はバカでしょ。さっきのヒントで余計わからなくなっちゃいましたよ」


 小さく呟けば、ディアスは目を細めた。


「おや、そうですか? 我ながら核心に迫るいいヒントだったと思うのですが」

「秘密とかそういうの、もういっぱいいっぱいなんです。私の手に余ります」


 正直に言った。次から次へとわからない事ばかりが増えていく。少し分かってもそれ以上にわからないことが増えるのだ。いい加減私の許容範囲を超えている。

 泣きそうな声で言ったのが悪かったのだろうか。ディアスは慌てて私を引き寄せてきた。


「ああ、泣かないで下さい。伊織さん。僕が悪かったですから」


 いい子いい子と撫でられる。不快感はなかった。


「少し急かしすぎましたね。すみません。焦らなくていいですから、どうか落ち着いて」


 ディアスの方が焦っている。

 困ったような声でひたすら私を撫でるディアス。こんな小娘一人くらい放っておけばいいのにいいように振り回されて……。


「……なんで私なんですかね」


 思わず声が出た。きっと、私である必要はなかった筈だ。腕の中で呟けば、吐息とともにやさしい声が降ってきた。


「……あなただからですよ」


 本気で泣きたい気持ちになる。ディアスも誠司くんと同じだ。私と真剣に向かい合おうとしている。逃げているのは私だけ。自分のあまりの幼稚さに嫌気がさす。それでも腰がひけてしまう私は、チキンで救いようがないのかもしれない。人の好意の上に胡坐をかいて、最低な女だ。

 ……思い出そう。

 ここにきてようやく私は覚悟を決めた。

 勿論ルート回避はしたい。けれどそれよりもまずは思い出して、ディアスとも向き合おう。今は逃げることができても、きっといつかはつけが回ってくる。

 正体を知っていることがばれたら、怒涛の勢いで口説かれそうだと思って逃げていたが、考えてみれば今だって、大概会うたび口説かれているではないか。変に回りくどいことをして避けようとするから、余計ドツボにはまるのだ。

 何より、思い出せばディアスが私に拘る理由も見えてくるかもしれない。

 ギュッと一度目を瞑り、気合を入れる。できるだけ平静を装ってディアスに声を掛けた。


「……先生、もう大丈夫ですから離してください」

「おや、役得はもう終わりですか」

「はい。私も帰って準備しなくてはいけませんので。……また後ほどお会いしましょう」


 にこりと笑って、軽く彼の胸を押せば抱きしめた腕を離してくれた。


「本当に大丈夫ですか?」


 心配そうに聞いてくるディアスに勿論と答える。


「先生。私、きちんと先生のこと考えてみます。ですから、これ以上ヒントはいりません。……答えが出たら、きちんとご報告しますから」


 出来る限り、真剣に言った。彼と真面目に向き合う決心をしたことを無言のうちに伝えるように。

 そういうと、ディアスはまるでまぶしいものを見るような目をして私を見た。

 紅玉が夕日に反射し、きらきらと光って私を絡め取る。


「あなたは全く……いつもそうだ。無意識に僕を引き付けて離さない。……ええ、待っていますよ。ですから、できるだけ早めにお願いしますね」

「善処します」


 しかめ面して頷くと、ディアスは笑ってもう一度私を抱きしめた。

 ――――今度は殴った。許されるはずだ。

 


ありがとうございました。

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