34 甘えたがるアベラール
アベラールの熱がようやく下がり、私はほっと胸を撫で下ろした。けれど安堵も束の間、今度は彼がぴったりと私にくっついて、まるで離れまいとするように袖を握りしめてきた。
「ジャネット、だっこして」
少しかすれた甘え声が耳に届く。見上げてきた瞳は、サファイアのような綺麗に澄んだブルー。熱が引いたばかりでまだ頬はほんのり赤く染まっている。
「はい、いいわよ」
私は優しく微笑みながら膝を折り、そっと彼を抱き上げる。小さな身体は驚くほど軽く、けれどそのぬくもりはとても確かなものだった。アベラールは、腕の中で何度かもぞもぞと身じろぎをしてから、顔を私の胸元にすり寄せてくる。
「病気になると、誰でも甘えん坊さんになるものね。私の妹も、弟もそうだったわ。いつもよりずっと、甘えたくなるのよね」
そう言うと、アベラールはこくりとうなずいた。そして小さな唇を耳元に寄せ、内緒話をささやく。
「アリシアには、ないしょだよ」
「え?」
「アリシアには、だっこしてもらったの、ないしょにしてね」
くすっと、思わず笑い声が漏れる。大人の真似をするような声のトーンと、わざとらしい秘密めかした言い方が、もう可愛くてたまらない。
「もちろんよ。アベラールのだいじな秘密は、絶対守るわ」
そう返すと、彼は満足げに小さく微笑んだ。その笑顔はまるで花の蕾がふわりと開いたようで、まぶしいほどに愛らしい。アベラールの瞳がゆっくり閉じられ、頬が私の胸に寄り添うと、私は自然とその小さな背中を、優しく何度も撫でていた。
こんなにも私を信頼して、甘えてくれるのが嬉しい。アベラールが、私にだけ見せてくれるこの無防備さに、胸がじんと熱くなった。
「ジャネ……ぼく、おなかすいた」
か細い声で訴えられて、私は思わず口元を緩める。
「まあ、それは大変。すぐに何か作ってくるわね」
料理長たちに頼むこともできたけれど、こうして自分の手で子供のために作ることが、たまらなく幸せだった。私は厨房に立ち、柔らかく煮たパンに少しだけミルクを加え、舌触りのよい粥をこしらえた。病み上がりの子でも食べやすいように、ほんの少しだけ甘味もたす。
「はい、あーんして」
スプーンを差し出すと、アベラールは少しだけ照れくさそうにしながら、それでも素直に口を開けてくれた。ひと口、ふた口……やわらかく煮えたパン粥を嬉しそうに飲み込むその姿は、まるでひな鳥が親鳥を信じて口を開けているようで、見ているだけで自然と笑みが浮かぶ。
「おいしい?」
「うん……ジャネのつくったの、いちばんすき」
病み上がりのせいか、甘える声がほんの少し低く、ゆっくり話すその口調もまた愛らしい。なにより素直で私のことをこれほど慕ってくれる天使に胸が熱くなった。
「ほら、今度はリンゴよ。シャクってしてごらんなさい」
小さく切った果実を口元に運ぶと、アベラールは嬉しそうにぱくりと食べた。
シャク……という音がして、彼が「おいしい……」とささやく。
「ジャネ……ずっとそばにいて」
「もちろんよ。」
私はそう答えながら、アベラールの柔らかな金髪に指を通し、もう一度ぎゅっと抱きしめた。
数日後、熱がすっかり下がり回復した頃、アリシアがお見舞いに訪れた。
手には花束と小さな包みを持っていた。その包みは……




