45 ステイプルドン王国への公式訪問・皇帝視点
【皇帝視点】
あれは二年前のことだった。
隣国カルバリン王国が、突如としてステイプルドン王国に侵攻した。
大義なき、愚かな戦であった。
だが、その戦は想像を超える結末を迎えた。
ステイプルドン王国の騎士団長、アンドレアス・キーリー公爵。
彼が、たったひとりで四万の敵軍を蹴散らしたという。
火魔法の圧倒的な威力と、卓越した戦略眼によって、無用な殺戮を避けつつ、敵の士気をくじき、撤退させたというのだ。
その戦果は、もはや伝説と呼ぶほかあるまい。
我がマルケイヒー帝国にも情報は即座に届き、朝廷は一時騒然とした。
蟻が象に挑んだようなもの――それが近隣諸国の共通認識であった。
力の差、胆力の差を、まざまざと見せつけられたということだ。
やがて両国は和平を結び、聞けばキーリー公爵家を通じて、敗れた敵兵や民への配慮ある対応がなされたという。
勝者でありながら、高慢にも苛烈な講和条件を突きつけることなく、誠実に隣国と向き合うその姿勢に、朕は深く心を動かされた。
ゆえに、朕は決意したのだ。
ステイプルドン王国を公式に訪問し、同盟国としての友誼をより強固なものとしたい、と。
いや、それだけではない。
あのアンドレアス・キーリー公爵、その人となりを朕の眼で確かめたくなったのだ。
以来、この訪問は一年をかけて準備が進められてきた。
ちょうどその頃、公爵が新たに妻を迎えたという報も帝都に届いた。
聡明で気品に満ちた夫人であり、公子アベラールを実子のように慈しんでいるとの噂に、皇后も「親しくお付き合いしたい方ですわ」とほほえんだものだ。
さらにその夫人の発案により、公爵領には職人養成学校まで設立されたと聞く。
刺繍職人の育成という画期的な取り組みにより、繊細な刺繍を施した生地が、魔導圧縮バッグで我が国にも届けられるようになった。
このバッグの開発にも公爵夫妻が関わっているという。
まことに、驚嘆すべき一家である。
さらなる報せに朕は耳を疑った。
公子アベラールが、白銀竜の主となったというのだ。
古代より語り継がれる伝説の白銀竜――それに懐かれ、育てていると。
奇跡としか言いようがない。
朕には姫がふたりいる。
ひとりは今年三歳を迎え、もうひとりは生後半年。
公子アベラールには、まだ婚約者がいないとも聞く。
そこで、朕の胸にひとつの思いが芽生えた。
もしやがて、娘のうちひとりが公子と結ばれるようなことがあれば――両国の未来は、より穏やかで確かなものとなろう。
それは、父としての願いであり、皇帝としての策でもある。
もちろん、公爵家に無理を強いるつもりは毛頭ない。
あくまで朕のささやかな希望にすぎぬ。
されど、もしそれが叶う日が来れば――この上ない悦びであろう、と胸の奥が静かに熱を帯びるのを禁じ得なかった。
朕は、キーリー公爵家との真なる友好を築くため、今ステイプルドン王国へ向かっている。
この訪問は単なる儀礼ではない。
キーリー公爵とその家族、そして“白銀竜”の真実を、この眼で確かめるための旅なのだ。
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この皇帝夫妻はこれから深くジャネットたちに関わる人たちです。公爵夫妻の仲を取り持つキーパーソンになるんです。これから、また新たな展開に入ります。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




