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5月中旬 前世の記憶

*注意*

ぬるいものではありますが、この回は人の死を伴う残酷表現があります。苦手な方、ご不快に感じる方はご注意ください。また、この話で語られる事件は完全なフィクションです。何かをモチーフにしてなどは一切ありませんので、ご理解の上お読みください。


「刺殺……」

 ああ、そうはいっても即死ってわけでもない。救急車の中で死んだからな」


 話すほどに表情が消えていく悠斗。私は黙って先を促した。


「……最初から順を追って話そうか。俺には姉ちゃんがいるって話、覚えてるか?」

「うん。確か同人作家さんって言ってたよね?」

「そう。壁サークルというほどでもないけど、結構な人気作家だった。見た目も悪くなかったから、男性の固定ファンもついていたよ。……俺もよく手伝いに駆り出されていた」


 こういうの、意味わかる? と聞かれて頷く。イベント系は旦那さまによく連れていってもらっていたので勿論わかる。


「姉ちゃんのファンは、変な奴らが多かった。待ち伏せされたり、ゴミを漁られたり。警察沙汰になったこともあった。でも、そんなファンの中にさらに異常な奴がいた」


 両手を組み、視線を下にやる。悠斗は少し震えていた。思わず、手を伸ばしてしまう。


「悠斗」


 悠斗の手に触れ、視線を合わせる。彼は瞬きしたあと、強くうなずいてくれた。ほっとして姿勢を戻す。


「悪い。大丈夫だ。……その男は姉ちゃんの事を、何故か自分の恋人だと思い込んでいた。恋人が浮気をしないように見張らないといけないと言って、姉ちゃんの後をつけてまわったり、どうやって手に入れたか分からないが、メールをしつこく送り続けてきたり……とにかく全ての行動が他の連中より一段上で、おかしかった」

「……警察は」

「勿論連絡した。だが、相手も一筋縄ではいかなくてな。警察が見回ってくれている時は絶対に近づかないんだ。直接的被害がないからと、警察も強くは出られないらしくて、正直あまり効果はなかった」

「そう」


 そういう時、警察は本当に役に立たない。


「そんな日が続いて、姉ちゃんも精神的に限界だったんだと思う。どうしても今はまっているゲームの同人誌が作りたいから協力してほしいって俺に言ってきた」

 

 一呼吸置いて私をみる。


「同人誌を作るのは、姉ちゃんにとってストレス発散の手段でもあったから。分かっていたから頷いた。そしたら、『パンドラプリンス』のコンプデータ渡してきて、『これやってゲーム内容理解して』だもんな。弟に乙女ゲーやらせるとか、何考えてるんだと思った」


 それで、悠斗はこのゲームをプレイしたんだ。

 彼が乙女ゲームに手を出す事になった理由を知り、とても納得した。


「元々ストーリーは姉ちゃんから何度も話されてたから、確認作業的な気持ちでやった。神経すり減らしてる姉ちゃんの、小さなわがままくらい聞いてやらなきゃ。って思ったのもあったしな」


 黙って話を聞いている私に悠斗は淡く微笑んだ。


「……参加予定のイベントには当選した。入稿も無事終わった。当初の予定では俺が代わりに売り子に行くはずだったんだ。だけどぎりぎりになって、どうしてもイベントに参加したいって姉ちゃんがごねだした。何度もおとなしくしとけって言ったけど聞かなかった。……このまま放っておいても、きっと勝手に来てしまう。仕方なく俺はボディーガードも兼ねて姉ちゃんと一緒に行くことにした。――――事件はそこで起こった」


 そこまで淡々と話していた悠斗は、不自然に話をきった。不審に思い悠斗を見つめると、彼は何かに祈るように天を仰いでいた。


「悠斗」

「……悪い。少し待ってくれ」


 ただ頷く。

 しばらくその場を沈黙が支配した。私は何も言わない。悠斗も身じろぎひとつせず、何もない場所を見つめていた。


「その日は暑かった……」


 前触れなく再び話し始めた悠斗に視線を向ける。


「順調に本は捌け、午前中の内に完売しそうだなって話をしていた。姉ちゃんも久しぶりにすごく嬉しそうにしていて、俺はまあ何事もなくてよかったなって多分、少し気を抜いていた」


 それがいけなかったのかな。ぼそっと呟く悠斗の声がすごく悲しい。


「突然その男は現れた。姉ちゃんに向かって、『俺以外の男と』とか『浮気者』とか一方的に捲し立てた。姉ちゃんはおびえて、俺にしがみついた。それが気に入らなかったんだろうな。男は無言で包丁を取り出した」

「包丁……」


 そのワードを聞いた瞬間、突然、何故か頭の隅がちくっと痛んだ。その痛みは急速に頭部全体に広がる。頭の痛みに引きずられるように、今度は視界がちかちかし始めた。

 頭の中で何かの映像が再生され始める。そこはどこかの会場で、人がたくさんいた。私の隣には、いつものように彼がいて、そして近くで悲鳴のようなものが聞こえた。


「お前がいなければ。そういって男は俺を刺した。痛いというよりは熱いという感覚の方が強かった。何かがせりあがってくる感覚が気持ち悪くて思わず咳き込めば、それは俺の血だった。立っていられなくて、床に倒れ込んだ。何とか体を起こして、刺された腹を押さえてみたけど、さっぱり効果がなくて押さえた先から血があふれ出した。周りは突然の出来事に騒然となった。隣にいた姉ちゃんは半狂乱になって、座り込んでしまった俺をゆすった。犯人の男は、自分のやったことに我に返ったのか、俺を刺した凶器をしっかり握ったまま……逃げ出した」


 悲鳴はあっという間に広まった。急に会場中が大混乱になる。何が起こったのかさっぱりわからず、私は隣にいた彼にしがみついた。そうすれば、急に視界がひらけた。あれだけいた人が周りから消えていた。何かを避けるように端にどいたらしいということだけは分かったが、私は対応できなかった。広がった空間の目の前にいたのは、血まみれの包丁を持った男。

 

「男はおぼつかない足取りで、それでも出口の方に走って行った。ぼんやりかすむ視界の中で俺はそれを捉えていた」


 その男の目はおかしかった。

 思考能力を失った顔は表情が完全に抜け落ちており、荒い息づかいだけが聞こえた。あまりのことに棒立ちになってしまった私が邪魔だったのだろう。男は無言で、私の腹を狙った。


「人がいなくなった男の通り道に一組の男女がいた。特に女の方が自分の進行方向の妨げになったみたいだった。男は、まるでついでのようにその女も刺した」


 私はその場に崩れ落ちた。私の体からは血が、信じられない勢いであふれ出した。旦那さまが、彼が必死に私に話しかけるがほとんど聞こえなかった。


「女は即死のようだった。彼氏だっただろう男は、彼女を抱き起して何か言っているようだったが、俺には聞こえなかった。そして、多分彼女が亡くなってしまった事が分かったのだろう。彼は、男の投げ捨てていった包丁をつかむとゆらりと立ち上がった」


 うすらぐ意識の中で彼の笑い声が聞こえていた。


「突然男は顔に手をあてたかと思うと、心底おかしくてたまらないといった声で笑い始めた。笑っていたのに目からは涙がとめどなく溢れていた。……怖いと思った」


 泣かないで。そう思った。


「笑い声は唐突にやんだ。その男は出口の方を向いた。犯人の姿はまだとらえることができた。男は最初はゆっくりと、次第に駆け足になって犯人を追いかけた。ふらふらして、ろくに走れていない犯人と、その男とではスピードが違いすぎた。あっという間に犯人に追いついた男は、それこそ一切の躊躇なく逃げる犯人の後ろから、その包丁を突き刺した」


 ――――ああ。


「一度では終わらなかった。何度も何度もその凶器を振り上げた。やがて犯人が動かなくなったことを確認した男は、彼女の側に戻ってきた」


 覚えているよ。


「男は、横たえた彼女をもう一度腕に抱え込んだ。信じられないくらい穏やかな表情で、なにか彼女にささやいたようだった。彼女の頬を幸せそうな顔で何度も撫でた。そして……彼女の後を追った。自分の胸を、彼女の命を奪った同じ凶器で刺して……死んだんだ」


 ……私はまだ死んでいなかった。身体は動かなかったし、もしかしたら呼吸も止まっていたかもしれない。それでも、まだぼんやりと意識だけは残っていた。彼の言葉を覚えていた。

 

「一人にはしない。待ってろ、今俺も行く」


 ああ、やめて。そんなことしてほしいんじゃない。

 そう思ったのに、言葉はでず体も動かない。

 しばらくして、体に自分ではない重みを感じた。

 ……彼だった。すでに事切れているのだろう。もう見えないはずなのに彼の表情が見えた気がした。ほっとしたように笑っていた。それを見て、ぴくりとも動かせない私の目から涙が零れ落ちた。周りが騒がしくなる。遠くから救急車の音が聞こえる。

 必死に繋ぎ止めていた、私の意識は遠くなっていく。


「その男も即死だったと思う。一連の事件が終わって、辺りは急にまた騒がしくなった。無神経な奴らが写メを撮ったりしていた。俺や姉ちゃんも撮られた。文句を言いたかったけど、そんな事を言うことすら思いつけなかった。誰かが救急車を呼んでくれたみたいだけど、救急隊員たちが倒れた二人を見て、首を横に振っていた。もう、死んでるって言ってたと思う。俺は何とか意識を保っていたけど、腹の血は止まらないし、何だか異常に寒くてがたがた震えていたしで、もう何が何だかわからなかった。今考えたら、出血多量で体温が下がったから、寒気がしてたんだろうな。救急車に乗せられて、姉ちゃんも隣にきてくれて……そこで意識を失った。……次に気づいたらこの世界だ」

 

 私もそうだ。目をあけたら、転生していた。この記憶を思い出さなかったのは、一種の自己防衛本能だと思う。あまりにもショックだったから。あの日一日の記憶が、悠斗の話を聞く、今の今まで消えていた。


「短時間で色んな死をみてしまったからかな。俺はもう一度死ぬのが怖くて仕方ない。あの日の事が瞬間的にフラッシュバックするんだ。もう終わった事だって分かっているのにな」


 話せてよかった。悠斗はそう言って、ずっと伏せていた顔を上げた。そうして私の顔をみて、ぎょっとした表情になる。


「伊織、あんた……なんで泣いてる?」

「え?」


 慌てて自分の頬に触れる。冷たい水の感触に驚いた。知らないうちに泣いていたみたいだ。


「は……はは」


 変な笑い声が出る。


「おい、伊織。どうした? ……悪い。ショックだったか?」


 自分だって辛いだろうに、気遣ってくれる悠斗に胸が痛む。

 でも、ごめん。そうじゃない。そうじゃないんだよ。

 悠斗の呼び声に違うと、ただ首を振る。

 顔を伏せるとさらに涙があふれて、もう止まらなかった。


 ――――れん 

 

 思い出した。

 今までどうしても思い出せなかった……私の……旦那さまの名前。


「今まで忘れてた……忘れてたよ……ごめん、蓮」


 泣きながら、かの人の名を呼んだ。

 私だけは忘れてはいけなかったのに。

 彼の最後と、その名前を。


「おい、伊織? 大丈夫か?」


 様子のおかしい私を、悠斗が何度も呼んでくれているのを感じながらも、ただただ記憶の中の彼に謝り続けることしかできなかった。





ありがとうございました。

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