54-1 祝祭と家族の絆
朝、窓を開けると、ひんやりとした澄んだ空気が頬をなでた。空は高く晴れ渡り、遠くで祝祭の太鼓の音が響いている。今日は感謝祭――キーリー公爵領にとって、年に一度のにぎやかな日。私と公爵が《《愛を確かめ合ってから》》、初めて迎える感謝祭になる!
記念すべきこの日を、最高の思い出にしなくちゃ。
鏡の前で支度を整えながら、つい鼻歌がでてしまう。
浮かれすぎないように――と自分に言い聞かせても、頬の緩みは抑えられなかった。
「ジャネ、できたーー?」
階下のサロンから、元気いっぱいなアベラールの声が聞こえてきた。
「はい、もうすぐよ! 今日は素敵な一日にしたいから、おしゃれしなくてはいけないでしょう?」
そう言いながら、私は胸元のリボンを結び直す。いつもより少し華やかでありながら、動きやすさを重視したワンピースを選んだ。髪は緩やかに巻き、髪飾りをひとつ添えて。
それは、旦那様が数日前に「君によく似合うと思って」と言いながら渡してくださったもの。白銀の細工に、小粒のルビーがあしらわれた髪飾りだった。
ルビーの深紅は、まるで旦那様の瞳の色そのもので、光にかざすと内側からゆらりと赤い炎が灯るように輝く。それを髪に挿した瞬間、旦那様に守られているような温かさを感じ、心が満たされるのを感じた。
旦那様は、私に頻繁にルビーやガーネットを加工して作ったネックレスやイヤリング、髪飾りを贈ってくださる。いつも、必ずひとつは身につけてほしい、と言われた。そのたびに、私はどこか誇らしい気持ちになる。
侍女長は時折「旦那様の奥様に対する愛が重い……独占欲がすごすぎます」とつぶやいているけれど、私は素直にうれしい。旦那様の色に包まれていることは、私の誇りであり、何よりも幸せだから。私は大きな鏡の前で身支度を済ませると、急いでサロンに向かった。
アベラールが着ているのは、先日あつらえたばかりのお出かけ用の服で、とてもよく似合っている。けれど、その隣に立つ旦那様の姿に、私は思わず目を見張った。
長身で鍛え上げられた体躯の旦那様は、飾り気のない白いシャツを着ただけなのに、最高に素敵に見えた。騎士団長としての風格と、公爵としての洗練された気品。そのどちらも、生まれつき備わっていたかのよう。……何を着たって、目を奪われるほど魅力的だ。
「旦那様……今日も、本当に素敵でいらっしゃいますわ」
私がそっと見上げてささやくと、彼はわずかに眉を上げ、柔らかくほほえんだ。
「愛しい妻がそう言ってくれるなら、この姿に生まれてきて正解だったな。だが、今日の主役はどう見ても君だ。赤い小花が刺繍されたワンピースに、ルビーの髪飾り――まるで妖精のようだ」
「そ、そんな……恥ずかしいですわ」
頬が熱くなるのを感じてうつむくと、旦那様の大きな手がそっと私の頬を包んだ。
「うつむかないで。君のその愛らしい顔が見えないと寂しい」
甘い言葉に抗えず、私はそっと腕を伸ばし、旦那様の胸に寄り添った。
「ほんの少しだけ……キス、してもいいですか?」
震える声で問いかけると、公爵は目を細め、すぐにささやく。
「少しじゃ足りない。俺のほうが、ずっと……君に触れたいのだから……」
そして、ひとつ、またひとつと、額に、頬に、唇に――首筋にも……優しいキスが降ってきた。
「ふたりとも~~、そろそろでかけないと、おまつりがおわっちゃうよ~~?」
アベラールのちょっと拗ねた声がして、私たちははっと我に返った。
「こ、こ、こんなところで……子供の前ですのに……」
「すまない、止まらなかった。……愛があふれすぎてしまっただけだ」
「だからもぉ……私だって、好きがあふれて止まらないのに……どうしてくれるんですか?」
侍女長達の生暖かい眼差しに頬を染めながら、私たちは慌てて魔導高速馬車に乗り込んだ。
恥ずかしすぎる……
***
キーリー公爵領の中心部、石畳の『祝祭広場』は、感謝祭を祝うために朝から多くの人で賑わい、あたりには笑い声と香ばしい匂いが満ちていた。
広場では魔道具と簡易魔法を使った大道芸人たちがパフォーマンスを披露していた。中央では風魔法を使った軽やかな演目が行われている。舞台に立つ芸人がひと振り手をかざすと、風の魔力が花びらを模した粒子を巻き上げ、空へと解き放つ。それは本物の花ではなく、魔力で形づくられた光の花びら――淡い光を帯びながら、風に乗って観客の上をふわふわと漂っていく。子どもたちは手を伸ばしてそれをつかまえようとし、笑い声が弾けていた。
反対側では、水魔法を使う芸人が水で編まれたハープを奏でていた。透明な水の弦は、指が触れるたびに波紋のように震え、せせらぎのような清らかな音を奏でる。音はまるで水面をすべるそよ風のように柔らかく、それでいて心に残る響きだった。観客たちは思わず息を止め、その音に聴き入っている。
「ほら、アベラール様。あの氷の塔を見て。氷魔法の芸人さんってすごいのね」
広場の一角では、氷の魔法によって繊細な塔がゆっくりと造形されていた。水を瞬時に凍らせて積み上げるようにしてできたその塔は、透き通った氷の中に小さな花や鳥の彫刻が浮かんでいる。塔の上部は尖塔になっており、光を受けて宝石のように輝いていた。
「すごい……! ほんとに、おっきい! あれとけないの?」
「特別な封印が施されているようだな。夏でも数時間は形を保てそうだ。芸人にしては、なかなかいい魔法を使う」
旦那様がほほえみながら答えた。
その横を、アコーディオンを抱えた吟遊詩人が通り過ぎていく。軽快な調子で、愛と冒険を歌った古い民謡を弾き語りながら、笑顔で手を振ってくれた。
屋台も見事だった。金糸のように細く巻かれた綿菓子は、色とりどりの魔法で虹色に光り、動物の形をした飴細工は、まるで命を宿したかのように尾を揺らし、子どもたちに『選んで』と語りかけているようだった。
「全部……かわいい……」
私は目を細めてつぶやく。
「じゃあ、全部買おう。あとで使用人たちにも配ればいい」
旦那様がさらりと答えた。
「えっ、ぜ、全部ですか!? そ、それはちょっと……」
「おとうさま、すごい」
アベラールが目を輝かせて拍手する。彼はだんだんと舌っ足らずの言葉が減っていく。成長の証ではあるけれど、少しだけ寂しい気がした。




