42 祝福を授ける聖女
その日、純白の馬車がキーリー公爵家に静かに到着した。雪のように白い毛並みを持つ聖馬の金色のたてがみが、陽光を受けてきらめいている。その瞳は賢く澄み、蹄のひと踏みごとに気品をまとっていた。
馬車の扉が静かに開き、そこから現れたのは、一輪の薔薇のように可憐で気品を帯びた女性だった。淡いピンクの髪は陽光に透けて柔らかくきらめき、同じ色合いの瞳は宝石のように美しい。細く白い指を揃え、裾を美しくさばいてしなやかにカーテシーをした。
「聖女シルヴィア・ルクレール。本日より、白銀竜様とその主アベラール様のお傍に仕え、聖なる務めを果たすよう王命を賜りました」
涼やかに微笑んだその顔は、まさに聖女の名にふさわしい、清楚な美しさに満ちていた。私と公爵はその来訪を前に、思わず顔を見合わせ、呆れたようなため息をついた。
「やはり、あの王が仕掛けてきましたわね?」
「あぁ、しかし、聖女と名乗る者を、そうそう追い返したりもできない。ここはひとまず、受け入れるしかないな」
「確かに公爵様のおっしゃる通りですわ」
私は作り笑いを浮かべながら、公爵夫人としての務めを果たすべく、一歩前へ出た。
「ようこそお越しくださいました、聖女シルヴィア様。遠路はるばるお疲れ様です。キーリー公爵家に仕えてくださるとのこと、ありがたくは思いますが、こちらでは手が足りております。聖女様のお手を煩わせる必要はありませんのよ」
形式的な歓迎の言葉にはしたが、申し出が不要であることも、それとなく含ませて伝えたつもりだった。
けれどシルヴィアは、私の言葉など聞こえていないかのように振る舞った。柔らかな微笑みを浮かべたまま、私の隣に控えている使用人一人ひとりに優雅にあいさつを交わし、言葉遣いも所作も、どこまでも完璧だった。まるで天界から舞い降りた天使のようにすら見える。その姿だけを見れば、誰もが思わず感嘆の声を漏らしても不思議ではないだろう。
だが、彼女が足を踏み入れた瞬間、ミュウはぴたりと私の背後に隠れた。普段なら、初めての来客にも好奇心のままに近づいていく子竜なのに――この反応は、かなり珍しい。
公爵も聖女に軽く頭を下げたけれど、眼差しは終始冷ややかだった。
「屋敷の規律に従っていただけるのであれば、短い滞在は許そう。ただし、長く居着かれては迷惑だということは、わきまえてくれ」
まったく歓迎していないその言葉にも、一礼とともににこやかに、こう返しただけだった。
「心得ておりますわ」
最初の数日間、シルヴィアはまさに完璧な聖女に見えた。アベラールには甘く、優しい声音で語りかけ、彼の関心を引きそうな話題を巧みに選んで距離を縮めていく。そして、ついには祝福まで与えた。
「アベラール様。あなたの未来が、神のご加護に包まれ、幸せに満ちたものでありますように」
シルヴィアがそっと目を閉じると、部屋の空気が変わる。胸元で静かに組まれたその両手から、柔らかな光が広がっていった。魔力を感じさせないほど穏やかな光だったが、不思議と場を包み込み、まるで神そのものが降り立ったかのような錯覚を覚えさせた。
心根の優しいアベラールは、まだ幼いこともあって、すっかり気を許していた。いっぽう、ミュウはアベラールの側に聖女がいる時は、けっして近づかない。
「まぁ……なんて神々しい……まるで聖典に描かれた光の化身……白銀竜様、仲良くしましょう」
聖女はミュウを見かけるたびに、胸に手を当てわざとらしく目元を潤ませた。ミュウはそんな聖女を嫌って、慌てたように逆方向に飛んで行く。それに対して、アベラールは困ったようにミュウをかばった。
「ミュウがしつれいをしてごめんなさい。いつもはちゃんとあいさつできて、とてもりこうなのに……」
アベラールは子供らしい純粋さで、シルヴィアに話しかけた。無垢な心が、最も危ういものに狙われやすい。だからといって、今のところ、聖女はただアベラールと遊んでいるだけで、なんの実害もない。私としては静観していることしかできなかった。
使用人たちに対しても、シルヴィアはにこやかにほほえみかけ、祝福を気軽に与え続ける。
「神様の祝福がありますように」
その姿は、慈愛と品格に満ちた聖女そのもの。誰もが自然と敬意を抱き、深く頭を下げた。
最近では、使用人のなかでもこんなことを言いだす者までいた。
「聖女様とアベラール様は、ほんとうの親子のように見えるね。美しい幼子と儚げな美女、絵になるよ」
「それに聖女様は、ありがたい祝福を与えてくださるしね。普通なら多くの奉納を行わなくてはならないし、順番待ちしなくてはならないのに……なんて気前のいい人だこと!」
侍女長がそんな噂をしていたメイドの数人をきつく叱ったらしいが、人の口に戸は立てられない。
***
ある夜、私は寝室で公爵に話しかける。今では、アベラールはミュウと子供部屋で眠るようになっていた。
「あの聖女様、今のところ怪しい行動はありません。アベラールにも優しく接しておりますし、使用人達の人気も高いです。王がなにかを仕掛けてきたと思いましたが、私たちの考えすぎだったのでしょうか?」
「……とにかく気をつけてくれ。俺はあの聖女は好かん。近づかれると、ぞわっとするんだ。それにしても聖女の祝福とやらには、癒しの効果さえ感じられないが、あれで聖女とは呆れるな」
「そうでしょうか? なにか敬虔な気持ちになった気がしましたけど……使用人達は喜んでおります。痛かった腰や足が治ったとか、そのように言い出す者もいますわ」
「それは思い込みだな。聖女が祝福を授けてくれたなら、必ずなにか良い変化があると信じたくなる。実際は、自然治癒したに過ぎないのに、聖女のお陰だと思い込むのさ」
そんな時、ルカ夫妻がアリシアを連れて遊びに来たのだが――
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※次回、聖女の本性がばれて……お楽しみに!




