30 微笑みの返り討ち
けれど私は微笑を崩さず紅茶を一口含んでから、柔らかく返した。
「えぇ、日々学びの連続でございます。ですが、旦那様は優しいですし、使用人達はみな優秀で私を支えてくれていますわ。……ですから、どうかご安心くださいませ。プラテマフォ侯爵夫人がわざわざお心を痛めるようなことではございませんもの」
穏やかに答えた私に場の空気がわずかに緩み、他の夫人たちからも安堵の笑みが漏れる。中には、クスクスと笑いを噛み殺しながら、プラテマフォ侯爵夫人に視線を送る方もいた。
そのやりとりの間、少し離れた席で静かにしていたのが、控えめな佇まいのリゼット・デュボア伯爵夫人だった。ライトブラウンの髪をまとめ、アベラールと同じ年頃の令嬢と連れ立っていたが、居心地の悪そうな様子で口数は少なかった。
「まぁ、デュボア伯爵夫人。いつも、いるのかいないのかわからないほど、存在感が薄いからご挨拶するのも忘れておりましたわ。そういえば、あなたのご実家も男爵家だったかしら? 子爵家だったかしら? 確か、もう没落してしまったのよねぇ?」
プラテマフォ侯爵夫人が、憂さ晴らしの矛先を私からデュボア伯爵夫人へと変え、皮肉を口にしたそのとき。私は静かに立ち上がった。
「デュボア伯爵夫人。よろしければ、ご一緒に庭園を見せていただきましょう? サンディ公爵夫人、よろしいですか? ……あまりにも素敵なお庭でしたので、つい散策したくなりました。私たちには、《《新鮮な空気》》が必要ですから」
デュボア伯爵夫人は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ私のもとへと歩み寄った。
「ありがとうございます、こちらは娘のアリシアです。……ご迷惑でなければ、ぜひ」
「もちろんですわ。アベラールとも仲良くしていただけたら嬉しいです」
私の言葉に、場の空気が徐々に変わっていくのを感じた。プラテマフォ侯爵夫人に視線がひややかに集まりはじめる。
「あら、いけない、急用を思い出しましたわ」
その場に居づらくなったのか、そう言い残して足早に立ち去っていった。
サンディ公爵夫人は私のもとへそっと歩み寄り、プラテマフォ侯爵夫人の非礼を詫びる。
「これに懲りず、またぜひご参加くださいね」
そう言いながら温かな笑みを浮かべた。
「もちろんですわ。きっと、プラテマフォ侯爵夫人は寂しいお方なのでしょう。人を悪く言うことでしか楽しい気分になれないのは、一種の病気のようなものですわ。大変、お気の毒だと思います」
にっこり微笑んだら、サンディ公爵夫人とデュボア伯爵夫人は吹き出していた。
「病気……ふふっ。そう思えば腹も立ちませんわね。びくびくする必要もないということですわね? 私、実家の子爵家がかなり前に没落しまして……ですが、三年ほど前には弟が良縁に恵まれて、婚家の商会で職を得ておりますの。おかげさまで今はかなり安心して過ごせています。それでも、プラテマフォ侯爵夫人のような方は、いつまでも没落した実家のことを言いたがって……」
「私も男爵家出身ですわよ? 同じような立場ですわ。仲良くしましょう」
「いいえ、同じではないような……エッジ男爵家はどこに行っても評判がとても良いですし、領地は潤い領民は安心して暮らしていると聞いています。それに旦那様は、あの英雄のアンドレアス・キーリー騎士団長ではありませんか?」
「ですが、私たちはプラテマフォ侯爵夫人から嫌味を言われた者同士、共通点がありますわ。それにご覧になって。子供たちはすっかり仲良しになっています」
アベラールとアリシアは、いつのまにか少し離れた庭園のベンチで並んで座っていた。
「……ぼく、ひのまほうをつかうんだ。いっぱいまりょくあるから、たまにぼーそーしちゃうんだ」
「えっ! すごいわ。……わたしはこおりまほうがつかえるの。あまり、まりょくりょうは、おおくないかも。でもね、あついひには、ジュースにこおりをうかべられるのよ」
「うわぁ。べんりだね」
熱心に可愛らしい会話をする幼子ふたりに、私は目を細めた。ふと見ると、アリシアのワンピースの裾に繊細な小花の刺繍が、施されている。
「まぁ、素晴らしい刺繍ですわね? かなり凝っているように思いますわ。素敵ですね」
「それは、私が刺繍しましたのよ。実は手先を動かしているのが好きでして、特に刺繍は大好きですの」
「まぁ、偶然! 実は私も刺繍が大好きですわ。少しずつ形になっていく喜び、その時間はただ手を動かしているだけなのに、不思議と心が整理されて、気づけば前を向けているのです」
「そうそう。私もそうですの。思い悩むことがあっても、手を動かしていると自然と気にならなくなります……楽しい気分になるのですわ」
「でしたら、ぜひ今度ご一緒に、おしゃべりしながら刺繍をいたしましょう」
私は彼女をキーリー公爵家へお誘いした。
「まぁ、よろしいんですか? 嬉しいです」
「こちらこそ嬉しいです。アリシア様も一緒に連れてきてくださいね。アベラールが喜びますわ」
帰りの魔導式高速馬車の中、私は気の合う友人を見つけた嬉しさに頬が緩んでいたし、アベラールは気になる女の子を見つけて、によによしていた。他の子供たちとも軽く言葉を交わしていたようだが、アリシアとは特に馬が合ったらしい。子供なりに通じ合うものがあったのだろう。




