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ディアス固定イベント 合宿A

こんばんは。今日もよろしくお願いします。


『……イベントその2……うまくクリアしてね』


◇◇◇


「え? 私が持っていくの?」


 誠司くんと話をした次の日、学園内の施設で合宿中の兄から電話があった。どうやら、必要な楽譜を忘れてしまったらしい。届けてほしいという連絡だったのだが、あの兄が忘れ物? ありえない事態に私は驚きを隠せなかった。


「すまない。でも、君にしか頼めなくて。机の上に置いてあると思うんだよ。午後からの練習に使うから悪いけど持ってきてくれるかな?」

「う、うん。わかった」


 すまない。と兄はもう一度謝って電話を切った。私はと言えば、通話終了時特有の音を耳にしながら、


「どうしよう」


 途方に暮れていた。

 そもそも私が困っているのは至極簡単な理由だ。

 兄の頼みを聞くのは勿論問題ない。いつも可愛がってもらっているし、できることがあるのなら喜んでしてあげたいと思う。だが、これはおそらく。


「固定イベントなんだよねえ」


 つまりは、そういうことで。

 しかも、ディアス関連。だから、先日兄に誘われた時も断ったのだが。音楽科でもないし、それでフラグを折ることができただろうと甘く考えていたのが悪かったのだろうか。

 まさか、こんな形で無理やり発生条件達成とかやめてほしい。


「どんなイベントだったっけ?」


 とりあえず、兄の部屋に移動しながらぶつぶつと考える。てっきり合宿イベント参加のフラグは折ったものだと思っていたので、イベントについて深くは考えていなかったのだ。

 だが、これから遭遇する可能性は大いにある。事前に対策を練っておく必要は十二分にあると言えた。

 合宿イベントは、ディアスルートの固定イベントだ。真相ルート以外の場合、合宿があったことすら触れられず、ゴールデンウィークは素通りだ。

 いきなり休み明けからのスタートになる。それが、真相ルートに入った途端、合宿というイベントが発生。ああ、これがあったからあの期間は空白になっていたのかと、その時初めて分かったのだ。

 おそらくディアスが関係ない場合、何事もなく合宿しただけで終わっているんだろうな。私もそれを強く希望したい。

 イベントの内容はといえば、お約束みたいなもの。

 合宿二日目、どうしても自分の思ったように歌えず、主人公は許可を得て別部屋で自主練をすることになる。そこに歌声に惹かれたディアスが偶然とおりかかるのだ。その時ディアスは確か3年の先輩という設定だったはず。

 4月から数えて、その時点ですでに何度か接触はある。多少なりとて気心知れた先輩ということもあって、彼女はディアスに悩みを打ち明ける。伸び悩んでいる彼女の自主練に、ディアスは残り二日間最後まで付き合い、助言を与えるのだ。

 結果、彼女の歌は見事一段階上のステージに。

 ディアスへの感謝の思いが膨らむとともに、彼の事を少し気になる先輩という認識で見るようになるのだ。典型的な好感度上昇イベントである。

 ……なんてベタな。

 うん。こんな感じだった。スチルは一つ回収。

 確かうまく歌えた主人公を褒めてくれる際の、頭撫でのスチルだった。ディアスの顔がすごくいい顔で、初めて見たときは悶えまくった記憶がある。

 ……ごほごほ。一つずつ検証してみよう。


 一つ目。別部屋で自主練。後ディアスによる個人レッスン。

 これ、私ならどういう風に実現されるだろうか。

 私は音楽科ではないし、歌もうたっていない。なので、合宿で自主練という展開がまずありえない。考えられるのは、

 偶然再会→ピアノを所望される→ピアノがある理事長室直行→個人レッスン?

 こんな感じだろうか……? 

 なんだか、ゲームよりも終わっている感が強いような気がするのは何故だろう。特に『理事長室行き』って辺りが、すでにゲームオーバー感満載だ。


 二つ目。ディアスの立ち位置について

 ゲームのディアスは3年の先輩なんて大嘘をついて主人公に近づいているが、今のディアスは立場を偽ってもいないし、隙さえあればいつでも正体さらしかねない勢いだ。

 二日間共に過ごすなんて恐ろしいことがもし本当に起こったりしたら、絶対に合宿が終わるころには知りたくもないディアスの正体について、本人から微に入り細に入り、説明されていそうでいやだ。


 三つ目。ディアスの助言について

 主人公は、ディアスの助言を受け歌のレベルが上がる。ゲームでは、そのイベントをクリアすることによって、歌える歌が二曲増えたはずだ。なら私は?

 助言を受けることができれば、最近伸び悩んでいるピアノの腕も、もしかして上がる?

 ……いやいやいや。ないないない。

 一瞬本気でぐらっときた自分が嫌だ。大体ディアスの前では弾かないよ。ありえない。


 四つ目。ディアスへの好感度

 これは、ゲームがどうあれ私自身のことだ。変化があるはずもない。とにかく無事で帰ってくること。これがすべてだ。


 以上、結果として言えることは、ディアスと二人きりにさえならなければ、何とかイベントを回避できるかもしれない、ということだ。

 多分、あの『頭撫でスチル』をゲットしてしまうと、イベントクリアになるのではないかと思うので。その状況を作らなければいいわけだ。

 こうなったら、学園にいる間は兄の側に張り付いておこう。というか、楽譜渡したらすぐさまどろんだ。それが一番いい。

 色々考えながら、兄の部屋に入る。

 整理整頓がきちんとされた部屋の机の上には茶封筒が置いてあり、確認すると兄の言っていた楽譜が入っていた。

 これを兄が忘れるとか……ないと思う。また、イベント生成委員会が仕事したのかな。

 これまではフラグを折ってもそのままだったのに、最近ではそれを無理やり修正してくるような動きを感じる。やっぱりゲームの時間軸に入ったからなのか、誰かの思惑か、どっちにしても気分が悪い。前のハイキングみたいにどうにかしてイベントを潰したい。

 部屋をでて、外へ向かう。すでに嵯峨山さんには家の前で待機してもらっている。さっさと届けて、可能ならば即Uターンだ。


「伊織。ありがとう。助かったよ」


 学園について、音楽棟の方へ向かうと兄が迎えに来てくれていた。あらかじめ連絡を入れておいたからだろう。だが、隣にディアスもいるのが腑に落ちん。

 お前はこなくていい。ディアスを視界に収めないようにしつつ、兄に答える。


「これくらい、構わないけど。じゃあ、用事も終わったから私はこれで。兄さん、また明日」


 さらっと渡すもの渡して立ち去ろうとする私に、ディアスが声を掛けてくる。


「伊織さん。せっかく来たのですから、合宿を見学していきませんか?」

「いえ、私服ですし遠慮させていただきます」


 言い訳用にわざと制服は着てこなかった。なのにディアスは重ねて言う。


「今は休み中なのですから誰も気にしません。ピアノ専攻の人たちもいますから勉強になると思いますよ」

「ああ、それはいいですね。彼らも伊織のピアノが聞いてみたいと言っていましたし、今は丁度休憩中。伊織、少し寄っていくといいよ」


 兄まで声をかけてくる。ピアノを勉強する人たちと交流できるのは本当に貴重だし有難いことだと思う。

 実際私の中でもぐらぐら気持ちが揺れている。でも、ここは断固として断ろう。


「ごめんなさい。兄さん。私、今日は予定があって」

「さっき電話した時には暇だと言ってなかった?」


 思い返してみた。

 うん。電話直後に今日暇かと言われて、特に予定はないと答えたわ。私。

 ……つい一時間ほど前の自分、何している。

 

「いえ、あの……まだ今日の分のピアノの練習と勉強が終わっていないから」


 墓穴を掘ってしまったことに気が付いた私は、誤魔化すべくなんとか言葉を紡いだ。


「ああ、そういえば休日はすべてピアノと勉強っていっていたね。なら、やっぱり丁度いい。音響設備も整っているし、ここで弾いていくといいよ」


 私も久しぶりに君のピアノをちゃんとききたいな、と微笑まれる。

 うわあああああ。

 な、なんか、自分でさらに深く穴を掘った気がして仕方ない。

 何とも言えない顔をして固まる私に、ディアスもそれがいいですよ。なんて無責任な言葉を投げかけてくる。

 ……逃げられない。

 そう簡単には回避できないのか。

 ……やっぱり私は売られていく子牛なのかもしれない。


◇◇◇


 連行される気分で、音楽科以外は用事がないはずの音楽棟に足を踏み入れる。そのまま三階の第三音楽室に案内された。ピアノ専攻の人たちがここで休憩しているらしい。

 兄が「失礼するよ」と声をかけてドアを開ける。二人に続いて音楽室に足を踏み入れると、見慣れない部外者の私に無遠慮な視線が一瞬集まる。非常にいたたまれない気分になった。

 教室の中央には大きなグランドピアノがある。

 兄の言った通り休憩中だったらしく、くつろいだ様子の男女が20人程度それぞれ談笑したり、楽譜を確認したりしていた。


「皆が知りたがっていた、私の妹だよ」


 兄がそう言葉を発すると、皆ぴたっと話をやめ、もう一度こちらを見た。その視線は心なしかきらきらしていて、何らかの期待を秘めているようだ。

 ……これ、やっぱり弾けっていう視線だよね。

 そんな中、一人の生徒が兄に手を挙げた。兄がうなずく。


「鏑木副会長。妹さんを連れてきてくださったということは、演奏を聞かせていただけると思っても良いのでしょうか」


 途端、わあっという声が広がった。

 嫌な予感的中。音楽科ではない人間がきたのに、嫌な顔をされなかったのは本当にありがたいし嬉しいけど、その期待が重すぎる。多分、兄が色々余計なことを音楽科に広めてしまったせいで、噂が出回ってしまったのだろう。

 おそらく、どの程度のモノなのか聞いてみたいっていうのが本当のところだと思う。


「勿論。弾いてくれるよね、伊織」


 あっさりうなずく兄を恨みがましく見つめるも、この空気の中拒否することもできそうにない。私だって弾くのは別に構わないと思っている。ただ……。

 横目でこっそりディアスをみると、にこにこと笑っているのが腹立たしい。この男の前でだけは弾かないと決めていたのに、早くも崩されたのが悔しいのだ。

 ぎりぎりと奥歯を噛みしめながら、頷いた。

 こうなったら、兄さんも巻き込もう。


「はい。でもせっかくですから、兄さん。久しぶりに一緒に演奏しませんか? 私一人というのも気が引けてしまいますので」


 せめてソロは回避したい。そう思って、兄に断るなオーラを出しながら提案する。

 兄さんは、おや? という顔をしながらも嬉しそうに了承してくれた。


「それもいいかな。じゃあ、久しぶりにベートーヴェンの『春』でもどうだい?」

「わかりました」

「皆もいいかな?」


 拍手が沸き起こって生徒たちが机や椅子を移動させる。あっという間に簡易ステージが出来上がった。

 兄のいうベートーヴェンの春とは、ヴァイオリンソナタ第5番『春』のことだ。

 幸福感に満ちた明るい曲想で「スプリング・ソナタ」などの愛称で親しまれている。ドイツにいたころよく一緒に演奏した曲だ。これなら問題ない。

 抵抗を諦めた私は、教室中央に置いてあるグランドピアノに向かった。

 兄から電話がくるまで、ずっとピアノを弾いていたので指は動く。兄もポジションを取り、軽く音を出すと私の方をむいて頷いた。

 弾く直前、ディアスの事がふと気になったが、見ないことにした。

 ピアノをわざと下手に弾くようなまねはしない。弾くからには全力だ。

 だから、ディアスの存在は意識の外へ追いやって、ピアノと兄の音にだけ集中した。

 『二人きり個人レッスン』が回避できるのなら、もうなんでもいい。






読んでくれてありがとうございました。

合宿Bへ続きます。

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