44 聖女、退場
黒魔法が弾き返された瞬間、私の掌から逆流した魔力がほとばしり、鋭い痛みが走った。奇跡のように見せかけた精神干渉系魔法は、あっけなく――キーリー公爵によって打ち砕かれたのよ。
もう、私は奇跡すら起こせない。精神干渉系魔法も、取り繕った言葉も、つくり笑いも……あの男には全部、見透かされていたのよ。白銀竜の主である少年は、後妻ジャネットとしっかりとした絆で結ばれていた。私は仲良くなったつもりでいたが、あの少年の心からジャネットを消し去るなんて無理だった。そして、キーリー公爵には……最初から入り込む余地すらなかった。
でも私は諦めない。次に狙ったのは、ルカという平民の男。刺繍の天才で、職人養成学校の主力講師らしい。貴族じゃないこの男なら、まだ手を出せると思った。魔法は封じられても、私には美貌がある。だから、言葉とほほえみで落とせるはずだと。なんとかキーリー公爵家を引っかき回さないことには、国王の待つ王都に戻ることはできない。
それなのに……彼の妻、アンナに睨まれた瞬間、私は恐怖を覚えた。
『うちの人に手ぇ出したら、聖女だって容赦しないよっ……』
あんなに真正面から脅されたのは初めてだった。私はこれまで、周到に準備して精神干渉系魔法を仕込み、じわじわと相手を操ってきた。そんな私が、真正面から脅されるなんて想定外だった。あのとき、本気で怖かった。
アンナという女は、キーリー公爵とはまた違うタイプの怖さを持っていた。あれは――民衆を動かし、革命を起こすような人間の隣に立つ女。本能で人を圧倒するような、そんな底知れない怖さだった。結局、私は逃げ帰るしかなかった。そして、王都へ戻った私を迎えたのは、冷たく細められた国王の瞳だった。
「これが、余が敬った聖女の実力か? ……なんとも期待はずれだな。余は、おまえを買いかぶりすぎていたようだ。聖女の地位は剥奪する。神殿には、代わりの者を用意してある。お前は今日をもって、聖女シルヴィア・ルクレールではない」
その声には、もはや慈悲も興味もなかった。
剥奪。それは、聖女として栄光に包まれた私が、なんの意味も持たない存在へと、引きずり降ろされることを意味している。王命により、私は辺境の寂れた神殿へと送られた。名目は『体調不良による静養』。でも、そんなもの誰が信じる? 実際は、誰にも相手にされない田舎で、二度と戻ってくるなと言われたのと同じよ。
あれだけ『奇跡を起こす女神』なんて持ち上げられていた私だったのに。今や誰ひとりとして祈りに来る者はいない。辺境の神殿はボロボロ。天井からは雨漏り。バケツに溜まる水音が、やけに耳につく。
でも一番情けないのは――掃除を手伝わないといけないこと。辺境の神殿に送られる際、王命で同行を許されたのは、たったひとりの専属メイドだけだった。だから、人手がまったく足りないのよ。祭壇の埃を払うために、私は膝をついて雑巾がけしてる。爪が割れた。腰も痛い。
「ちょっと、聖女様! もっとしっかり磨いてくださいよっ。雑巾はきっちり絞ってくださいね。まったくなにもできないんだから……」
もともと王都では「聖女様~♡」なんて瞳を輝かせていたメイドだったのに、今ではこの有様だ。ブラウンの髪をツインに結った、十代そこそこの少女。かつて私を崇拝していたはずの彼女は、いまや完全に指導係気取りよ。なんで、私がこんな子にバカにされなければいけないのよっ!
結局、私に残されたのは廃墟になりかけた神殿と、冷たい石の床、ガミガミお説教をする年下のメイドだけ。バケツに落ちる、雨だれの音が私をあざ笑うようだった。
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